ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
そして、最終的には自分の所為であると気付く。
その頃には大抵のことが手遅れになっているのだが。
仕事で、またしても「ミスが多いから」と言われて量を減らされてしまった。
どこをどうしたらミスが減るとかより、もうわたしから仕事を取り上げて自分たちでやった方が早いと思わせてしまったのだろう。
ミスしたわたしが悪い。
そして教える気のない先輩達の清々しいまでのディスりようは、もう慣れとかそんなレベルじゃない。
傷付くことにも疲れる。そんな状態だ。
更に悪いことは続く。
教習で「これは最初から教えた方がいいなと思って復習してますよ」と先生に言われてしまう。
復習ってあんた、S字クランクで5も6も時間遣って、今更、基礎を復習て。そんなに出来てなかったんかい。
怒られることには然程、傷付きも驚きもしないのだが、こんなにもできてなかったのかと茫然としている。
仕事も教習も、周りの人間が「普通」に行っていることだ。
それが、どれだけ時間を掛けても習得できないのは何故か。
集中力が足りない?
素地が悪い?
そも人の話を理解できてない?
原因はわたしにあるのだ、解っている。
しかし、疲れた。もう嫌だと言葉も言えない。
一人で深夜に起きて、何を考えることもない。
わたしは元より出来損ないだった。劣化代替品だった。
持たざる者に捨てられ、持てる者に選ばれなかった存在だ。
そんな奴が真っ当に生きていこうなんて、どだい無理な話であったな。
それでもこんな歳まで死ぬことなく生きてきた罪があるから、その贖いの為にこんなことを続けているんだろう。
「こんなんで子ども育てられるの?」と先生に言われた。
向こうは軽口のつもりだろうが、わたしにとっては重大な問題だ。
わたしだって「無理かもしれない」と思っているのだからね。
ただ、子育ては母親だけでなく父親も参加するものと聞く。であるならば、わたしの能力が低くても相手が居るなら挽回はできそうだ。
……まぁ、その前に嫌気が差した相手に捨てられる可能性も無きにしも非ず。
わたしはすっかり生きていく自信を無くしている。
もう少し仕事はできると思っていた。
もう少し教習はやれると思っていた。
わたしは自分を過大評価しすぎていたらしい。何もできないではないか。
否、過大評価していたのではなく、信じていた。自分が少しはまともに動けることを期待していたのだ。
わたし自身に価値は無い。
だが、わたしの生む物語に価値が生まれることは願う。
贖いの為に生き恥を晒す。
死を考えるしかできないのは、今、他に選べる選択肢が無いからだ。
何もかも半端だ。だから何も無いんだ。
その頃には大抵のことが手遅れになっているのだが。
仕事で、またしても「ミスが多いから」と言われて量を減らされてしまった。
どこをどうしたらミスが減るとかより、もうわたしから仕事を取り上げて自分たちでやった方が早いと思わせてしまったのだろう。
ミスしたわたしが悪い。
そして教える気のない先輩達の清々しいまでのディスりようは、もう慣れとかそんなレベルじゃない。
傷付くことにも疲れる。そんな状態だ。
更に悪いことは続く。
教習で「これは最初から教えた方がいいなと思って復習してますよ」と先生に言われてしまう。
復習ってあんた、S字クランクで5も6も時間遣って、今更、基礎を復習て。そんなに出来てなかったんかい。
怒られることには然程、傷付きも驚きもしないのだが、こんなにもできてなかったのかと茫然としている。
仕事も教習も、周りの人間が「普通」に行っていることだ。
それが、どれだけ時間を掛けても習得できないのは何故か。
集中力が足りない?
素地が悪い?
そも人の話を理解できてない?
原因はわたしにあるのだ、解っている。
しかし、疲れた。もう嫌だと言葉も言えない。
一人で深夜に起きて、何を考えることもない。
わたしは元より出来損ないだった。劣化代替品だった。
持たざる者に捨てられ、持てる者に選ばれなかった存在だ。
そんな奴が真っ当に生きていこうなんて、どだい無理な話であったな。
それでもこんな歳まで死ぬことなく生きてきた罪があるから、その贖いの為にこんなことを続けているんだろう。
「こんなんで子ども育てられるの?」と先生に言われた。
向こうは軽口のつもりだろうが、わたしにとっては重大な問題だ。
わたしだって「無理かもしれない」と思っているのだからね。
ただ、子育ては母親だけでなく父親も参加するものと聞く。であるならば、わたしの能力が低くても相手が居るなら挽回はできそうだ。
……まぁ、その前に嫌気が差した相手に捨てられる可能性も無きにしも非ず。
わたしはすっかり生きていく自信を無くしている。
もう少し仕事はできると思っていた。
もう少し教習はやれると思っていた。
わたしは自分を過大評価しすぎていたらしい。何もできないではないか。
否、過大評価していたのではなく、信じていた。自分が少しはまともに動けることを期待していたのだ。
わたし自身に価値は無い。
だが、わたしの生む物語に価値が生まれることは願う。
贖いの為に生き恥を晒す。
死を考えるしかできないのは、今、他に選べる選択肢が無いからだ。
何もかも半端だ。だから何も無いんだ。
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という映画を観たのさ。
ピエロ恐怖症な二人と、ホラーに興味津々な一人と、流されるままに観る二人と、計六人で宅飲みしつつ観たのさ。
いやー大勢で観て良かった。
一人で観ていたらモヤモヤしすぎて、ここに書くまで耐えられなかったわい。
あらすじとしては、
デリーという町を舞台に、主人公とその仲間達が奇怪な目に遭うことから始まるおはなし。
それは幻を伴い、最後には恐ろしいピエロの姿となって彼らを襲う。
やがて、彼らはそのピエロが見える者と見えない者、そしてピエロがやってくる経路の共通項に気付く。
その間にもピエロの魔の手は伸びてきて……
というホラー映画。ピエロがテーマと思しき映画。
要所要所でビックリ要素があり、ピエロが神出鬼没なため、ピエロ恐怖症の方にはお勧めできません。
本格的なホラーを好む方にもお勧めは難しい。ちょっと肩透かしを喰らうようかも。
主人公の男の子は弟を水難事故で亡くしているのだが、遺体が見つからないために心のどこかで「まだ生きている」と信じている。
仲間の男の子達にもそれぞれの事情があり、ピエロも最初は恐れていたのだけど、仲間の危機を知って団結して、恐怖に立ち向かっていくのだ。
こう書くとホラー要素が薄くなるけど、本当に団結してピエロに立ち向かうんだよ。
ピエロの正体も最後までよく解らない。けど、勝つために戦いを挑むんだよ。
グロテスクな描写も、ビックリ要素もあるけど、仲間達が皆してピエロを囲んだ時のが驚いたわよ。
なんというか、ピエロを敵のテーマにしてあるだけで、ピエロなりの動きやら追い詰め方っていうのは、あまり感じられませんでした。
本当に姿がピエロなだけで、何故この町で周期毎に目覚めるのか、人の恐怖と肉を食うなら浮かべたままにすることに意味はあるのか、設定をつつきだしたらキリが無さそうだ。
恐怖に駆られた子ども達の演技はこっちもハラハラした。
それ以上に、ピエロのピエロっぷりもハラハラさせる。本当に何者だおまえ。そんなギャグのよーな動き方で怖がらせられるとでも?
B級ホラーという感じにわたしは受け取りましたが、どうでしょ。
特典映像のギャグシーンは面白かったですよ。
期待していたほどピエロ要素が活用されていなかったのが惜しいとこだと思います。
ピエロ恐怖症な二人と、ホラーに興味津々な一人と、流されるままに観る二人と、計六人で宅飲みしつつ観たのさ。
いやー大勢で観て良かった。
一人で観ていたらモヤモヤしすぎて、ここに書くまで耐えられなかったわい。
あらすじとしては、
デリーという町を舞台に、主人公とその仲間達が奇怪な目に遭うことから始まるおはなし。
それは幻を伴い、最後には恐ろしいピエロの姿となって彼らを襲う。
やがて、彼らはそのピエロが見える者と見えない者、そしてピエロがやってくる経路の共通項に気付く。
その間にもピエロの魔の手は伸びてきて……
というホラー映画。ピエロがテーマと思しき映画。
要所要所でビックリ要素があり、ピエロが神出鬼没なため、ピエロ恐怖症の方にはお勧めできません。
本格的なホラーを好む方にもお勧めは難しい。ちょっと肩透かしを喰らうようかも。
主人公の男の子は弟を水難事故で亡くしているのだが、遺体が見つからないために心のどこかで「まだ生きている」と信じている。
仲間の男の子達にもそれぞれの事情があり、ピエロも最初は恐れていたのだけど、仲間の危機を知って団結して、恐怖に立ち向かっていくのだ。
こう書くとホラー要素が薄くなるけど、本当に団結してピエロに立ち向かうんだよ。
ピエロの正体も最後までよく解らない。けど、勝つために戦いを挑むんだよ。
グロテスクな描写も、ビックリ要素もあるけど、仲間達が皆してピエロを囲んだ時のが驚いたわよ。
なんというか、ピエロを敵のテーマにしてあるだけで、ピエロなりの動きやら追い詰め方っていうのは、あまり感じられませんでした。
本当に姿がピエロなだけで、何故この町で周期毎に目覚めるのか、人の恐怖と肉を食うなら浮かべたままにすることに意味はあるのか、設定をつつきだしたらキリが無さそうだ。
恐怖に駆られた子ども達の演技はこっちもハラハラした。
それ以上に、ピエロのピエロっぷりもハラハラさせる。本当に何者だおまえ。そんなギャグのよーな動き方で怖がらせられるとでも?
B級ホラーという感じにわたしは受け取りましたが、どうでしょ。
特典映像のギャグシーンは面白かったですよ。
期待していたほどピエロ要素が活用されていなかったのが惜しいとこだと思います。
リメイク聖剣2が終わって一息。ようやっと落ち着いてきたので、感想をだーっと綴ることにする。
と言っても、あらかたついったで吐き出してしまったから、そのまとめをここに書き連ねるだけになるのだが。
本当にとんでもないものを生み出してくれたなぁ。
そも聖剣はシリーズを追う毎に話題性に事欠けて、古参のファンでも追わない人が増えてきたように思う。
その原因の一つとして聖剣4の存在は大きいのではなかろうか。
全てのはじまりの物語でありながら、はしょりまくった展開と、敵をピヨらせないと通らないダメージと、ステージが変わる毎にリセットされるレベルと、ひたすら迷うマップとカメラワークの凶悪さが物語や音楽を台無しにしていた。
わたしの周りでも買ったのはわたしを含め3人ほどだったが、殆ど気力でクリアしたようなもので、実際の内容については憶えていないことの方が多い。
音楽が良かったとか、あのボスのステージないわーとか、そんな程度。
そこからイメージを良くしようにも、ナンバリングタイトルでつまづくって結構な痛手なんだよな。
出すハードも悪かったのかもしれないけど、まぁ聖剣4の影響が大きいよな。
聖剣3の19年前の話としてヒロマナも出たけど、特に話題にならなかった。下村さんが曲を作ってくださったのになぁ。
そして近年でいえばアプリ。ROMがまた盛大にこかされた作品で、サービス終了までしてしまった。
このへんで、今のプロデューサーが信用ならんなぁと思ったんだけど、スクエニもきっと大変なんだろうなーと思うことで終わりにした。
これ以上の悪いことは起きないでほしかった。
なのに起きた。
去年の聖剣コンサートにて明かされた、リメイク聖剣2の話。
初代ともいうべきFF外伝も既にリメイクされていたが、あっちはアプリだったのでわたしは手をつけていない。やりたければGBでやればいいし。
だけど、今回の聖剣2はハードがPS4だっていうので、少しは期待した。
その期待がまたしても「スクエニはほんと死体蹴りが好きだなぁ」と思わせるキッカケとなる。
Amazonのレビューも大炎上したリメイク聖剣2は、わたしにとっては「駄メイク聖剣2」でしかない。
あまりの辛い現実に、このリメイクは同人界隈で作られたものなんだと解釈することにしたぐらい。それぐらい酷い。
外注に任せっきりだったのか何なのか知らないけど、本当にベタ移植という感じ。リメイクされているのはグラフィックくらいのものだが、それもアプリに落とす予定なのかなと思うぐらいのグラで、PS4で出す意味が無いと思う。
まぁ、元から「オーディンスフィアに世界観喰われた」と評されていたぐらいだから、今から聖剣らしいグラ作ろうと思ったら、LOMまで立ち返るようだが。
その稚拙なグラで進む物語はイベントシーン等もあるけど、口が動かない。ただの口パクすらないので、人形のような感じが否めない。
主人公3人の声は違和感あまりないと評されていたが、わたしはちょっと無理だった。特にポポイ。耳がキーンとするタイプの声になってて、べぇさんに寄せてくれたらなぁと思わずにいられない。
プリムは可愛かったな。本当に普通の女の子。あそこまで普通だったら、逆に腹が立てられない。どうぞずっとディラックを追いかけてって感じ。
ランディについては、時々エンタメ決闘者の影がちらつくけど、概ねその歳の男の子らしい声と挙動だったように思う。
でも、メインキャラ以外は演技過剰だな。特にモブ。モブもフルボイスと聞いてどんなもんかと思ったけど、結構、無理して出している声が多いなと感じられて、これならメインだけフルボイスでもっとイベント増やしてほしかった。
イベントを増やした関連では宿屋での小話が挙げられるけど、正直「これじゃないんだよなぁ」と拍子抜けした。
本当に世間話っていうか、与太話なんだよな。この時こんなこと考えていたのかーって視点が欲しかったんだけど、会話が全体的に浅くて、重要そうなイベントの後も暢気なこと言っている場面が多かったから、今のシナリオライターさんはこんなもんかーと上から目線で思ってしまった。
SFCの時から既に違和感のある会話や言葉選び、設定など、直せるテキストはあったのに、何でまるっと移植しちゃうんだよ。
キャラの動きまで移植してあるから、この御時世のゲームで移動カクカクしているとか笑えない。
そのくせ、大砲屋で飛ぶシーンはカット、フラミーに乗った時の感動なんてあったもんじゃない。動きもただほそっこい子がふよふよしているだけで、生き物に乗っている感じがないんだ。
SFCの時のプログラミングがもうロストテクノロジーだとしても、もう少し何とかできただろ。
戦闘システムも、もっさりしていて爽快感はゼロ。
新規さんの目にはふしぎに映る、何もないトコ向かって武器を振るう仲間達も、「同じフィールドに敵を3体しか配置できない(というか、しない)」から起きている動作なのだろう。
ちょっと場面を切り替えればすぐに出てくるんだけど、画面を切り替えずにいると敵を減らさない限り、プログラムとして入っている敵は出てこられない。
しかし、「ここに敵が居ますよ」ってプログラムそのものはプレイアブルキャラが認識しているから、あんな何にもないとこに向かって武器を振るのだろう。
あと、数値を100%まで溜めないといけない関係で、敵を攻撃した後みんな明後日の方向を向くんだけど、これも何とかしておくれよ。シュールだよ。
戦闘のリズムも悪ければ、バランスも悪い。
雑魚敵に攻撃が当たらないので、かつてないほどセイバー系の魔法を使った。ストーンとフレイムが有能過ぎる。
というか、その辺の当たり判定がガバガバすぎるだ。ラスボス戦、終わらんかと不安になったわ。
ボスは魔法がよーーーく効いてくれるので、労せずして倒せる。雑魚の塊の方がよっぽど強い。
が、今回の一番の強敵はフリーズからのエラー落ちである。
お金払ってデバッグさせられているようなもので、これが面白いぐらいに落ちる。
というか、ディスクに疵があるとか物理的な面で問題があってのエラーならともかく、ゲームの出来が不充分でエラー落ちするって、どんだけ未完成な作品なの。
これは1時間でも遊べば解ることなんだけど、よくこれでスクエニはGOサイン出したよね。
クソゲー界の征夷大将軍といわれる「デス・クリムゾン」だって、「本当にこのゲームを世に出すのか」と言われていたというが、わたしはこの駄メイク聖剣2に言いたいね。
レベル上げて、防具も手に入れて、そろそろ落ちるだろうから帰ろうと思った瞬間に落ちた時の口惜しさを、わたしはけして忘れないぞ。
音楽もまた賛否両論だったけど、正直これはまだ救済措置があった。
アレンジか原作が選べたしね。わたしは開き直ってアレンジにしたけど。
全体的にアレンジはありだったな。菊田さん本人のアレンジが酷いのは笑ったけど、あれが今のあの方の全力アレンジだというなら、どこかしらの層に応えてのことだろうし、まぁいいのではないでしょうか。
個人的に好きなのは「熱砂の秘密」と「聖なる侵入」と「鋼鉄と罠」かな。
静かな曲のアレンジは外しようがないと思うけど、それでも綺麗に作れているものが多かった。
あ、けど「伝説」のアレンジは納得いかなかったな。
一番納得いかないのは、大神殿の浮上に合わせて「暗黒星」が使われなかったことだね。何であの一大事にまだ「未知への飛行」がかかっているんだ。
中身以前にゲームとしての出来が悪すぎて、こんな形で聖剣の名を地に落としたプロデューサーは、今頃何をどんなふうに思っているのでしょうね。
制作側にも勿論、いろんな理由や葛藤があったと思うけど、プロデューサーが子どもの頃に遊んだゲームは、こんなもんじゃなかっただろ。
オーラの無い人だなと思ったが、やはりファンに正統派続編を作らせるのは無理かな。オリジナルを越えるって気迫が無いと、結局はこうして劣化版を生み出すだけかな。
自分の好きなゲームが自分の所為で批判されたり、炎上している様を見るのって、どんな気持ちなのさ。
あなたはこの聖剣2で友人らと、或いは自分の子どもと遊びたいと思うだろうか。
悔しいと思ってほしい、この現状を。
パッチをあてても直りきってないんだぞ、なのに音沙汰なしだ。逃げるんじゃないよ。
聖剣を継ぐ者だなんて持て囃されても、あなた自身に力が無ければこんなもんだ。
わたしは制作側じゃない。まだファンの側。それでも悲しいぞ、惨状と言ってもいい。
そんな状況を生み出しておいて、まだナンバリングタイトル作るつもりか。
あなたの踏み台でも玩具でもないんだぞ、聖剣は。
今後もこんなふざけた作品を出すようなら、いつまでも同人作品だと思うことにする。
もっとがんばってほしかったよ。聖剣を継ぐ者に滅ぼされるなんて、それだけで一本書けちゃいそうだぜ。
精神的な疾患と言ってしまうと、人同士の間で溝やら壁ができる。
「よく解らないから触れないでおこう」っていう壁や、
「そういう人と付き合うとロクなこと起きないし」っていう溝がある。
そのどちらも経験した身としては、やっぱりこの御時世でも精神的な疾患にはまだまだ偏見の方が多いよな、と思った。
人間、自分がなってみなければ解らないことの方が多い。
精神的な疾患なんて、ならないに越したことないんだけど、なってしまうことの方が多い。
そういった時、良くなろうと思うならば周りからの助力や理解は必要不可欠だと思うんだけど、これを得るのがとても難しい。
わたしはたまたま、人より感受性が強くて、相手の領域の空気や色を知ることができるだけ。
だから、偏見を嫌うし、色眼鏡で見ることも拒む。理解を示そうとすることはできる。
それでも相手の苦痛を共有するに至らない。それはやっぱり相手と自分は同じ人間ではないから。理解しきるってのは無理だ。
だけど、心を寄せるだけで少しは落ち着いてくれるかもしれないと、悩む友人あらばその傍らに居たいと思ったものだ。
娯楽は人それぞれで、精神的な疾患を抱えていても、ストレス発散の為にそれを楽しむ人も居る。
というか、楽しむ元気が残っている人は、その方法で以て何とか自分を取り返そうと足掻く。
わたしの場合はゲームなんだが、まぁこれは見た目が悪い。「お前、体調悪いのにゲームしてんのかよ」って思われても仕方ない。
しかし、これ以外にわたしはわたしを取り戻す方法が無い。人に会うことも恐ろしく、まとまらない思考で物語を書いても駄作ばかりで逆に腹立たしく、歌いたくてもその場所にまで行けない。
だから自分の中に閉じこもれる、最も没入できる世界へと逃避する。それがわたしにとっての精神安定剤ともいえる「ゲーム」だ。
人に話したとて、相手の荷物にしかならない。物語はアウトプットするなら最強の手段だが、上手く書けなくていらつくことの方が多い。
だけど、ゲームは引き込む世界観がある。五感を刺激してくるかのようなあのめくるめく世界は、わたしと捉えて離さない。
だから、わたしは落ち込んだ時にゲームをする。
ゲームできないほど落ち込んでいたら、それはもう死ぬしかない時だろうと察する。
一般的に精神疾患を患った人ってのは、きっと元気が無くて寝たきりなんだろう。
薬漬けで、病院に幾つも通っていて、人と会うことはおろか外にすら出られないと思われるのだろう。
実際は程度の差がある。重篤な方は上記の様な状態に陥っていることもしばしばあるだろうが、殆どの人は疾患があっても食い扶持の為に無理をする。無理をするから治るのも遅くなる。自分を誤魔化して無理をする。
無理をして手に入れた金で病院に行く。薬を飲んで脳をぼんやりさせて、思考を止めて、次の日の為に眠る。これは生きているのか、それとも生かされているのか。何が楽しくて生きているのか解らない。
誰もが寝たきりなのではない。薬を飲み続けているわけではない。
自分なりの抱え方と苦しみ方があって、その中で折り合いつけてがんばらなきゃいけないのが現状だ。それを生きていると呼ぶしかないのが現実だ。
わたしはまだ元気だ。だけど、一度壊れた精神は戻らない。元に戻す前にまた壊れた。何度も壊れた。ジェンガじゃねーんだからやめろと言っても、わたしの壊れた心はわたしにしか見えない。
誰もがそうなのかもしれない。話を聞いてほしいと願っても誤解され、助けてほしいと乞うても無視され、それは何でだ、周りにも余裕が無いからか。
想像通りの病人ってのは、もうある境を飛び越えてしまった方々だ。
そうなりたくてなったわけじゃないと思うが、なかには、そんな方も居るかもしれない。
見えないだけで、相手の話も聞かないで、決めつけるのはやめてくれないか。
わたしの話なら、わたしは確かに適応障害だが、問題の場所から離れれば普通に生活できる。ただし、壊れた精神は何かを引鉄にして急にまた崩れる。溜めこんだ不満と怒りはわたしの身体を苛んで、頭痛や腹痛、倦怠感といった調子で外に出る。
言葉にできない悔しさとか悲しさが病気になって、身体に出る。そんなこと、本当にあるんだね。わたしだって驚いた。
だけど、こんな身体になってしまったのだから仕方ない。恨むより悔やむより、この先を如何に丈夫に生きていくかが課題となった。
だけど、傷付かないわけじゃない。壊れなくなったわけじゃない。
余計なことはしないでほしい。寝たきりじゃなくても、あなた達の期待通りの行動をしなくても、わたしは確かに辛いし苦しいのだ。
それを理解してくれ、とは言えない。だからこそ、余計なことはしないでほしい。放っておいてくれないか。
あなた方の想像する病人とやらになる頃には、わたし自身は器を置いてもう死んでいるだろうからね。そんな無様、晒したくないんだよ。
精神疾患のある人間が組織に居ると、自然と目の上のたんこぶ扱いされるのは仕方ない。
向こうも恐れている。自分達の言動で相手が壊れないか、恐れている。そして面倒になってくるのだ。
わたしはそういう扱いを受けてまで、ここに居ることあるのか?
いや、雇ってもらえているだけでもありがたいのだから、或る程度の偏見とか色眼鏡には我慢しないと。
・・・・・・なんて言っていると、また頭痛がするんだ。終わりゃしねぇ。
「よく解らないから触れないでおこう」っていう壁や、
「そういう人と付き合うとロクなこと起きないし」っていう溝がある。
そのどちらも経験した身としては、やっぱりこの御時世でも精神的な疾患にはまだまだ偏見の方が多いよな、と思った。
人間、自分がなってみなければ解らないことの方が多い。
精神的な疾患なんて、ならないに越したことないんだけど、なってしまうことの方が多い。
そういった時、良くなろうと思うならば周りからの助力や理解は必要不可欠だと思うんだけど、これを得るのがとても難しい。
わたしはたまたま、人より感受性が強くて、相手の領域の空気や色を知ることができるだけ。
だから、偏見を嫌うし、色眼鏡で見ることも拒む。理解を示そうとすることはできる。
それでも相手の苦痛を共有するに至らない。それはやっぱり相手と自分は同じ人間ではないから。理解しきるってのは無理だ。
だけど、心を寄せるだけで少しは落ち着いてくれるかもしれないと、悩む友人あらばその傍らに居たいと思ったものだ。
娯楽は人それぞれで、精神的な疾患を抱えていても、ストレス発散の為にそれを楽しむ人も居る。
というか、楽しむ元気が残っている人は、その方法で以て何とか自分を取り返そうと足掻く。
わたしの場合はゲームなんだが、まぁこれは見た目が悪い。「お前、体調悪いのにゲームしてんのかよ」って思われても仕方ない。
しかし、これ以外にわたしはわたしを取り戻す方法が無い。人に会うことも恐ろしく、まとまらない思考で物語を書いても駄作ばかりで逆に腹立たしく、歌いたくてもその場所にまで行けない。
だから自分の中に閉じこもれる、最も没入できる世界へと逃避する。それがわたしにとっての精神安定剤ともいえる「ゲーム」だ。
人に話したとて、相手の荷物にしかならない。物語はアウトプットするなら最強の手段だが、上手く書けなくていらつくことの方が多い。
だけど、ゲームは引き込む世界観がある。五感を刺激してくるかのようなあのめくるめく世界は、わたしと捉えて離さない。
だから、わたしは落ち込んだ時にゲームをする。
ゲームできないほど落ち込んでいたら、それはもう死ぬしかない時だろうと察する。
一般的に精神疾患を患った人ってのは、きっと元気が無くて寝たきりなんだろう。
薬漬けで、病院に幾つも通っていて、人と会うことはおろか外にすら出られないと思われるのだろう。
実際は程度の差がある。重篤な方は上記の様な状態に陥っていることもしばしばあるだろうが、殆どの人は疾患があっても食い扶持の為に無理をする。無理をするから治るのも遅くなる。自分を誤魔化して無理をする。
無理をして手に入れた金で病院に行く。薬を飲んで脳をぼんやりさせて、思考を止めて、次の日の為に眠る。これは生きているのか、それとも生かされているのか。何が楽しくて生きているのか解らない。
誰もが寝たきりなのではない。薬を飲み続けているわけではない。
自分なりの抱え方と苦しみ方があって、その中で折り合いつけてがんばらなきゃいけないのが現状だ。それを生きていると呼ぶしかないのが現実だ。
わたしはまだ元気だ。だけど、一度壊れた精神は戻らない。元に戻す前にまた壊れた。何度も壊れた。ジェンガじゃねーんだからやめろと言っても、わたしの壊れた心はわたしにしか見えない。
誰もがそうなのかもしれない。話を聞いてほしいと願っても誤解され、助けてほしいと乞うても無視され、それは何でだ、周りにも余裕が無いからか。
想像通りの病人ってのは、もうある境を飛び越えてしまった方々だ。
そうなりたくてなったわけじゃないと思うが、なかには、そんな方も居るかもしれない。
見えないだけで、相手の話も聞かないで、決めつけるのはやめてくれないか。
わたしの話なら、わたしは確かに適応障害だが、問題の場所から離れれば普通に生活できる。ただし、壊れた精神は何かを引鉄にして急にまた崩れる。溜めこんだ不満と怒りはわたしの身体を苛んで、頭痛や腹痛、倦怠感といった調子で外に出る。
言葉にできない悔しさとか悲しさが病気になって、身体に出る。そんなこと、本当にあるんだね。わたしだって驚いた。
だけど、こんな身体になってしまったのだから仕方ない。恨むより悔やむより、この先を如何に丈夫に生きていくかが課題となった。
だけど、傷付かないわけじゃない。壊れなくなったわけじゃない。
余計なことはしないでほしい。寝たきりじゃなくても、あなた達の期待通りの行動をしなくても、わたしは確かに辛いし苦しいのだ。
それを理解してくれ、とは言えない。だからこそ、余計なことはしないでほしい。放っておいてくれないか。
あなた方の想像する病人とやらになる頃には、わたし自身は器を置いてもう死んでいるだろうからね。そんな無様、晒したくないんだよ。
精神疾患のある人間が組織に居ると、自然と目の上のたんこぶ扱いされるのは仕方ない。
向こうも恐れている。自分達の言動で相手が壊れないか、恐れている。そして面倒になってくるのだ。
わたしはそういう扱いを受けてまで、ここに居ることあるのか?
いや、雇ってもらえているだけでもありがたいのだから、或る程度の偏見とか色眼鏡には我慢しないと。
・・・・・・なんて言っていると、また頭痛がするんだ。終わりゃしねぇ。
そんなことから逃げたくて、今の男性が多い職場に行ったのだがなぁ。
そういうところに居る女性、しかも或る程度の年代に達している方は精神的に熟していなければ、紅一点でやっていけないものだと思っていたが、全然そんなことなかった。
今の事務所で病むキッカケになった先輩二人、男性と女性は四十代。
あまねく四十代がそうだとは言えないのは解っているのだが、あまりにもあまりにで最近強く辞めたいなぁと感じている。
当たりは強いわ、二人揃えばすぐに誰かの悪口で盛り上がるわ、言い方はキツいわ、そのくせ自分にキツい言い方されるのは嫌だわって、相手するのもう疲れたんじゃ。
四十代ってこんなだっけ!? とか思ってしまったのだ、世界の四十代の皆様、申し訳ありませんでした。
特に女性の先輩と一緒に居るのが辛い。
多少なりとも言い方キツい人は今まで会ってきたことあるけど、いつもキツいってすげーな。何をそんなカリカリしてんだ。
五十代で不倫だの何だのでお盛んで昔は男性にちやほやされていたから他の人がちやほやされるの気に食わないって女性には、前に嫌なことズケズケ言われたから、そこが鬼門なのは解っている。
でも、それも自分が恋愛体質に近くて、もしくは不倫相手に逃げられたから、余計に若さを妬んだだけかなーと感じていたんだ。
つまり、辛く当たってくるのは男性絡みだからだと感じていたんだ。
事務所の先輩♀は旦那様と二人きりで、しかも旦那様は単身赴任中と聞く。
誰かと不倫しているという噂も聞かない。二十代前半の事務員♀には特に嫌悪感は無いようだ。
しかし、わたしともう一人、別会社の事務員♀には当たりがキツい。
わたしとその事務員♀に共通しているのはアラサーってことぐらい。
若さを妬むだけなら、二十代前半に突っかかりそうなもんだが、そうではないならわたしどもの態度か何かが気に入らんのだろう。
だけど、アラサーの事務員♀からは、
「私達は先輩♂に食事に誘われたりしますけど、そういうの先輩♀は無いみたいですし、そこで『私を女として見て!』て思っちゃうんじゃないですかね。先輩♂に若手の前で『先輩♀のこと、お母さんって呼ぶなよ!』て言われるのも嫌みたいだし」
と聞かされた。
んんー、お母さんの件については冗談で済ませられないほど腹立つなら、先輩♂に直接抗議すりゃえぇけど、それ以外のとこって、わたしらに非があるのか…?
そもわたしには「若さを妬む」というものが、よく解らない。
四十、五十ともなれば解るのだろうか。
だってみんな二十代の頃あったでしょ。人生がいきなり五十から始まったわけでもなし。
二十代の頃を活かしきれなかったというなら、それはご自身の所為でしょう。いつかは損なわれるものだと認識していなかったのか?
ALI PROJECTの『地獄の季節』の歌詞に、
「死を抱くよりも恐れるものは
揺蕩う時間に流されて 魂が老いてゆくこと」
とある。
そうね、外見が老いてゆくのは恐ろしいことよね。着られたものが着られなくなる。身体のあちこちが劣化していく。型が崩れて、いつかは死ぬ。
けど、それは等しく存在する理でしょう。そういう場所で生きていると、どこかで気付いたでしょう。
女として見てほしいってのが先ずわたしには不思議だよ、自分の好きな男が居るのなら、その人に女として見てもらえるように年相応の努力したらいいんじゃないのか。
他の男からの称賛が必要なほど女性で在りたいという思いは、斯くも荒々しく根強いものか。
わたしと彼女では思考の形態も変遷も、まるで違う。だから嫌われているのかもしれない。
若さだけじゃなく、どこかに落ち度があったのかもしれない。今のとこそれ言われてないから、邪推でしかないけど。
でもねぇ、男性方には年齢問わず自分から話しかけて挨拶もちゃんとしているのに、かたやわたしの挨拶には目も合わせてくれない、話もそんなにしないってのは…結構、傷付くもんなんだよ。
先日の新婚旅行の時も、買掛がわたしの間違いで合わなかったのをいたく怒っていたようで、「ふらみいさんは休みだったからいいけどさ、こっちは数字追わなくちゃいけなくて大変なんだよね」と言われてしまって、あーーめんどくさって感じてしまったよ。
買掛合わなかったのは悪かったが、わたしは事前に旅行の日程を伝えていたぞ。
「買掛あるからそこはやめて」と言えば良かったろう。
ただ休んだんじゃない、許可もらって一週間居なかったのを何でそんな責められにゃーいけんのじゃい。
この時、ぷつりと切れたんだ。
もういいや、もっと自分の言うこと聞いてくれる四十代の方を事務所に入れなよって思ったんだ。
わたしは居なくなるからさ。今年中には子ども欲しいから、マタハラ喰らう前に去ぬ。
カウンセリングでは「被害者的になりやすくなっているから、受け流せるといいわね」と言われて、確かに被害者ぶってるなーと痛感。
向こうも大変だったわけだから、そこは謝罪すべきなのだ。いや、ちゃんと謝ったが。
でも、もうわたしはあそこでやっていく自信を無くしたぞ。
以前まで居たヘイトの対象が無くなって、再びわたしがヘイトの対象になったのか? と思うぐらいには、疲れたし、疑心暗鬼だ。
そうしてわたしを追い詰めて辞めさせる気なんじゃないか、なんてな。
女性同士は難しい、と聞く。
わたしは特に異性にも同性にも好かれないと解っている。
それでも、もう目の前で自分と他者とで違う態度を見せられるのは嫌なんだ。
そういう諸々を避けたかったのに、避けられない。
ならば、わたしがまた変わるしかないのだろう。
ノンケの女性だからいけないのか、それとも彼女だからやりにくいのか。
わたしの心の殻が厚くなっていく、それって被害者ぶってるだけなのか。
挨拶も返されないなんて、人間以下の扱いよ。
路傍の石と同じよ。
それでも我慢できるのは、たぶん子どもができるまで。
もしくは、理性が保たれるまでだ。
その先は知らん。もう知らん。
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