ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
依然として、混乱した日は続く。
情報源をひとつ遮断した。これで少しは楽になると思った。
ついったは楽しかった。いろんな人と会うことができた。
だけど、知ったばかりにおかしくなることも、見てきてしまった。
自分がこんな状態でなければ、親しい者達のついーとを見ても「楽しそうだなー」で済ませられたのだが。
巡るのは、もう10年前のこと。秘密にされていた、僕が関わることのできなかった事実がひとつ。
それは確かに僕が知らなくても、関わることができなくても仕方なかったことなのだけど、それをもっと早くに知っていたら、僕はあんな愚かなことはしなかっただろう。
もっと早くに知っていれば、僕が敵うわけがないと、そっと離れていたことだろう。
僕が大事にしたかった者同士が繋がった話。
よくあることだ。友人同士が知らない間に肉体関係を持っていることなど。
高校生の時もあった。付き合った人は、その時にとても仲良しだった娘と関係を持っていたようだった。
知るのは、いつも後。今回も。
今回の件を知ったのは3年前。だから、もう乗り越えたものだとばかり思っていた。
しかし、その2人が2人だけで遊んでいるのだと解った時に、ODをしても、友人に泣きついても、覚悟を決めようと思っても、心がちゃんと鎮まることはなかった。
2人の中ではもう過去のこと。僕のなかでは、まだ生々しい事実。
僕は2人が好きだった。憧れていた。精神的な強さを、肉体的な美しさを。
だから、2人が僕よりも先に会うことが辛かった。それを叱られたこともあった。
僕がいけなかったよな、なんて思ったけど、僕がまったく関係ないところで繋がっていた2人。
それをずっと黙っていた。隠していた。僕には関係のないことだから。
姦ったくせに、何も言わなかったくせに、エラそうこと言わないで。
どうしてそんな美しい娘と肉を繋げた後で、僕のようなおぞましいものと繋がった?
責任なんて、他のことなんて、何も考えられないけど、繋がった。僕とも繋がってしまった。
その穢れは、忘れようとも、忘れようとも、絶対に君から離れない影のようにつきまとうだろうさ。
彼女と姦ったことを知っていれば、君と繋がろうなど、そんな方法で役に立とうなど、考えなかった。
元より代償の方が大きそうだとは解っていた。なにせ、二次元でも三次元でも美しいものを見慣れている男など、相手にしたら僕が壊れることは高校の時分より解っていたことだ。
それでも、気に入ってほしくて、好きになってほしくて、役に立ちたくて、無茶なことをした。その結果がこれだから、あの子もさぞや呆れたことだろう。
あの子が、知っているかは解らない。たぶん、僕が知っていることなど、知らない。一生、言わないだろう。自分のことは言わない子だから。
僕はもう知っている。ずっと知っていた。心が膿んでいくのを止められなかった。
君と独立した関係であることをちゃんと解っていたら、依存せずにちゃんと関係を構築できていたら、僕がこんな底まで堕ちなければ、そんな事実があったとて揺らぐことはなかったかもしれないよ。
今はもう全て泡沫のなかの記憶。夢みたいだ。何でこんな目に遭っているのだろう。
僕には力も、覚悟も、何もない。美しいものも持っていない。何の取り柄もなく、身体は醜く、人に捨てられてばかりだった。
大事なものも持ってきていたのに、やり方を間違えた。どこで間違えたのか、遡っても遅いんだ。
僕がこうして後悔して自分を苛んでいると、きっとあの子は呆れて溜め息を吐くだろう。
もう関係なくなったから。僕が悲しんでいても、辛くなっていても、あの子が心配してくれるようなことはない。遊びにくるわけでもなし、話にくるわけでもなし。
それをまた繋げよと、関係を構築していけと、言うのなら、僕は死を選ぶ。
死ぬことで、償いと贖いとが済むように。今の僕にできることなんて、微かもない。
もう、本当にあの子にとって必要じゃなくなった存在が、僕なのだろう。関係の再構築と言われたけど、こんな遠い場所で、どうやって君は僕を再評価できるというのだろう。
苦しいことばかりだ。辛いことばかりだ。
僕は何故、こんなにもあの子を信じることができないのだろう。
喉がすぼまる。涙が零れる。だけど、まだ信じることができない。近付けない。
僕は今までずっと何をしてきていたのだろう。あの子の力になれるだろうかと、何を。
もう力になることすら許されない。何もしちゃいけない。一番いいのは、あの子に近付かないことじゃないのか。
それが違うというのなら、教えてほしい。僕はどうしたらいい。自分で見つけなきゃいけないことなのだと解っているけど、間違ってばかりだ。失ってばかりだ。君はどこへ行くのだ。元から一緒になんて歩いてなかった。だけど、もう死ぬ時に思い出すことができなくなってしまう。
僕は死ななくちゃいけないのだろうか。怖いことばかりだ。
落ち着いていたと思ったら、こんなふうに荒れるのだ。
気持ち悪い。気持ち悪いよ。そんな気持ち悪いものに僕を巻き込まないで。
僕は彼女もあの子も好きなんだよ。ただそれだけでいい。それだけでいい。
嫉妬したくない、羨ましくなんかなりたくない、張り合わなくていい、2人のことは2人のことだから、僕には関係することは許されないの。
ただ、2人に何かできる自分で在りたかった。姦ったなんて知りとうなかった。秘密になんてされたくなかった。2人とも、馬鹿。酷い。
またひとつ、心壊れて朽ちていきます。カウンセリングは再来週です。遠いよ。
こんなに荒れているけど、彼女は何事もなく家事や子育てに奮闘するでしょうし、あの子も何事もなく仕事して友人らと楽しく過ごすことでしょう。
僕だけがいつも二の足を踏んでいる。何かしら気にして動けずにいる。2人がどうやって乗り越えたかは解らない。僕には解らない。
僕が弱いだけかもしれない。僕が駄目なのかもしれない。2人とも好きなら好きでいいのに、どうして許せなくなる。この怒りは、憎しみは、嘔吐きは、何なの。
僕は僕自身で在りたいと願っていた筈だ。
しかし、こんなにも女だ。性の役割を恋仲相手に担うようになってから、堕ちていった心はまた元に戻れない。
子を殺しても、女に裏切られても、男に代替品にされても、まだ女だ。卑しい蜘蛛のように巣の中心で待つ。おこぼれでも何でも、もらえればいい。
これ以上、僕が僕でなくなる前に、死にたい。
ひとつ、またひとつと言葉と心を重ねる度に、僕が崩れていく。
でも、吐き出し続けなければ、僕はもっと違うものへと生き続けることになる。
時々、こうなるんだ。もう大丈夫だと思った次の日、朝起きるともう気分が決まっていて、駄目になったり、良くなったりする。
捨てられたくない、失いたくない、侮られたくない、大事にしたい、忘れられたくない、好きでいたい、僕は僕のままで大事なものを大事といえるようになりたい、そこに男も女も人か者かも関係なく、僕は何かに左右されずに僕の信じるものを信じ続けたい。
それは誰もが当然のようにやってきて、行っていることだ。今頃になって始めている僕がおかしいのかもしれない。もうそれは仕方ない。
苦しい。辛い。喉がすぼまる。窒息しそうだ。
本当は今すぐにでも、痛くないのなら、怖くないのなら、手首を掻っ切って死んでしまいたい。
雨のなかを飛び出して、山へ。境界線を越えて、守護者達の元に還りたい。
僕の居場所はどこだ。自分で作ってきた筈だ。今回はそれを自分で壊してしまった。だから、また自分で作るのだ。そう思ったばかりではないのか。
心の強さを、肉体の美しさを、願う僕の苦悩など、彼女にもあの子にも解らないだろう。解らなくてもいい。もう秘密なんか無しにして。全部を受け入れられるような強さを手に入れるから。そしたら、きっと誰を傷つけることもなく、僕は僕のままでいられる筈だ。
もう自分しか居ない。僕には僕しか居ない。失うわけにはいかない。
君の目を見て話せるようになるには、僕が僕を見つけて成長させて導くしかないんだ。
それは僕にとって、大事なことなんだ。たとえ、君にとっては面倒事でしかないとしても。
だけど、死にたい。喉が絞まる。絞められる。自分が自分じゃなくなる。
死にたい。でも、死にたくなかった。怖いのだ、忘れられることが。
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と、言われても仕方ないほど、死ぬことしか考えられない毎日が続く。
一応、仕事には行っているけれども、行っているだけで、いつも心掛けている「+αの行動」ができない。
言われたことだけをやり、機転が全く効かず、気付けば思考に耽っていて、今日も辛い一日になってしまった。
それら全て、自分の所為なんだけど、どうしてもどうしても偏っていってしまうのだ。
自分の所為で大事なものを失くした、と何度言い聞かせれば済むのか。
何度言っても事実は変わらないし、何も起きない。過ぎてしまったことだから、取り返しなんてつかない。
そんなことをこねくりまわすよりも、これから先のことを考えた方が建設的であることも解っているつもりだ。
だけど、まったく考えが追いつかない。自分の所為でこんなことになったのに、そのことで死にたくなっても仕方ないのに、ついてしまった悪癖はまだ治ることなく、心を蝕み続ける。
これでは馬鹿にされても仕方ない。嘲られても仕方ない。僕はまだ自分に何も許せていない。相手からの許しを乞うから、余計に自分が救われなくなる。
相手に言われたことを頭の中で繰り返す。何度も繰り返す。
しかし今の自分では、その真意など図れはしない。なにしろ落ち着かない。すぐにでも死にたくなるような、異常事態なのだ。
そんな時に考えたってどうしようもない、と相手からも言われていたのではなかったか。
相手と築いてきた関係を壊してまで、僕が守りたかったものは僕だけだった。
そのことが悔しいやら寂しいやら情けないやらで、涙すら出てこない。悲しいけれど、それ以上に後悔しているのだ。
こんなにも後悔したのは、いつ以来だろう。後悔しないように、自分の心が言うとおりに動いてきた筈なのに。また、間違えてしまったのか。
間違えることなど、ざらにある。珍しいことではない。寧ろ正解を選び続けることこそ、有り得ないことだろう。
だから、間違ったのなら、次は正解を選べるようになればいい。それは何の為なのか、次に行く為か、生きていく為か。
僕は、僕の為に、相手の為に、次は正解を選ばないといけないのか。それでいいのに、何故まだ躊躇うのか。
友達でいたいと願った。その通りにできると思った。
相手と自分との関係を保ったまま、自分を変えていこうと思った。
けど、事はそれだけでは済まなくて、相手も意識を変えざるを得なくなった。それ即ち、この関係の変化を指す。
僕はそれを一番望んでいなかった。だけど、やらかしたことがもたらす結果は、そういうことだ。関係を変えてしまうほどのことを、僕が言葉を選ばずにぶつけてしまったのだ。自分が楽になりたいが為に。相手に嘘を吐きたくないが為に。
相手はそれを聞いて尚、僕とまだ友達でいたいと言ってくれた。その為に関係を再構築すると言った。この関係を独立したものではなく、友達に変えていくと言った。
僕にとって、友達というものはとても広義で、曖昧で、だけど必要なものだ。その子は友達の中でも、かなり特殊なところに居た。それを変えるなど、どうしたらいいのか解らない。
けど、そこで僕が文句を言うことは許されなかった。
当たり前だ、自分の所為で関係を切ることになるかもと思って言ったけれど、向こうのおかげで関係を切らずに済んだ。
救われた分際で文句を言うなど、自分の立場が解っているなら、絶対にやりはしないことだ。
だけど、友達でいられるのか? 本当に?
僕とはもう普通に話せないし、遊べないんじゃないのかって、疑う。
それを何とかしていくのが僕の贖いに当たるのだろうか。相手の信用を得る為に。
僕は信用も損ない、関係も崩してしまった、ただのクズだ。そのクズ相手にまだ友達でいたいと言ってくれたことは嬉しいけど、それを「普通の友達」なるものにするのなら、これ以上、何かを言うこともすることも許されない。
その距離は極めて遠く、きっと今までのように話せていたことも、できていたことも、できなくなる。
そうしたら、何が残るのだろう。クラスメートとか、近所の人?
顔を見たら挨拶をする程度の? 近所でたまに会う程度の、そういう他愛もない存在に、なるのだろうか?
「お前の中の友達って何なんだ」と、僕は訊かれるだろうし、僕も相手に訊くだろう。
今までの関係が心地よくて、その関係を強くできるのなら、許してもらえるのなら、僕自身が変わって今度こそって思えた。
それが変わってしまうのなら、違うものになってしまうのなら、君が居るだけなら、それを僕は受け入れるべきなのか。その一抹の慈悲のような感情も、僕は否定してしまうのか。
それが病気の所為なのかは解らないけれど、悲観的になってしまうのです。
今までのことが無かったことになるように、嘘に変えてしまったかのように、僕は胸に穴を開けた状態でいるのです。
それが、自分の責任です。罪です。罰です。でも、そのように悲劇ぶったところで、救済は訪れません。
結局、僕が這い上がらければ、何も届かないのです。相手は僕の言ったことで砕かれたものがあるのでしょう。僕が傷つけた部分もあったでしょう。それを抱えて、僕とまだ友達でいることを選んだ。今までのことをリセットしても友達でいることを選んだ。
関係の再構築と言われても、僕にはどうしたらいいのか解らなかった。
今までのように話せないのに、遊べないのに、どうしたら再構築できるのか解らなかった。
なにしろ、僕は昔よりも変わってしまった。誰かの為に頑張るということができない。頑張りたくても、自分に足を取られる。
君がもう居ないのに、何をどう頑張るのだろう。僕なんかが頑張ってどうなるのだろう。
生きていくことの重みに感じていたけど大事にしたかった、そんな足枷を、僕は自分の足ごと切断してしまったようなものだ。歩いていくための足がもう無い。
相手はもう僕との時間を持たないでしょう。会うこともないのでしょう。
そう思うと、涙が止まらないのです。そうなる為に、そんなことを望んで、僕はまた友達でいたいと言ったのだろうか。
過干渉しないように、もう僕が何もしない方が相手の為になるから、先生に言われた通りに言葉のキャッチボールをすればいいと思うけど、今の僕にはできないのだろう。あの子の話を聞くこともできない。
10年近くかけて、依存してしまった。そのような体制に甘えてしまった。
「依存しちゃだめだ、一緒にいられなくなる」と昔の自分は知っていたのに、ここ近年、辛いことばかりで、離れていく人ばかりで、僕がいつの間にか離れてしまっていた。もう駄目なんだと、諦めてしまった。
どんなことがあったとしても、僕がひんまがった原因がそこにあったとしても、今回のことは僕自身が引き起こしてしまったこと。それは受け入れないといけない。
受け入れて、どうする。次なんて、あるのか。
相手の目を見て話せるようになることを目標にしたけど、また会うことなんてあるのか。
それまで僕の心は生きているのか。死ぬことを何度も想像する僕に、未来なんて。
完全に依存しきってしまうと、相手との関係も、自分の心も壊します。
自分ひとりで立って、歩けないと、相手との対等な関係なんて作れないのですね。
そのことを解っていたつもりでも、自分の辛い体験に心が折れて、本来は巻き込む筈のない人を巻き込んでしまった。
今、僕の側には誰も居ない。一緒に寝られるような人も居ない。寂しい時に手を繋いでくれるような人も居ない。
僕の所為だ。じゃあ死ぬのか。贖いきれないから、死ぬのか。それで何を果たしたつもりになっているのだ。
まだ書き続けなければならない。僕は僕のこと徹底的にばらして、傷を癒さねばならない。
もう誰も居ない。僕はいつ死んでもいい存在だ。誰も居ない。寂しい。僕の所為だ。死にたい。
生きていてもまだ向こうに、光はあるのか。また話せる日は来るのか。ぼくはこのまま死ぬべきなのか。
喉がすぼまる。声がでづらい。
光の人 / ZABADAK
金曜から日曜までの3日間で、青森に行ってきた。
母の帰省に毎回くっついていくのだけど、今年は行けないことを予想していたのだ。
だけど、帰ることができた。今の店は結構、休みに関して緩い。僕が居なくても店が回るなら、三連休でもいいよと言ってくれたのだ。
それで行ってきた。青森はやはり良い場所だね。そして、お盆の時期であること、山と海が近いことも手伝ってか、とても濃厚な境界線に居るのだと思うんだ。
あっち側とこっち側に、望めばすぐにでも行けそうな距離でさ。明け方や真夜中、ひとりで起きた時は怖かったんだ。家の中はまだ安全だと思っていたけど、ちょっと開いた箪笥の隙間とか、外と通じている窓の向こうとか、何かが見ているんじゃないかって怖かった。
それが、姉さんに会ってから変わった。そいつらと渡り合えるよう、必要以上に怖がらないよう、世界の見方を変えたの。
そうしたら、怖がること自体を考えるようになった。何故、怖がる。何故、恐れる。そこにどんな理由があって、僕は何を感じているのだろう、と。
いろいろと考え事するのに適しているのが青森だったので、今年も行けて良かった。
あと、ばあちゃんが気がかりだ。3年前にじいちゃんが亡くなってから、弱った身体に鞭打って、ばあちゃんはひとりで生きている。
以前、じいちゃんと住んでいた家は引き払って、小さなアパートで一人暮らし。何の思い出もない場所で、ひとりで生きている。
その孤独がどんなものか計り知れなくて、僕は毎年帰る度にばあちゃんの心身の状態が悪化していく様に壮絶さを思う。
「本当は今すぐにでもじいちゃんの後を追いたいけど、頑張って生きるから」と、ばあちゃんは言っていた。
その言葉通り、寂しくても悲しくても調子悪くても、ばあちゃんは生きている。今年も、寝たきりだけど笑顔で会話してくれた。
その姿がいつ最後になってしまうのかって思うと、勝手に涙が出る。怖かった。
自分が生きている日常が、不変なものなんて何一つないんだって解って、怖くなるのだ。
変わってしまった。いろんなことが変わってしまった。
じいちゃんはもう居ないし、ばあちゃんも調子悪くて寝たきりだ。昔はよく料理してくれて、墓参りの弁当だって、ばあちゃんの手作りだった。
僕は昔からばあちゃんの作る塩のきいたおにぎりが好きだった。それだってもう食べられないのだろう。否、今度は僕がばあちゃんに作ってあげるべきなのだ。
失ったものばかり数えている。
そのなかで、「生きていかなきゃ」と言える人達の背中を見ていて、取り残されたような気持ちになる。
僕は「生きていかなきゃ」と思ったことはない。堕胎の時も、「死ぬことはできない」と罰を受けたような気持ちでいた。「生きていかなきゃ」とは厳しくも前を向いた発言ばかりが該当していたように思うのだが。
僕はそんな気持ちになれない。いつだって死ぬことばかり頭の中を巡っていた。そのことで人に怒られてけなされて、それでもやめられなかった。だって、勝手に頭の中でそんなふうに片付いてしまうんだから。僕だって、本当は。
この歳まで生きてきて、何だか自分がひどく無駄な時間を重ねたように見えてきた。
それでも、僕自身に価値が無くても、生み出した物語には価値があるのだと思えた瞬間、少しは生きることが楽になってきたのだ。
僕に価値が無くても、意味が無くても、僕にしか生み出せなかった物語が意味を持ち、価値を与えられて、残っていく。それは今までの僕の成してきたことのなかで、一番、尊いことだと思えた。
そう思えることこそが幸せなのかもしれない。本当は価値なんて、意味なんて、無いかもしれないけど。それでも、僕が信じることで、変わってくるものがあったのだ。
生きていくとは、斯様に難しいものか。って、知っていたけど、その壁にまた阻まれた。
自分の所為で失ったものを数えて、その痕跡に涙が止まらなくて、もう自分がどうしたいのかなんて、どうすればいいのかなんて、解らない。
そんな時に頼っていたひとを失ったのだ。どこを見ていいのか、何を聴いていいのか、解らなくなった。そこで、そのひとにこんなにも依存していたのか、と途方に暮れる。あれだけ「依存しちゃだめだ」と言い聞かせていた自分は、どこで抹殺されたのだろう。
何度振り返っても、何度考えても、解らない。その時の自分に近付けやしない。
解っていることは、もう以前のように遊べないこと。話せないこと。思えないこと。
今までのことなんてこれからには関係ない、関係を再構築するのだと言われても、僕にはもう繋げられないのではないかと危惧する。
これだけ離れているのに。会いにきてくれたことだってないのに。いつも僕から動いていたのに。今回もそうしろと? それで君は笑ってくれるのか? 笑わないのだろう。それが僕への罰なのだから。
周りの人間より劣る僕が、どうしたら近付けるんだ。
また思考停止しているのだろうか。何も思いたくないと、考えたくないと、立ち止っているのだろうか。
自分の悪いところにだけ目を向けて、この先のことを考えられないようにしているだけなのか。
辛くて苦しくて、でもそこに当てはまる言葉は「死にたい」ではなく「寂しい」だった。僕は寂しいのか。どうして寂しいんだ。もう会えないって思うからだ。あぁ、死にたい。
どうして、あと一歩なのに、死ねないんだ。怖いのか。怖いんだな。僕もだよ。
Komm,süsser Tod~甘き死よ、来れ
内容にもよると思うけど。
いつもお世話になっている病院から紹介されたカウンセリングルームに行ってきました。
各停しか止まらない駅だけど、静かで良い場所だったと思われ。
そういえば、大学の頃に一人暮らししたいなって思った時、そこの駅が最寄りだったらいいなぁなんて考えていたっけな。
そのカウンセリングルームはアパートの個室を貸りて営業している場所で、随分と落ち着いた雰囲気のなかで話をさせてもらえたのだった。
今は自分でも結構、気分が大人しくなったなと思うけど、どうだったろう。
先生に45分の間、思いつく限り、いろいろ話した。順を追って話していこうとしていたけど、途中から伝えたいことがいっぱい出てきて、結局、プロのまとめる能力に頼ってしまった。
その先生をして、「何でもありな、いろんな経験をなさっているのねぇ」なんて、呆れとも何ともつかないコメントをいただく。
まぁ、自分でもそんじょそこらでは経験できない類のことしてきたなって思うけど。
今回の話が起こった原因と自分で思っている、とある姉さんと、子ども堕ろすことになったサイコパスとの一件を話した。
今回、僕が駄目になってしまった話を聞いた先生は、相手の子を「とてもしっかりしているし、冷静に話ができている。良い人ね」と評価する。
それは僕がどんな状態だったなら、言えたことだろう。確かに冷静だし、しっかりしているのだけど、僕がこんなだから時折それが冷たく見えることもあるの。
と、同時に、それだけ冷静で落ち着いて、しっかりしている人間に対しての、この僕の愚かさと浅ましさが浮き彫りになって、生きるのが辛い。
相手を称賛すればするほど、僕は汚い生き物のままで、向かい合っていると自分の本当に駄目な部分が見えすぎる。
僕は逃げたいだけだろうか。だって、相手がすごいからそれに合わせて自分もすごくなろうなんて、それこそ馬鹿だ。身の程を弁えていない。
相手が僕に話してくれたことを、僕はちゃんと聞いていなかった。
弱音とも取れるようなその話をされたことを、僕は信頼の証のように捉えることができなかった。周りの人間の方が、よっぽどあの子の話を聞いて、役立つことを言えて、楽しい思いをさせて、気分を変えられるだろう。あの子を変えられるだろう。
僕にそんな力は無いんだ。あの子の為にできること、少しはあると思っていたけど、全然無かったんだ。当たり前だ、自分のこともままらないのに、あの子の為にできることなんて。
「なんだか、寂しいね。あなたは自分が糧になれている思えない。それが、あなたの一番辛い部分だね。相手が弱音を吐いてきても、何で? と思って話を聞いてあげられない。何かしたい、何かしないと捨てられるといつも思ってしまう」
「いつも現物支給のような形だけど、気持ちのやりとりをしないと。その方は自分から動くような方ではないから、あなたが会いにいって話に行っている。押しかけなんとやらね」
「そんな部分を変えたいのなら、最低でも4、5年はかかる。カウンセリングしていくなかでも、自分と向き合わなくてはいけないから、ストレスも溜まるしね」
「あなたはピッチャー役が多いね。自分の気持ちは素直にぶつけている。でも、たまにはキャッチャー役もやらないと。対等に言って、言われての関係を作るなら、そうしていかないとね」
と、大体、そんな感じで言われてしまった。当たっているので、特に何も言い返すことはできず。
僕は自分の話ばかりで、相手の話を聞けないのだろうか。
思い返せば、その子に関しては、ずっとそうだった。
その子が弱ったような姿勢を見せた時に、ただ話を聞くということができなかった。何かしなくちゃ、僕が何かしなくちゃとそればっかりで、自分のことばっかりで、恩着せがましかったのは言うまでもない。
他の友達にはできるんだ、できたんだ、普通に。
捨てられるかもしれないとか、いなくなってしまうかもしれないと思っても、また繋ぎにいけばいいと思えたんだ。
その子を失うことが怖くて、何でもいいから必要としてほしくて、無茶なことばかりをやっていた。否、それが無茶だなんて思うことなく、できると思っていたんだ。
何もできない。自分のことだって、零している。
新しいPCが来たので、暫く書くことに専念しようと思います。
自分のなかが、ちからが、穢れを溜め込んでいるのだということが、すごくよく解る。
部屋を真っ暗にして、不可視の存在にひたすら語り掛けました。
自分のなかから言葉にして出したものが、漂っている。
自然に触れることがなくなった所為なのか、発散することが下手くそなのか。
僕はその子と友達でいることを選んだけれど、今の僕にはそれができないだろう。
ただ暗く狭く続く道が、僕とその子を繋いでいるとは限らない。
それでも、不可視の存在にすら見えている、薄い細い糸を切らずにおこう。
書き続ければ見えてくるものがある。僕の中のものが、その子に対する感情やことばも。
4、5年が経っても、同じことを言っているかもしれない。
それでも、僕は最低限、そこから逃げずにあの子と友達でいたいと思えるのでした。
その資格が無いとしても。必要とされていないとしても。
それは解らないけれど、昨日よりはマシな状態になった。
仕事を今日は休ませてもらって、考えないようにして病院へ。
久しぶりに行った心療内科で、話をして少し泣く。
この泣く時も、僕は溜めていたものをあの子の前で吐き出すようにしていたから、それができなくなるのなら、泣くことも自分ひとりでできるようにならなきゃって思う。
薬はたくさん飲むのが怖くて、買わなかった。
たった7錠でも、あの頭痛と身体の怠さはなかなかくるものがある。
衝動的に切ったり、ODしたりでは、今の仕事場に迷惑が掛かる。だからできないと思うと、余計に死への近道に入り込みやすくなる。
死にたいと思った。強く強く思った。
リストカットでも、溺死でもいいから、とにかく死にたいと。
だけど、本当に意識を手放すその瞬間に「あ、やっぱり死にたくないや」と思ってしまいそうで、それが怖くて死ねなかった。選ぶことも、実行することもできなかった。
この先を生きていくと、辛いことばかり起きる。
楽しいことや幸せなこともあったけど、苦しいことや悲しいことの方が思い出せてしまう。
その悲痛さも辛苦も、あの子の存在を頼りにして越えようとしていた。
依存しないようにって思っていたけど、慧香のことも坂本さんのこともあった後では、あの子を信じようとすることで精一杯だった。
今もまだ解らない。
今までの特別視した関係から、普通の友達とやらになることを、理解できない。
そうなるくらいなら、友達じゃなくてもいいんでないかって、自然に思ってしまう。
そうじゃなく、これからの関係構築で、あの子は何を手に入れようとしているのだろう。
手に入れるのではなく、僕と縁を切るつもりが無いだけか。
僕は物語から飛び出してきたような存在だから。
このリアルで生きていくには、およそ邪魔になるような感動や感激や激情を有しているから。
事実は小説より奇なりというじゃないか。僕はあの子に思い入れが強すぎるのだ。
けど、止まれない。もう止まれない。
それはあの子の所為じゃない。僕の所為だから、関係を変えてほしくなかった。
関係が変わったら、もう近付けない。どこに居ていいのか解らない。
僕は強くならなくちゃいけないと、何度も言い聞かせてきた。
それよりも何よりも、あの子を大事にできるような魂の器が欲しい。信じてほしい。
戦いも、運命も無いと思われる日常のなか、明日も元気に生きていてくれるとは限らないから。
本当はそう思われるのも好ましくないのかもしれない。僕の勝手だから何も言わないだけで、本当は気持ち悪く思っているかもしれない。
死にたくて、死にたくて、そんな時に思い出す顔はもうあの子じゃないけど、忘れたわけではない。
死を想えば想うほど、あの子に会いたくなることもある。逆に会わずに死にたいと思うことも。
もう、人を信じる最後の砦ではないのかもしれない。あの子が嫌がるなら、やめなきゃ。
僕は言葉で何度でも語るから。
ぼくに戻れるまでは、僕とわたしの境目を行ったり来たり。
特別視したっていいじゃないか。できれば君にもそう思ってほしいと、まだ考えてしまう。
そしたら、何も怖くなくなるのか。
生きていく為に利用するのか。
他の人間より数倍は手が掛かるけど、僕はまだ生きている。
死にたいと言いながらも生きている。
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