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死を想うより、人を想え


と、言われても仕方ないほど、死ぬことしか考えられない毎日が続く。
一応、仕事には行っているけれども、行っているだけで、いつも心掛けている「+αの行動」ができない。
言われたことだけをやり、機転が全く効かず、気付けば思考に耽っていて、今日も辛い一日になってしまった。
それら全て、自分の所為なんだけど、どうしてもどうしても偏っていってしまうのだ。

自分の所為で大事なものを失くした、と何度言い聞かせれば済むのか。
何度言っても事実は変わらないし、何も起きない。過ぎてしまったことだから、取り返しなんてつかない。
そんなことをこねくりまわすよりも、これから先のことを考えた方が建設的であることも解っているつもりだ。

だけど、まったく考えが追いつかない。自分の所為でこんなことになったのに、そのことで死にたくなっても仕方ないのに、ついてしまった悪癖はまだ治ることなく、心を蝕み続ける。
これでは馬鹿にされても仕方ない。嘲られても仕方ない。僕はまだ自分に何も許せていない。相手からの許しを乞うから、余計に自分が救われなくなる。

相手に言われたことを頭の中で繰り返す。何度も繰り返す。
しかし今の自分では、その真意など図れはしない。なにしろ落ち着かない。すぐにでも死にたくなるような、異常事態なのだ。
そんな時に考えたってどうしようもない、と相手からも言われていたのではなかったか。

相手と築いてきた関係を壊してまで、僕が守りたかったものは僕だけだった。
そのことが悔しいやら寂しいやら情けないやらで、涙すら出てこない。悲しいけれど、それ以上に後悔しているのだ。
こんなにも後悔したのは、いつ以来だろう。後悔しないように、自分の心が言うとおりに動いてきた筈なのに。また、間違えてしまったのか。

間違えることなど、ざらにある。珍しいことではない。寧ろ正解を選び続けることこそ、有り得ないことだろう。
だから、間違ったのなら、次は正解を選べるようになればいい。それは何の為なのか、次に行く為か、生きていく為か。
僕は、僕の為に、相手の為に、次は正解を選ばないといけないのか。それでいいのに、何故まだ躊躇うのか。

友達でいたいと願った。その通りにできると思った。
相手と自分との関係を保ったまま、自分を変えていこうと思った。
けど、事はそれだけでは済まなくて、相手も意識を変えざるを得なくなった。それ即ち、この関係の変化を指す。
僕はそれを一番望んでいなかった。だけど、やらかしたことがもたらす結果は、そういうことだ。関係を変えてしまうほどのことを、僕が言葉を選ばずにぶつけてしまったのだ。自分が楽になりたいが為に。相手に嘘を吐きたくないが為に。

相手はそれを聞いて尚、僕とまだ友達でいたいと言ってくれた。その為に関係を再構築すると言った。この関係を独立したものではなく、友達に変えていくと言った。
僕にとって、友達というものはとても広義で、曖昧で、だけど必要なものだ。その子は友達の中でも、かなり特殊なところに居た。それを変えるなど、どうしたらいいのか解らない。

けど、そこで僕が文句を言うことは許されなかった。
当たり前だ、自分の所為で関係を切ることになるかもと思って言ったけれど、向こうのおかげで関係を切らずに済んだ。
救われた分際で文句を言うなど、自分の立場が解っているなら、絶対にやりはしないことだ。

だけど、友達でいられるのか? 本当に?
僕とはもう普通に話せないし、遊べないんじゃないのかって、疑う。
それを何とかしていくのが僕の贖いに当たるのだろうか。相手の信用を得る為に。
僕は信用も損ない、関係も崩してしまった、ただのクズだ。そのクズ相手にまだ友達でいたいと言ってくれたことは嬉しいけど、それを「普通の友達」なるものにするのなら、これ以上、何かを言うこともすることも許されない。
その距離は極めて遠く、きっと今までのように話せていたことも、できていたことも、できなくなる。

そうしたら、何が残るのだろう。クラスメートとか、近所の人?
顔を見たら挨拶をする程度の? 近所でたまに会う程度の、そういう他愛もない存在に、なるのだろうか?

「お前の中の友達って何なんだ」と、僕は訊かれるだろうし、僕も相手に訊くだろう。
今までの関係が心地よくて、その関係を強くできるのなら、許してもらえるのなら、僕自身が変わって今度こそって思えた。
それが変わってしまうのなら、違うものになってしまうのなら、君が居るだけなら、それを僕は受け入れるべきなのか。その一抹の慈悲のような感情も、僕は否定してしまうのか。

それが病気の所為なのかは解らないけれど、悲観的になってしまうのです。
今までのことが無かったことになるように、嘘に変えてしまったかのように、僕は胸に穴を開けた状態でいるのです。
それが、自分の責任です。罪です。罰です。でも、そのように悲劇ぶったところで、救済は訪れません。
結局、僕が這い上がらければ、何も届かないのです。相手は僕の言ったことで砕かれたものがあるのでしょう。僕が傷つけた部分もあったでしょう。それを抱えて、僕とまだ友達でいることを選んだ。今までのことをリセットしても友達でいることを選んだ。

関係の再構築と言われても、僕にはどうしたらいいのか解らなかった。
今までのように話せないのに、遊べないのに、どうしたら再構築できるのか解らなかった。
なにしろ、僕は昔よりも変わってしまった。誰かの為に頑張るということができない。頑張りたくても、自分に足を取られる。

君がもう居ないのに、何をどう頑張るのだろう。僕なんかが頑張ってどうなるのだろう。
生きていくことの重みに感じていたけど大事にしたかった、そんな足枷を、僕は自分の足ごと切断してしまったようなものだ。歩いていくための足がもう無い。

相手はもう僕との時間を持たないでしょう。会うこともないのでしょう。
そう思うと、涙が止まらないのです。そうなる為に、そんなことを望んで、僕はまた友達でいたいと言ったのだろうか。
過干渉しないように、もう僕が何もしない方が相手の為になるから、先生に言われた通りに言葉のキャッチボールをすればいいと思うけど、今の僕にはできないのだろう。あの子の話を聞くこともできない。

10年近くかけて、依存してしまった。そのような体制に甘えてしまった。
「依存しちゃだめだ、一緒にいられなくなる」と昔の自分は知っていたのに、ここ近年、辛いことばかりで、離れていく人ばかりで、僕がいつの間にか離れてしまっていた。もう駄目なんだと、諦めてしまった。
どんなことがあったとしても、僕がひんまがった原因がそこにあったとしても、今回のことは僕自身が引き起こしてしまったこと。それは受け入れないといけない。
受け入れて、どうする。次なんて、あるのか。
相手の目を見て話せるようになることを目標にしたけど、また会うことなんてあるのか。
それまで僕の心は生きているのか。死ぬことを何度も想像する僕に、未来なんて。

完全に依存しきってしまうと、相手との関係も、自分の心も壊します。
自分ひとりで立って、歩けないと、相手との対等な関係なんて作れないのですね。
そのことを解っていたつもりでも、自分の辛い体験に心が折れて、本来は巻き込む筈のない人を巻き込んでしまった。

今、僕の側には誰も居ない。一緒に寝られるような人も居ない。寂しい時に手を繋いでくれるような人も居ない。
僕の所為だ。じゃあ死ぬのか。贖いきれないから、死ぬのか。それで何を果たしたつもりになっているのだ。

まだ書き続けなければならない。僕は僕のこと徹底的にばらして、傷を癒さねばならない。
もう誰も居ない。僕はいつ死んでもいい存在だ。誰も居ない。寂しい。僕の所為だ。死にたい。
生きていてもまだ向こうに、光はあるのか。また話せる日は来るのか。ぼくはこのまま死ぬべきなのか。
喉がすぼまる。声がでづらい。




光の人 / ZABADAK

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2015/08/18 語る Comment(0)

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