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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

良い岩盤と悪い岩盤、というのは、ニコニコで好きなMADで言われていた台詞なのだが、これが真っ先に浮かんできてしまったのだった。

とても久しぶりに普通の日記を書くのではなかろうか。
今日は幼馴染みメンバーのうちの1人、キングが宮前平まで連れていってくれたのだ。
そこにある「湯けむりの里」なる岩盤浴と温泉の施設が最高なのだとか。

僕はあまり風呂ひいては入浴に対して、特別な感慨は持っていなかった。
しかし、近年、LUSHのソープを使い始めたことで、入浴を楽しむということを知ったのだ。
加えて、友人と入る風呂が結構好きなのだ。他愛ない話をしながら露天風呂とか、これこそ正に最高なのだ。

岩盤浴は行ったことがなかったので、物は試しと連れていってもらった次第。
そして、とても良かったです。ゆっくりできました。
仕事で、自分の所為でささくれた神経に、汗をたっぷりかかせる岩盤浴は、不思議と苦にはならなかったのです。

サウナは苦手なんだな。肺が焼けるように感じられて、すぐに出てしまう。
岩盤浴は過ごしやすいからかな。岩塩のとこは、なかなか暑かった。でも、2回も入ってしまった。
予約して入れる岩盤浴場も入った。光がきらきらしてて、水の音がずっとしてて、25分がすごく短かった。

「天」に入り、「塩」に入り、休憩して「氷」に入り、また「塩」に入り、「岩」に入り、休憩して温泉に入り、塩サウナに入り、温泉に入り、出てきた。
3時間くらい居たのかな。ごはんも美味しかったです。お腹ほんといっぱいになった。

温泉とか入った後って、本当に肌がすべすべするな。つるつる。
あんなに荒れていて治らんかった肌荒れも、ちょっとおとなしい。もっと早く浸かりに行けば良かったか。

冬場とか気持ち良さそうなので、また行きたいです。


デトックスとか思いながら何度も入ったわけだけど、そうして自分の中から悪いものが出ていくと感じられることは、結構、今の自分には重要なのではないかと思う。
ミサトさんも「風呂は命の洗濯よ♪」なんて言っていたが、あながち間違いではない。
自分の内側も外側も綺麗にしなくてはいけない。濁ってしまうのは避けたい。

僕はさんぽに行く機会も減っていたから、どんどん悪いものを溜め込んでしまって発散することが上手くできなかった。
更に、この依存してしまった2年より前の自分が、思い出せない。こうなる前の自分は何を考えて、何を糧にして、生きていただろう。
確かに人と一緒には居たが、ここまで依存してはいなかった、筈だ。

今は云わば、毒気を抜くという一番辛い時期。だから、ついったもやめた。
依存してしまった心は楽に生きることを覚えている為、何かあるとすぐにそっちへ向かってしまう。
僕は誰かを想うふりをしていた方が、楽に生きられるようだ。だから依存する先を探す。その人を相手に愛憎を膨らませ、何でもできるような気になれる、それが気持ちいいのだと、思う。

一番長く付き合った子は、確かにすごく好きだった。
だが、ここは相容れないという部分がしっかりあったのだ。それでも優しい人だったし、誰よりも誠実だったから、信じていた。
今回、壊れるきっかけになった事象にて、渦中の人物となってしまった あの子は、優しいけど残酷ともいえる。誠実とは言い難いが、僕に対して嘘を吐く気配も無い。そして、相容れない部分というものが、曖昧だった。
本人も言っていたが、僕の話を聞き入れようとしていた部分が大きかった。それが自然に思えてしまって、依存できる土台が出来上がってしまった。
僕は、長く付き合った子に依存はしたくなかった。勿論、今回の子にも。でも、土台の出来方は違ったのだ。依存しやすい土台だと、思えていたのだろう。

僕は僕で在りたいと、何度も願う。
辛い、苦しいと、何度も呟く。
僕にとって僕の生きた価値も意味も無いけど、誰かにとっては意味のあることだったと思いたい。


幼馴染みメンバーの、いつも遠くを見ているような、兄が言っていた。
誰にどう思われたかはでなく、自分が「正しい」と信じたことをやる、遺す。

この歳まで生きて、何ができるかを考えて、何か遺したいと思って、ただ考えるだけでは止まらずに成し続ける。
それは時々、辛くて、悲しくて、負けそうになることだけど、漠然と生きるのではなく、何かを成す為に生きているのだということを教えてくれる。

僕は「生きていかなきゃ」なんて思ったこと、一度も無い。
いつも自分は死ぬべき存在だと思っていたし、僕なんかが頑張ったところでどうにもならない、結果はこの2年で出ていると感じていた。
だけど、初めて「生きていかなきゃという目標を持てるようになりたい」と、思えるようになってきた。

たくさんあるのだ、思うことなど。辛くなることなど。
今だって前向きに見えて、明日の朝にはリセットされてまた落ち込むかもしれない。
自分でももう前だけ見て、繰り返したくないのに、どこかから手が伸びてくる、忘れるなと囁かれるようだった。

こんな時にあの子に電話できたのに、もうできないんだって、思ってしまう。
しかし、よく考えてみろ。昔から何かある度に電話やらメールやらしていたが、時間差はあったろうが。
繋がりやすくなったのは本当にここ何年かの話だが、だからといって何も変わらんのだ。向こうは変わらんかった、岡山に居る時から。僕は変わった、神奈川に居続けながら。

僕は僕で在り続けたいのだ。その為に書き続けるのだ。
何かを遺したいのだ。僕自身に価値や意味が無くても、僕の物語には価値や意味がきっと見つかる。それは何よりも幸福なことだと信じる。
僕が歩き続ければ、信じ続ければ、成長したいと願えば、離れた距離も、途切れたことばも再び息を吹き返すだろう。
その時、あの子に逢うことができたら、きっとちゃんと目を見て話せるだろう。
再構築されるそのなかで、また僕が信じてもらえる日は来るだろうか。


明日になれば変わってしまうような心を、奮い立たせることはできますか。
気分だけの絶望を、拒否する力を持ち続けたい。

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