忍者ブログ
ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

金曜から日曜までの3日間で、青森に行ってきた。
母の帰省に毎回くっついていくのだけど、今年は行けないことを予想していたのだ。
だけど、帰ることができた。今の店は結構、休みに関して緩い。僕が居なくても店が回るなら、三連休でもいいよと言ってくれたのだ。

それで行ってきた。青森はやはり良い場所だね。そして、お盆の時期であること、山と海が近いことも手伝ってか、とても濃厚な境界線に居るのだと思うんだ。
あっち側とこっち側に、望めばすぐにでも行けそうな距離でさ。明け方や真夜中、ひとりで起きた時は怖かったんだ。家の中はまだ安全だと思っていたけど、ちょっと開いた箪笥の隙間とか、外と通じている窓の向こうとか、何かが見ているんじゃないかって怖かった。

それが、姉さんに会ってから変わった。そいつらと渡り合えるよう、必要以上に怖がらないよう、世界の見方を変えたの。
そうしたら、怖がること自体を考えるようになった。何故、怖がる。何故、恐れる。そこにどんな理由があって、僕は何を感じているのだろう、と。

いろいろと考え事するのに適しているのが青森だったので、今年も行けて良かった。
あと、ばあちゃんが気がかりだ。3年前にじいちゃんが亡くなってから、弱った身体に鞭打って、ばあちゃんはひとりで生きている。
以前、じいちゃんと住んでいた家は引き払って、小さなアパートで一人暮らし。何の思い出もない場所で、ひとりで生きている。
その孤独がどんなものか計り知れなくて、僕は毎年帰る度にばあちゃんの心身の状態が悪化していく様に壮絶さを思う。

「本当は今すぐにでもじいちゃんの後を追いたいけど、頑張って生きるから」と、ばあちゃんは言っていた。
その言葉通り、寂しくても悲しくても調子悪くても、ばあちゃんは生きている。今年も、寝たきりだけど笑顔で会話してくれた。
その姿がいつ最後になってしまうのかって思うと、勝手に涙が出る。怖かった。
自分が生きている日常が、不変なものなんて何一つないんだって解って、怖くなるのだ。

変わってしまった。いろんなことが変わってしまった。
じいちゃんはもう居ないし、ばあちゃんも調子悪くて寝たきりだ。昔はよく料理してくれて、墓参りの弁当だって、ばあちゃんの手作りだった。
僕は昔からばあちゃんの作る塩のきいたおにぎりが好きだった。それだってもう食べられないのだろう。否、今度は僕がばあちゃんに作ってあげるべきなのだ。

失ったものばかり数えている。
そのなかで、「生きていかなきゃ」と言える人達の背中を見ていて、取り残されたような気持ちになる。
僕は「生きていかなきゃ」と思ったことはない。堕胎の時も、「死ぬことはできない」と罰を受けたような気持ちでいた。「生きていかなきゃ」とは厳しくも前を向いた発言ばかりが該当していたように思うのだが。
僕はそんな気持ちになれない。いつだって死ぬことばかり頭の中を巡っていた。そのことで人に怒られてけなされて、それでもやめられなかった。だって、勝手に頭の中でそんなふうに片付いてしまうんだから。僕だって、本当は。

この歳まで生きてきて、何だか自分がひどく無駄な時間を重ねたように見えてきた。
それでも、僕自身に価値が無くても、生み出した物語には価値があるのだと思えた瞬間、少しは生きることが楽になってきたのだ。
僕に価値が無くても、意味が無くても、僕にしか生み出せなかった物語が意味を持ち、価値を与えられて、残っていく。それは今までの僕の成してきたことのなかで、一番、尊いことだと思えた。
そう思えることこそが幸せなのかもしれない。本当は価値なんて、意味なんて、無いかもしれないけど。それでも、僕が信じることで、変わってくるものがあったのだ。

生きていくとは、斯様に難しいものか。って、知っていたけど、その壁にまた阻まれた。
自分の所為で失ったものを数えて、その痕跡に涙が止まらなくて、もう自分がどうしたいのかなんて、どうすればいいのかなんて、解らない。
そんな時に頼っていたひとを失ったのだ。どこを見ていいのか、何を聴いていいのか、解らなくなった。そこで、そのひとにこんなにも依存していたのか、と途方に暮れる。あれだけ「依存しちゃだめだ」と言い聞かせていた自分は、どこで抹殺されたのだろう。

何度振り返っても、何度考えても、解らない。その時の自分に近付けやしない。
解っていることは、もう以前のように遊べないこと。話せないこと。思えないこと。
今までのことなんてこれからには関係ない、関係を再構築するのだと言われても、僕にはもう繋げられないのではないかと危惧する。
これだけ離れているのに。会いにきてくれたことだってないのに。いつも僕から動いていたのに。今回もそうしろと? それで君は笑ってくれるのか? 笑わないのだろう。それが僕への罰なのだから。
周りの人間より劣る僕が、どうしたら近付けるんだ。

また思考停止しているのだろうか。何も思いたくないと、考えたくないと、立ち止っているのだろうか。
自分の悪いところにだけ目を向けて、この先のことを考えられないようにしているだけなのか。
辛くて苦しくて、でもそこに当てはまる言葉は「死にたい」ではなく「寂しい」だった。僕は寂しいのか。どうして寂しいんだ。もう会えないって思うからだ。あぁ、死にたい。

どうして、あと一歩なのに、死ねないんだ。怖いのか。怖いんだな。僕もだよ。





Komm,süsser Tod~甘き死よ、来れ
PR
<< NEW     HOME     OLD >>
Comment
Name
Mail
URL
Comment Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
 
Color        
Pass 
<< NEW     HOME    OLD >>
忍者ブログ [PR]
 Template:Stars