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干涸らびた命だ


こんばんは、ふらみいです。
理不尽なことに晒され、過ぎ去ったことに未だ囚われ、誰かの言葉に傷付いた侭でいる、情けない者、わたしです。

もうね、仕事のことと私生活のことが嫌な目ばかり重なり過ぎて、涙が尽きない。
頭痛が常にして、身体が怠くなって、死にたいという気持ちが溢れて、自分でどうしたらいいのか解らなくなってくる。
もう何も考えたくなくて、考えることを放棄して、死ぬことに縋りついている。


仕事先のサブと打ち解けた筈が、この前の質問でやらかしていたみたいで、昨日の態度がごっさ冷たくなっていました。
その前は普通だと思っていたのに、あれー??
わたしの居ない時に何があったのか解らないけど、とにかく理不尽。
質問しても「いいんじゃないですか?」とか、すごいテキトーであります。
見放された? と思うんだけど、まぁそうなっても仕方ないんだけど、うーーん。

わたしの態度が悪かったんなら謝って治そうと思います、えぇ。
偉そうだと言われても、そんなつもりなかったんだもの。
年下だからとサブのことを馬鹿にした覚えも無い。
それって言っていても伝わらないことなのかもしれませんな。

とはいえ、サブの態度が変わるとか、なんなんだ。
わたしは正直、悲しいぞ。原因がわたしにあるにしても、「こいつに言っても仕方ない」と思うなら、せめて外に出さずにやってほしい。
外に出されたら、わたしにも影響が出るに決まっている。そんで、それが店内の空気になってしまうのでしょ。

そんなサブへの悲しみが悪化して、「わたしが居なくなったら楽ですもんね、ハイハイ死にますねー」という気持ちに変わってしまう。
そのいつもの思考に、自分でまた悲しくなる。なんべん同じことを繰り返す気だ、と。


そもそも、今週の頭にも例の子相手にやらかしていますからね。
遠慮した結果、電話するタイミングを外して、「変な遠慮するな」と言われてしまった。
そりゃそうだな、今まで電話する時は先に確認して、んで掛けていたから。それと同じことをすれば良かったんだ。

けど、向こうが他の人間と楽しそうにしているのを見たら、わたしなんぞの話をしてはならないって思ってしまった。
今まで聞いてくれたからって、これからも聞いてくれるとは限らない。楽しいところに居る反動で、ぼくの醜さがもっと見えて、「こっちより楽しいな」って捨てられるのが、怖かった。のだ。

10年以上の付き合いを経て今更? と思われてしまうが、それでもまだ怖い。
その子にはたくさんのものをもらったが、そこには傷も少なからず含まれる。わたしはその子に嫌われて捨てられるのが、何より怖いのだ。

だから、先に嫌って捨てようとした。
しかし、できなかった。
わたしがわたしでいるには、その子が必要なのだと解っていた。
もし、離れてしまったら、殺してしまったら、もう逢えない。それはとても寂しいことだ。
何度も殺すか死ぬかと考えたが、あの子が居ない世界はつまらない。今更、つまらないのだ。生きていてほしいと、強く思うのだ。


あぁ、わたし本当に愚かだなって、何度も感じました。
辛くて、逃げたくて、死にたくて、それが救いになるなんて、信じてもいないくせに。
壊れてしまえば、消えてしまえば、そうなったらどうなるかなんて、視えていたけど目を瞑っていたくせに。

たくさんの理屈をこねて、卑屈になって、ついったで大暴れしたけれど、本当はどうしたかったのか解っていました。
でも、わたしなんぞが頑張って何になる? だから何? という気持ちが強くなり、深くなり、何もしたくないと拒み始めていました。

幼馴染みメンバーのひとりに、
「生きているんだからさ、しっかり生きていく為にも仕事はしなくちゃね」と言われました。
もうひとりの娘は小学生の時に、
「まぁ、あたしらしっかり生きなきゃだめだね」と言っていました。
双子の姉の方はどうだろう、そんな話をしたことはなかったけど、きっと死ぬことに対して否定してきたでしょう。

何でみんな、そんなに強いのかね。
生きているから生きていこうって、わたしにとっては当然じゃない。
それはわたしが死を前提にしているからだって言われたけど、それならわたしも生きる為に何をするって考えたら、解るようになるのか。

ただ生きるだけなら、誇りも尊厳も要らない。
るろ剣の斎藤が言っていたけど、そんな生き方はしたくなかった。
じゃあ今、誇りと尊厳をもって何をしているのかっていうと、ただ生きるよりもっと否定的なことをしている。

あ、そっか、ただ死のうとしているんだ。
何かを守る為とか、何かに繋ぐ為でなく、ただ死のうとしているんだ。
美談になる筈もない、ひとりの愚か者の死だ。
けど、その愚か者が生きることを望んでくれている人達も居るんだ。

解っていた、解っていた。幼馴染みだけじゃなく、友人たちみんな心配してくれていたじゃないか。
そんな人達の為にわたしができることはない、だめだ死ぬしかないって感じていたんだ。
何でだろう、投げ出したいだけか。

銀さんに説教喰らいたい。
ぼくは背負うことから逃げているだけで、ただ死のうとすることは誇りも尊厳も必要のない行為で、みんな裏切ることになる。
一方で、ぼくは約束を果たそうとしていた。それは死んでもできると信じていた。そうじゃないと、死ぬことができない。無理にでも信じないと、死ぬことを選べなかった。

何回泣いても涙が溢れる。
何回言い聞かせても心が壊れる。
どこへ行こう、何をしよう、誰と逢おう。
ぼくのやることに意味も価値も無いんだって、まだ思う。だからって何もしなくていいわけじゃない。

自分のことは自分で片付けられるようになりたいと、その子の前で話したことがあります。嘘じゃないです。
わたしはひとりで生きていくのが怖い。誰かと一緒にいたい。しかし、今のままでは誰とも一緒にいられない。
だから、ひとりで生きていく。自分の速度で周りを見て、焦っても歩いていくしかない。
その子に言ったことがその子に届いてなかったとしても、わたしの心に偽りは無く。堂々たる気持ちで、その子へ繋げようとしていました。


涙が止まらないのは、何でだ。
死にたいからから、死にたくないからか。




季節は次々死んでいく / amazarashi

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2015/03/21 日常 Comment(0)

マジですかァ


って言っちゃうぐらいのね、衝撃だよね。

こんばんは、ふらみいです。
今日はもう死ぬことしか考えない。それぐらい疲れた。

仕事は3ヶ月を過ぎて、少しは使えるようになっているのかなーとか思っていたのだけど、全然そうじゃなかったってことが解りました。
昨日、店長にいろいろお話をされて、落ち込む気は無かったけど少し落ち込んでいたみたいで、今日サブにも「昨日、暗かったですよ。あんまり暗いと怒られちゃいますよ」と言われました。

更に、仕事のことで質問して、言われたことに納得できなくて食い下がったら、サブとじっくり話すことになってしまいました。
これで相手に喧嘩腰でこられていたら、気持ち的に「もうどうにでもなーれ」と思って喧嘩買うとこだったよ。

「教えてもらう側なんだから、謙虚になって、言われたことはとりあえずやってみるといい」というサブの話は、ですよねーって感じで納得できました。
センターで働いていた頃はそうだったのだけど、その時から「何でこうするの?」てことに納得いかなくて、あとから解っても遅かったんですよ。
だから、納得できないうちはやれないというか、やりたくないというか。下っ端のくせに、そう考えちゃう。パートなら尚更、そこまで親身になれないというか。生意気ですかね。でしょうね。

昔から根拠はないけど、偉そうにしてしまっていたようです。
でも、教えてもらうからには、何がどうしてそうなるのかってことを知らないと、何で何でって気になる。これは性。
その性を仕事に持ち込まず、とにかく今は覚えるだけなんだって言われたら、そういうもんかーって思うしかないでしょうか。雇われの、しかもまだ新人から抜けきっていないレベルで、こんな生意気な考えは潰される元でしょうか。

仕事できる能力も無いのに大口を叩くなぁ、とサブに思われているかもしれません。店長にも。
わたしはこの仕事の細部を覚える気でいたけど、3ヶ月経ってまだ基本ができていないっていう感じで言われてしまうと、そら自信も失くすし、元気もでない。
けど、そういうことはもう終わりにしたい。落ち込むよりも、やりたい仕事に就いているなら精一杯やれよって思うのだ。

べつに、彼のサイコパス予備軍の言ったことを気にしているわけではない。一生懸命に何かをやったことがないよね、と言われたことに対して、抗っているわけじゃない。
これが最後の職場であればいいなって思うから、全力を出したいだけである。もういいやーで済ますのではなく、死んで回避するのではなく、覚えたいだけなのだ。

とはいえ、習性はなかなか治らない。
ここが駄目になったらさっさと辞めて死ぬしかないねって思ったら、あぁやっと終わるんだって、すごく気持ちが楽になった。
死んだらどうなるかなんて解っているようで、解っていない。これでやっと解放されるって思えるだけ、今が一番幸せなのかもしれない。
死んで終わりにできるのなら、ここを辞めた後のことが決まっているのなら、その為にもう少しやってみてもいいかーなんて。負け犬が何かほざく。


明日は店長と2人で、明後日より新人さんが来ます。
わたしのやることは、どれぐらいあるでしょう。できることを先ずやろうと思っていたけど、「今はそれじゃないんだよ」ってことに自分で気付けないうちは、成長なんて有り得ないのでしょう。
言ってもらえるうちがいい、言われなくなったら終わりだ。そんなこたー解っている。

サブとは話ができたけど、今日のような話は店長はできなさそうである。
適応障害だったこともサブには一応、話しました。店長にも言った方がいいって言われたけれど、新人さんの様子を見てからの方がいいでしょう。
新人さんも病気だったとかいうし、それがもし精神疾患だったら、そんな奴ら2人も抱える羽目になって、店長の心の拠り所がサブだけになる。それって、店長もキツイだろうしなぁ。

わたしは今の店で適応障害になることなく、済んでいる。
落ち込むこともあるけど、次の日には何とか回復して気を持ち直して動こうという気になっている。
そう思うことが一般人の普通らしいけれど、その普通レベルにいくまでがわたしは大変なのだ。20年近くかかっているのだ。

そんなこと、誰に言ったところで、がらくたが無駄に足掻いているようにしか見えないだろうさ。
わたしだって、無駄と思っているのだ。
何を言ってもやっても、誰の為に動いても、無駄なんだって。解っているって。


2015/03/16 日常 Comment(0)

自分に厳しいわけじゃない


当然のことを怒っているだけなのだ、わたしは。

こんばんは、ふらみいです。
最近、ごはんを食べる時に「これだけ食べたらお腹痛くなるだろうな」と解っているのに、もっさり食べてしまうのです。量を調整できないのです。
調整できないっていうか、食べることでもうストレスを発散しているという状態に近い。何年か前もこんな状態にあった。
おかげで、去年の会社の一件でひきずっていた軽食で済ますという体質が、元に戻りつつある。体重もきっと増えている。

お腹いっぱい食べたところで、胃腸が弱い為にまた胃腸炎になるだけなんですけどね。
それでも詰め込んでしまう辺りに、ストレスがあるのだなっていう傾向を察します。程々にね。


お店の方で新人さんが1人、雇われることになりました。今週の水曜から出勤される模様。
ほぼフルタイムでの出勤らしいので、一緒に働く時間が長くなります。

仲良くしてこうとは思っているのだけど、それより心配なのは自分の勤務態度について、であります。
今日、店長からも言われたけど、まだ3ヶ月とはいえ、新人さんが入ってきたら、ふらみいの勤務態度も参考にされることがあるだろうから、と重圧が掛けられました。

重圧と言っても、それは当たり前のことですが。
新人さんは上司以外の人の動きも見て仕事を覚えていくものだから、フルタイムのふらみいがたとえ3ヶ月の新米抜けたかなレベルでも、見られることは見られるのです。
だから、ちゃんと基本を理解し、変な動きは見せないようにしていかなくてはならない。

その「変な動き」をしない自信がないので、今日はなんだか売り場での動きがぎこちなく、身体全体が萎縮して痛かったのでした。
あれやらなきゃこれやらなきゃ、でもあっちもやらないといけないんじゃないか、こっちも終わってないや、売り場見なきゃ・・・・・・って感じで、頭のなかが飽和する。

「全部ひとりでやらずに、チームプレイで」と言われているものの、個人の技量が或る程度あってこそのチームプレイじゃないすか。技量が足りなかったら、足を引っ張るじゃないですか。
そうなりたくないけど、たかだか3ヶ月で何言ってんだって自分で思ったり、いやでも3ヶ月だからこそ頑張らないといけなんだよお手本目指そうよって気持ちになったり・・・・・・
自分で自分を執拗に追い詰めている気はする。解ってはいる。

ついったでも言ったけれど、「仕事できない=公私ともに何言っても説得力がない」と常に自分に対して考えてしまうので、仕事ができないんだって思っただけでドーンと落ち込み、「もう死ぬしかないネ☆」と考える。
豆腐メンタルなのだけど、そのぶん仕事を重く考えているのだと受け取ってもらえれば(重く受け止めすぎなのだ・・・・・・)
仕事に自分のアイデンティティを見出しているわけでもないくせに、人並みにできないと空気を吸うことすら許されない気がするんだな。自分はな。

泣き言漏らさずに頑張れよって思う反面、自分なんかがいくら頑張ったってさぁ・・・・・・と、いつも相反する感情が渦を巻く。
とにかくやるしかない。周りに認めてもらいたいなら、やるしかないのだ。
ただ、ちょっと、アレだ、たまに死にたくなるだけだ。仕事できないのに息しててサーセンって思うだけだ。


もうね、ぼろぼろなんだな・・・・・・。
仕事もそんなだし、久しぶりに書き始めた「精霊の歌」も、ちょっと書き方が前と変わっているから、馴染ませるのが大変なのだ。
昨晩書いていてずっと「あれ、こんなだっけ? ここもっと書くっけ?」と悩みまくって、少しも進まなかった。

ここ3年くらい、ずっと「ゆめひとや」とか短編ばかり書いていて、まっくら森の歌ばりに暗い話ばかりだったから、ファンタジィの書き方じゃないって、昨晩、強く思った。
そう思うこと自体が、そもそも初めて。何書いても自分の作品は自分の作品だったのに、少しばかり書き方が変化したらしく、3年前の自分の作品を再開させるには馴染ませる必要があったのだ。

ええー、そんなことあるのか、あるんだなぁ、実際に。
何を書いても、自分の物語には違いない。だけど、表し方だとか、言葉選びだとかが、変わっている。
ノートに書く時と、ワードに打ち込む時で既に違うことは解っていたが、ここで更に細分化されるとは。

たぶん、「ゆめひとや」で万人に読んでもらえるように、文章を削いだり簡潔にしたりっていうことを続けてきたからかなぁ。
明らかに今と昔とでは「精霊の歌」の書き方が違うんだよな。最近、何度も読み返しているのであります。
書き出そうとすると違和感があるのは、読み手を意識しているからなのか、それとも「精霊の歌」の書き方をまだ思い出せていないだけなのか、はたまた他に書き途中の話がぼろぼろあるからそれ終わらせてから書けよと気になっているのか・・・・・・

「ゆめひとや」の書き方に慣れているから、誰にでも読んでもらえるように書ける。
けど、そこに自分の書きたいことはあったろうか。ちゃんと余さずに書けているだろうか。
その葛藤が再び起きようとしているのか。
よせやい、仕事で悩んでいるのに、書くことですら悩んじゃったら、あと何が残るんよ。

ゲームするか・・・・・・


2015/03/15 日常 Comment(0)

ぷつり、ぷつりと、途切れる


だんだん日常が、変化していく。
色合いとか、見え方とか。
きっと精神が安定しない所為。
この前まで平気だったことが、平気ではなくなる。
この前まで嫌だったことが、嫌ではなくなる。

なんというか、身体の調子に振り回されているわりには、変なとこで正気に戻ってしまう。
機械みたいな事務的口調も、周りの喜ばしい変化も、何もわたしに関与しないでほしいと考えてしまう。
わたしばかり損をしているとか、わたしばかり駄目になるとか、そんなことを。
誰かの話を聞いても役に立たないことを。
わたしの話は誰にしたら、わたしが納得するのだろうと。

気付いてくれと願っていた。
言っても聞いてもらえないと思ったから。
とはいえ、気付いてもらっても、向こうに得は無いから、やっぱり気付いてもらえない。
捨てられた存在はどこまでも捨てられて、最後に何になるのだろうか。

わたしは許すしかなかった。許さなければ、わたしが壊れて、なにもかも要らなくなっていた。
わたしがそうなったところで、相手なんて何も気にしないけど。何も困らないんだけど。
全て、わたしが、悪かった。そう言うには、あんまりにも多くのことが起きてしまった。

死にたいしか今は言えないんだけど、どうだよ、死んだらどうなっちゃうんだよ。
任侠はこんなこと思いはしない。守るべき約束と、相手がどんなに落ちぶれようが支えることと、それらが憧れた姿だったんじゃないか。

今のお店に迷惑かけたくないとか、いろんなこと言ってくれた人達が悲しむんだとか、言い聞かせる。
任侠を目指すのなら、もっと広く寛大な心を持てと諭される。
みんな嫌いだ信じたくない思い出したくないと思っても、みんなが危なくなるのなら、そこから守りきれる自分で在りたい。

任侠は、守れる力を欲するもんだ。
羨む必要も妬むことも要らない筈なんだ。
こんな気持ちになるぐらいなら、死んだ方がマシなんだ。
何もかも羨ましい。何もかも妬ましい。そんなに大事にされて、好かれて、いいないいなって。

もう泣きたい時にそばに居てくれるのは、不可視の者のみだ。
それはなによりも正しい風景で、どうしようもなく現実だった。

2015/03/11 日常 Comment(0)

もう何もいらない


と、思えるぐらいの堕ちっぷり。
ふらみいです。

今日はずっと仕事中、頭が痛くて、ぼんやりしていて、身が入っておりませんでした。
正直、明日も行きたくない。けど、私事で落ち込んだだけだから、本当は行きたい。
いつまでこんなこと続けんだろ、いい歳こいて!って気持ちはあるのです。
この前、誕生日を迎えたことだしな。


幼馴染みメンバーのひとりに、壮絶な体験をした娘が居まして。
しかし、病んでもまた浮上し、この半年で次の自分の道を決めた娘が居まして。
「きっと私は結婚できないし、この先3年くらいはカレシできないと思う」と言っていたのだけど、昨日、遊んだ時にカレシができたと報告されたのでありました。

で、良かったと思う反面、半年でなんとか戻れるって2年もグダったわたしは何なんだ? と思いまして。
比べることではないかもですが。

思えば、大阪の別の友人もこれからの進路に燃えていて、「私はきっとカレシなんてできないし、結婚もしない」と言った1ヶ月後にはカレシ兼未来の旦那ができていた。
今回の幼馴染みは、結婚までは考えてないけど付き合ってもいいと思えるほどの良い人に逢えたという。

彼女達はそれぞれ、それまでの人生で報われない部分があったり、辛いことがあったりしたから、今そうして心が通じあえる人に出会えたことは、すごく良いことなのでしょう。
なんだかんだ言って本人達も嬉しそうだし、ノロケるつもりなくてもノロケているよーなもんだから、それも仕方ないのだろう、けどね。

わたしは何をやっているのやら。
クソ代表みたいな男様と史上最低な争いを繰り広げ、子どもを堕ろし、転職を3回もし、この子と一緒にいられたらという気持ちを上手く繋げられず、上記の男様を彷彿とさせるような仕打ちを一番信頼していた人間に受けて心が麻痺し、未だに自立できずにいる。
精神に負荷がかかりすぎて、適応障害を発症したり、鬱気味になったり、安定もしない。
2年もこんなことやっていて、まだまだこれからなのかなーとか思っていたけど、近くでトントンと物事が上手く行き始めた娘達を見ていると、自分の馬鹿さがよく解る。

わたしは2年を無駄にした。
望まれてもいないのに頑張ろうとして、実力が無いから成果が上がらず、それでもいつかはって思って動けば動くほど空回りした。
その近くで、着実に進んでいくみんなを見るのが、やがて辛くなり、自分の駄目さに拍車がかかり、もうわたしのよーな存在は本当に何しても駄目なんだと解って、死ぬしかないと本気で思わざるを得なくなった。

彼女達が人一倍、頑張った結果とも思います。誰かに選ばれるだけの実力があったのでしょう。
だって、自分の子どもを殺したりしていないもの。傷つけ合うことはあったかもしれないけど、その末に誰かが戻らないことなんて起きなかった。

じゃあ、わたしもただ別れるだけだったなら?
そらー転職してないよ、今もセンターで働いていたと思うよ。他に何か選択肢が出ていたろうよ。
けど、そんな前のこと言ってても仕方ないのだ。起きてしまったことは起きてしまったこととして、その後をどうするかだ。

だけど、こんなにみんな結果が出始めているなんてなー。敵わないなー。
なんか嫌になっちゃった。なんだよこれ。わたしは本当に何していたんだ。どうすれば良かったんだ。何でまだ何も変わっていないんだ。いつになったら解放されるんだ。もう死ぬしかないのか。
彼女たちは自分が幸せになるから、もうわたしの話など聞く必要はないでしょう。自分に余裕があるから他者の話が聞けるなんて、ありがた迷惑とか思っちゃう。余裕アピールか。

わたしはどうしたら。何をすべきだったのか。何故まだ結果が出せていないのか。
駄目な奴ばかり選ぶからって言われたけんど、じゃあ誰を選べばいいんだ連れてきてほしい。
もう自分から何もしたくない。頑張りたくない。何でわたしばっかりって思ってしまう。

羨ましいだけじゃない。
みんな嫌いだ嘘つきだって、わたしが壊れはじめているような。落ち着け。
本当に死ぬべき時がまた一歩近づいてきた。近づいている。

2015/03/09 語る Comment(0)

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