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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

ラストの15分が衝撃であると、もっらぱの噂である「ミスト」を観ました。
いやいやいや、成程な! これは確かに衝撃のラストだな!!
しかもこの映画、結構最近のだな! 2007年て!

胸糞悪くなる映画の中では、かなり知れた名前らしいですな。
なんとなく聞いたことはあったけど、観たことなかったから、ここ最近の映画鑑賞にもってこいだと思って、喜び勇んで観たのだよ。

あらすじとしては、
とある町に住む主人公とその一家は、激しい嵐の後に湖上に発生した霧を見る。
珍しいこともあるもんだなーと思って買い物に出掛けるも、その霧は町を覆い尽くし、しかも何かが潜んでいるという。
スーパーに立てこもった主人公と息子、知り合いや買い物客らは霧に包まれた町を脱出するか否かと話し始めるが・・・・・・


これは何が怖いのかって、人間の怖さと何が居るのか解らない怖さが同時に存在していることじゃなかろうか。
これ、ゲームにもなっている「サイレント・ヒル」の元ネタなのだっけな?
確かに、「サイレント・ヒル」も霧の中で得体の知れないモノと戦うしな。
「クトゥルフ神話ぽい」という意見もあったけれど、クトゥルーをあんまり知らないので、そこは何とも言えないけどな!

しかし、「サイレント・ヒル」と違うのは、町の一角、小さなスーパーに閉じ込められたのが、一般市民であるということ。
更にそこにいろんな要素(人)が加わる。冷静な人、パニックになりやすい人、自分は神と友人だと言い始める人、何が何でも帰りたいと言う人などなど。
日常から非日常に変わってしまった時、極限の状態が続いた時、人の心理はどのように作用していくのか?
また、目の前にした恐怖に対して、どこまで冷静になれるのか、それともパニックになってしまうのか、それとも勇敢に立ち向かえるのか?

いろんな人が居て、いろんな考え方があって、それは解るんだけど、何も解らないけど自分の命が脅かされているっていう状態では、上澄みの言葉なんて意味ないものね。
作中で副店長が言っていた、「人間を二人以上、同じ部屋に入れていると、結局は殺し合ってしまう」という話が、全て物語っていると思うよ。


こう、いろいろ語りたいけど、何語ってもネタバレになりそうで怖い・・・・・・!
とりあえず、先ずは観てみることをお勧めします。

でも、「人が言い争う醜い場面とか嫌だ」って方や「虫とか嫌いキモイ」って方にはお勧めできないです。
それと、人の心理に合わせて展開されていくから、どうしてもテンポが悪い部分もある。
さくっと観ていきたい方は結構、観ていて苛々するかもしれない。

なので、余韻を楽しみたい方、虫も多少のグロテスクも平気という方、人がごちゃごちゃ争っている場面もまぁ耐えられるという方にお勧め。条件が多い!


BGM 「赤毛のアン~かがやく泉~」/ ひとりぼっち惑星サントラ




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後味の悪い映画を観よう企画でも立てているのか? というぐらいに、映画を観ております。
いや、そこまででもないか。昨日と今日と、まだ2つしか観てないもんな。

今回は「鬱になる映画」でも上位に上がると有名な「レクイエム・フォー・ドリーム」を観たぞ。
これもやっぱり、スレで名前を見かけたのだけど、有名な女優さんが名演技をしているというので、昨日観た映画繋がりで観ることにした。

前情報はいつも見ないで映画の世界に入るから、題名からではどんな話か予想がつかなかったんだけど、いや、本当に重苦しい映画だったな。


あらすじとしては、
4人の登場人物がそれぞれ夢を持っていながらも、クスリに手を出してしまい、人生の全てを失っていくというもの。

ある老女は夫に先立たれ、息子も家を出ていってしまい、孤独な毎日を送っている。
唯一の楽しみがテレビぐらいの彼女に、ある日、テレビ番組への出演依頼が届いた。意気揚々と彼女はお気に入りの赤いドレスを取り出すが、太ってしまって着られない。
そこでダイエットに乗り出すが上手くできず、友達が話していた「薬で痩せるダイエット」を始めるが・・・・・・

もう1人はダイエットする母親の息子。大学を卒業したものの、定職にも就かずに友人と手を出したヘロインにハマってしまっていた。
恋人もできて、彼女といつか店を出したいという夢を持つようになるも、クスリにどんどんハマりこみ、その所為で恋人とも破綻してしまう。
当然、家に帰ることもできず、クスリを注射で打つようになった彼の身体はボロボロになってしまう・・・・・・

その友人も、クスリのために危ない橋を何度も渡る羽目になる。
一度は捕まるも保釈されるが、そのおかげでクスリで儲けた金を使いきってしまう始末。
もっとクスリを手に入れる為、この友人と上記の青年とでフロリダへと向かうが、白人ばかりの町では褐色の肌は受け入れられず、差別的な目で見られてしまう。
そこで運悪く、警察に捕まってしまい・・・・・・

最後は、ダイエットする母親の息子と付き合っていた恋人の女性。
最初は小さな夢を抱いて恋人の男性と共に過ごしていたのに、クスリにハマってしまい、クスリがもらえないと解ると人が変わったように暴れてしまう。
何度も喧嘩した恋人の男性から、とうとう売春を言い渡され、彼女は好きでもない人間の為に身体を売るようになる。
その間、恋人は友人と共にフロリダに向かってしまい、彼女はクスリ欲しさに乱交パーティへ向かうのだった・・・・・・


と、まぁこんな感じですか。
最初は皆、夢を持って進もうとしているのに、薬物に依存してしまったばかりに、夢どころか家族も友人も恋人も失ってしまうことになる。
その転落人生っぷりが如実に描かれていて、これは確かに後味悪くなる映画だなという印象。

2000年に作られた映画と聞いているけど、音楽が本当に素晴らしいと思うんです。
人によっては古臭い音と聞こえるらしい。全然そんなことなくて、寧ろあの雰囲気に似合っていたと思うんだよな。

所々で別の映画のオマージュかな、と感じさせる表現もあったような。
薬物摂取する時のシュールな映像はヤン・シュヴァンクマイエルを想起させるし、水を張った浴槽にだるま浮きしているところは「パーフェクト・ブルー」を彷彿とさせるし、褐色の肌の友人とその恋人らしき女性がまぐわいあう様は「田園に死す」の一場面を思い出させた。
影響は受けているんじゃないかと思うんだよな、うん。違うなら違うでいいんだ、うん。


あらすじがもうネタバレしているような書き方だけど、以下に隠して感想をば。
人に勧めづらい映画ではあるけど、わたしはこれ観て良かったと思います。
女優の名演技をとくとご覧あれ。




後味の悪い映画ってスレで見かけて、気になっていた作品だった。
探してみたらあったので、早速、鑑賞開始だぜ!

で、個人的にはすごく良い映画だった。
少なくとも、バッドエンドだとは思わなかったな。
譬えるなら、P3で読んだ「ピンクのワニ」に近い話、だろうか?

あらすじとしては、
とある刑務所に入れられていたパーシーは出所した後、人生をやり直す為にバスに乗って、森深い村へと辿り着いた。
そこは噂話も一日で広まってしまうほど小さな村で、いきなりやってきた余所者に村の人達は戸惑いと好奇の目を向ける。
やがて、彼女が犯罪者であり、出所したばかりなのだと解ると、その噂もすぐに広まり、パーシーは居心地の悪さを感じながらも、村にある料理店で働き始めた。
その料理店は腰を悪くした老婆が一人で切り盛りしており、そのことを心配した村の保安官が、パーシーの下宿先をそこに定める。
老婆の家族は最初反対するも、人手が足りないということで、パーシーを受け入れるしかなかった。
少しずつ店主の老婆や周囲の人と打ち解けていくパーシー。
だが、彼女がどうも信用できない老婆の家族は、秘密裏に彼女のことを調べはじめる。
その頃、店主は自分の店を畳もうかどうかと悩み始め、パーシーはある提案をするが・・・・・・

と、こんな感じ。


いやー誰も憎むことのできない映画だな、と思ったな。
人間誰しも持っている心理だし、余所者があまり来ないような土地なら尚更、外から来た人のことは気にするだろう。
変に引っ掻き回されたら堪らないからね。不変なままの方が平和だと思えるしね。

とはいえ、この映画一本で田舎に偏見を持つのはあまり得ではないと思うので、「こういう場所もあるんだな」程度で観るのがお勧め。
実際、見かけた感想の中には、田舎に対してあまり良い印象を持てなくなった方もいらっしゃった様子。
実際に自分の目で現実を見るまでは、作品の中のことっていう認識で見た方が、精神衛生上、良いんじゃないかな。

パーシーを演じる女優さんの演技が、とても自然で良かったなと思うんだ。綺麗な方よね、そのわりに眼光がしっかりしていて。
周りに居る店主も世話を焼いてくれた奥様も、良い人ばかり。そして犬が可愛い。グレイシアが画面に映る度に癒される。

それから、風景と音楽とが非常に合っているなと感じるんだな。
冬枯れの森かーとか思ったけど、北部だっていうから寒いんだろな。それでも、広大な自然と水のせせらぎと、自然が好きな人はここだけでも一見の価値あり。

怖い場面とか、グロテスクな場面とか、全然無いので安心して観られます。
あ、でも人によっては、最初の村の雰囲気とか不快に思うだろうから、そこは我慢か。
けして楽しい話ではないけれど、心に残る作品のひとつでした。


以下、隠して感想書きます。



解っていたのに借りてしまったなぁ・・・・・・そんな気持ちでいっぱいになる映画。
2015年に日本で公開されていたというので、そこまで古くない映画だったのか。
てっきり古い時代設定の映画だと思っていたから、『ムカデ人間』と同じように考えていた。

いや、まぁ、『ムカデ人間』は完全に表紙にやられて借りたんだよな。
「つなげて、みたい」とかいう文句も、絵のそのままのことやるのかーしかしどうやって? という好奇心を煽った。
うん、本当にそのまま繋げていたな。それでも、医療に携わった人間がやっていると、仕打ちは酷だけど、失血死とか化膿とか起きなさそうだなって思ったんだから、怖いね!
・・・・・・あれ、でも友人は傷口から化膿して病気になっていたような・・・・・・。

それで、この『Mr.タスク』は「コメディホラー」なるものに分類されるらしいです。
確かに、ケースの裏側に書いてあった文句はコメディ色のある書き方だったけど、「セイウチ人間を作ろうとして大騒動!」みたいな文句だった気がするんだが、これはコメディ過ぎるか。

あらすじとしては、
アメリカでネット配信をしている主人公と友人は、下品且つ不謹慎なネタで笑いを提供しています。若干、友人の方が弁えていそうな感じかな。主人公の方はほんと人の不幸でもネタにしそうな程、クズっぽさが出ている。
そんな主人公と友人が配信で紹介したのが、とある映画のアクションシーンを真似たがために足を斬りおとしてしまった少年。さんざん笑いものにした挙句、彼にインタビューをとろうと主人公はカノジョを置いて、カナダに一人やってきた。
しかし、少年は自殺してしまった後。有力なネタを持ち帰ることに焦っていた主人公は、とあるバーのトイレで不思議な書置きを見つける。
それは奇妙な体験をしたハワード・ハウという老人の語り話を聞くというもので、手ぶらで帰れない主人公はその話を聞きに、老人宅へと訪れた。
しかし、その老人の真の目的は、そうしてやってきた人間を「セイウチ」に生まれ変わらせることだったのだ・・・・・・!!!


えぇ、こんな感じ。
ほんとセイウチだった、はいはい。

俳優陣がすごく豪華だったらしいっすなー。
ぜんっぜん気付かなかったけど、ジョニー・デップだったのね、あの方・・・・・・。
しかも、天才子役だったハーレイ・ジョエル・オスメントも!
『シックス・センス』好きなんだよなぁ、いつも泣いたわ・・・・・・。
大人になったということで、なんだかぽっちゃりした男性だったけど、優しそうな雰囲気は変わっていなかったな。

内容を聞くとグロテスクだけど、そこまでグロさは無いかなぁ。
『saw』とか『ムカデ人間』を観られる方にならお勧めしても嫌な顔は特にされなそう。
けど、セイウチになった後の人の顔や身体は何故かツギハギだらけで結構エグいので、飲食しながらの鑑賞はお勧めしません。
ホラー要素は途中まであったけど、セイウチになった瞬間から「あぁこれB級だったのか」と、急に現実に引き戻されます。

ニコニコでコメント付きとかで見たら、また面白いというか、違う観点から見られるかもしれないなぁ。


以下、ネタバレというかキャラクターの言動に思いを馳せるので、隠します。




僕によくおかしなモノを勧めてくる無性愛者と思しき友人が、この前の酉の市の時に言っていた。

「観てほしい映画がある、『ジョニーは戦場へ行った』という映画なんだ」


内容をかいつまんで聞いた僕は、仕事の帰りに駅前でその映画を借りてきた。
他にもうひとつ気になるものがあったんだけど、それは観てからまた語ることにする。

『ジョニーは戦場へ行った』は、ダルトン・トランボという方の小説が基になっているらしい。
内容としては、反戦映画と言えるのだろうか。
第二次世界大戦中に発表されたものだから、書籍は絶版にされ、時を経て復活、しかしまた絶版と、なかなか落ち着かない遍歴を辿る。

あらすじ、というか、本筋も以下に。

第一次世界大戦へと出兵することになった主人公のジョーは、死んだドイツ兵を弔う為に塹壕から仲間と共に出てきたため、敵の砲弾の直撃を被ってしまった。
次に意識が戻った時には、彼は壊疽した四肢を切り落とされ、被弾によって目も耳も口も失っていた。
ただ生きるだけの肉塊となった彼を、軍の医療機関は秘密裡に生かしておくことにする。軍は彼の大脳はもう機能しておらず、何か動きを示したとしても筋肉の反射運動と考えることにして、経過観察を行っていた。
だが、実際にはジョーにはちゃんと意識があった。自分が誰なのかを思い出し、ここがどこであるか、今が何年何月何日なのか、どこの国なのかを知ろうとする。
そのさなかで、段々と自分の現状が解ってくる。絶望し、苦痛に苛まれ、鎮痛剤を投与されることによって、現実なのか夢なのか解らない時間を生きる。
彼は周りに何とかして会話を試み、指で文字を書くことで話そうとしてくれた看護婦や、モールス信号を解読してくれる者に語りかける。
「外に出たい。僕を見世物にしてくれ、それで僕は自分で稼げるから。それができないのなら、殺してくれ」
軍の関係者も、医療に携わっていた者も、今までジョーに意識が無いと思っていたので、今更、彼に意識があることを外には明かせなかった。
せっかく開けるようになった窓を閉め、彼の「殺してほしい」という願いを聞き入れた看護婦も閉め出され、彼はやがて理解する。
「彼らは僕をここから出したくないんだ。けど、僕は何かせずにはいられない」
そして、脳内で、或いは頭を使って、語りかける。
”S.O.S...助けてくれ...”


もうほぼ内容書いてしまったけど、こんな感じかな。
ショッキングな映像は何も映らないけれど、ジョーが感じる希望や孤独は画を通して伝わるものがあり、涙を流せないような壮絶さを知ることになる。

物置部屋に運ばれて、意識なんて無いと思われて、自分の四肢が無くなり顔も無くなったことに気付き、出兵前に愛し合った恋人にも逢えず、家族とも逢えず、何時なのかどこなのかも解らないまま、誰にも関心を持たれないまま、ただ生きていく。
それはどんなにか孤独なことで、どんなにか恐ろしいことだろう。

夢の中でジョーは、出兵前に死んだ父親と話したり、仲間達と話したり、愛した恋人を追いかけたりするのだが、もう現実と夢の境目が薄くなっていくのだ。
薬によってもたらされるその感覚は、少し解る気がする。誤魔化されて、意識が落ちていく。自分の意思では動かせない身体を、誰か他の者に委ねるしかない。

ジョーも言っているが、「腕があれば自殺ができる」し、「脚があれば逃げられる」し、「声が出れば、話して慰められる」のだ。
それができない。誰も自分の話を聞いてくれない。否、人間として扱われはしない。老いさらばえて、やがて忘れられていく。
それが孤独でなければ、何が孤独だろう。魂が死なずして、肉体だけが死んでいく。人にとって、この上ない苦痛だと感じるよ。


この話は、1930代半ばに英国皇太子がカナダの病院を訪問した時のことが基と言われているらしい。
そこの病院の『立ち入り禁止」の看板が掛かったドアの向こうに、ジョーのような状態で生かされている兵士が居たという。皇太子は挨拶として、その額にキスをした。それしか挨拶の方法が無かったのだって。
それとまた別に、身体を切り刻まれた英国少佐が、故意に作戦行動中、行方不明として報告されていて、でも実は何年も軍病院で生かされ、孤独に死亡したという事実を、少佐が死んでから聞かされた家族が居たという話がある、らしい。
このふたつの話が、ダルトン・トランボの心を打ったのだ、ということだったが、このような話を聞かされては、描かずにはいられなかったろうよ。

こうして話に残るだけならまだいいのかもしれない。こうして知られることすらなく、死んでいった者達がきっとたくさん居る。
生きていたのに、死んだことにされた。まだ生きたいのに、身体がそれに追いつかない。親しい者達に会いたいのに、言葉が話せない、歩けない、帰れない。

人が人として生きるとは、どういうことでしょう。
言葉を交わして、五体満足で生きられることは、何にも勝る幸福なのでしょう。
それを知るには、やはりこういう作品がまだまだ必要だと思うのだよな。


友人にこの作品を紹介された時、頭をよぎったのは『累』だった。
丹沢ニナ、彼女は四肢はあれど、植物人間のような状態で生きていくことを余儀なくされた。
しかも、その顔は累が使っている。本当に、ニナのことは誰も知らないままになった。
そこに現れた存在と、会話ができること。自分の意思を伝えられること。ここに辿り着くまでの時間は、ニナにとって、どれほどの孤独をもたらした時間だったのだろうね。

映画の方で、久しぶりに太陽の光を浴びたと感覚で解ったジョーが、とても歓喜している場面がある。
やはり人は太陽の下に出たいのだね。あの光を浴びて、光を感じられるから暗闇が怖くなくなるのだね。
看護婦が胸に文字を描いてくれた時も、嬉しそうに何度も頭を振った。相槌を打っていたわけだが、それが解った看護婦にも自然な笑みが浮かんでいたのだ。

声が出れば、容易く交わせると思えるもの。それがこんなにも難しい。
それでも、全く話せないのよりはマシだ。孤独ではないと解るから、どんなに時間が掛かったって、話したい。交わしたい。


戦争の間に起こったこと全てを知るのは、なかなか難しい。
だけど、こういうことがあったんだよと、伝えるものはまだある筈だ。
知ってどうなるわけでもない。ジョーの孤独は癒せない。僕と彼の生きる時間と境遇はあまりにも違う。
それでお、知らなければならない。知れば、何か見つけられる。

手足があること、目が見えること、声が聴こえること、話ができること、全て尊い。
光を浴びられること、温かな腕で死の冷たさを払えること、大事にしたい人を時間から守れること、頭を使って考えること、夢と現実を分けること、望みを叶えること、ジョーはどれだけの時間を遣っていたのだろう。

それでも孤独だ。「神さえもいない」と、彼は理解していた。
理解できるということもまた、残酷で、孤独なことだ。





追加記事。

いくつかレビューを見て回ったけれど、「これは名作だ」とか「ひたすら暗くて地味で救いがない」とか、意見がなかなか割れるなぁ。
僕は好きでも嫌いでもないです。事実として、こういうことがあったのかもしれないなーって思ったには思った。
けれど、とある人の感想を読んで、成程なぁと納得。
確かに、この映画を観て「だから戦争はいけないんだ!」と簡単に言えることでもない気がする。
たまたまこのジョーにスポットが当たっているだけで、このジョーが兵士として行ってきたことで同じような目に遭っている人が居るかもしれないものね。

んで、反戦映画を観て「つまんねぇなぁ」と言ったら、あっちこっちから批判を受けることも、ままあるらしい。
批判しちゃう人はこの映画がとても好ましいものなんだろうね、解ってほしいんだろうね。
だけど、みんながみんな同じ感覚でものを見ることはできないよね。それができたら、そもそも戦争だ何だって起きないだろうね。

僕は映画を観る時に、あまり難しいことは考えない。
娯楽だ~なんて気持ちで観ることも、あんまり無いや。ゲームする時とかと同じ感じ。
ただそれだけのものを、あるがままに受け入れたいだけ。知りたいだけ。
映画を観るスタンスとか、考えたこともない。観てみたいと思ったから観ただけ。
だから、そこに教訓とか寓意とか無くても、何も思わない。ただそれだけの話が表れているだけだから、それ自体に文句を言う気はない。
映画や音楽がお説教ばかりしていたら、うんざりしないかい。僕はうんざりする。否、お説教だと気付かないかも。ただそれだけのものだ、と受け取ってしまうから。

その、とある感想を書いた方は「映画は娯楽であるべきだ。個人の意識や主義に干渉すべきではない」と言っていた。そういう方も居るんだなぁ。




作業用BGM
「傷もてるわれら、光のなかを進まん」 / ゼノギアスサントラ 光田康典


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