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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

こんばんは、ふらみいです。お腹の調子も良くなってきました。たまに痛くなるけど。

明日は久しぶりのカオス会・歌部門です。
サンホラオフでお世話になった方もちらほら来られるとのことなので、今から楽しみでありながらも戦々恐々としつつ・・・・・・
あ、でも楽しんでこなくっちゃいけんね。せっかくいろんな人と交流できるのだから。劣等感に圧されて、無駄な時間の遣い方をしないようにしなくちゃ。


と、表では明るく振る舞おうとしつつ、実際は落ち込んでしまっている。

大阪で特に何があったわけでもないのに、心因性なのか? と疑いたくなる程の体調の悪化に加えて、明日の歌部門に来る面子の中に、昔親しくしていたけど今はそうできない人が居て、それがとても気を重くする。
俗に言う「元恋人」ってやつですか。くそ、こんな青いことでここまで落ち込むとは。

なんていうのかな、その人とふらみいさんは、自分で言うのもなんだけど、相性が良かったのですよ。
すごく長い間一緒に居て、お互いをぶつけてきたように思います。

だけど、ふらみいさんの望むことは大きすぎて、相手に理解者であることを押し付けていた、と今なら思えます。付き合っている時はそれが大事だったわけだけど。
相手は文句言わなかったし、理解者たろうとしてくれて、「こんなに付き合ってくれる人はもう出てこないだろう」と、その時も思ったもんでした。

とはいえ、些細な、でも重要なキッカケを経て、なぁなぁにするのも良くないからと、5年半の付き合いを終わりにしてしまった。
それから2年は経ったのかな? 相手にも新しい想い人が出来て、しかしそれを素直に喜べない自分が居るわけであります。

その2年の間も、普通に遊んでいたし、お互いの悩みも話してしまっていたからなー。ケジメつけられていなかったと言われれば、それまでだな。
ふらみいさんはこんな性格だから、友人と思える人も少なくて。特に5年半も恋人の大役を務めてくれたその人は、ふらみいさんの特異な話もちゃんと聞いてくれたから。
そういう点で甘えて頼って、そうしすぎていたのだろう、な。

離れて解る有り難さというものがあります。まさか、自分がそれを体験する羽目になろうとは。
人のものに手を出すまで落ちぶれちゃいねーぜ! と片意地張ってみるものの、実際はその人に恋人が出来て、自由に遊べない現状に不満ばかり。

理屈は解っているんだ、ふらみいさんは元カノってやつに当たるから、相手の恋人さんもふらみいさんには一番会わせたくないだろう、と。
とはいえ、恋人のその娘はどれほど彼と付き合いがあるのですか。いつからかは解らないけど、ふらみいさんとその人との付き合いに口出しなんざ、100年早くないですか。

まぁ、ふらみいさんがそもそも個人個人の付き合いに重点を置きがちなので、こう考えてしまうのですが。
反対に、もしふらみいさんのカレシでもカノジョでも、異性やら同性やらと遊びに行くって言っても、見送りますよ。
だって、ふらみいさんには話せないことでも、別の人になら話せるってこともあるでしょ。相手の交友範囲を狭める権利なんざ、ハナっからわたしには無いのさ。
それは相手にも言えることで、わたしの交友範囲を狭められるのはわたしだけ。わたしのカレシになろうがカノジョになろうが、そこに口出しするような無粋な御肩は、そもそも恋人にしたくねー。

・・・・・・それも少数派だっていうことも、解っているのです。


そんなこんなで、今も昔も感情の制御が下手くそなふらみいさんは、ブチキレそうなのを堪えて会うわけです。
しかも、付き合うんだーって話を聞いてから、初めての遊びだな。どうなっちゃうんだろ。どうにもならんけど。

楽しく生きたいんだよ、わたしは。もう後悔するのも嫌ですしおすし。


わたしはその人に大事にしてもらえていた5年半をなくしたくないし、戻れるもんなら戻りたいって、強く願いました。
それは、去年に付き合い始めて今年に別れた、自分の歴史の中で最大の黒歴史に値する畜生との付き合いを経て、思ったことでした。

この畜生と会ったこと、付き合ったこと、全て間違いだった。こんなに人との出会いを怨んだことはない。いくら怨んでも怨みきれない。呪って死ぬなら死ぬまで呪おう、それほどまでに。
そうした怨嗟と憎悪とで沈んだ心に、大事にされていた記憶っていうのは、すごく有り難くて尊くて、惹かれるものでした。
時々思い出して、なんか知らないうちに泣いている。情緒不安定ね!

だけど、ふらみいさんと今更付き合ったって、5年半も付き合ってくれた彼にまた迷惑が掛かるのだろうから。
人間ではなーい! と自負するようなわたしと一緒に居ても、彼の運命が捻じ曲がってしまうから。

わたしなんぞと居ても仕方ないから、普通の人間と、幸せにおなりなさい。
――と、そんなふうに思った方が楽でした。もしまた一緒になれるなら、その人の為に頑張れることは何だって頑張るけどさ。もう必要ないよ、そんなこたー。



一方で、仲の良い子が、身近な友人とカラオケに行って楽しくやっている話を読んで、泣きました。

何が辛いんだろうね。もう解らないや。
その子が他の人と仲良くしていることが辛いのか、カラオケに行っているって名前を出されている身近な友人のひとが羨ましいのか。

ちょうどうちひしがれている時だったので、「そだね、わたしの名前なんて出せないよね、恥ずかしいもんね」なんて、卑屈に考えましたが。
それも一瞬で、後にはただ何も考えたくない、考えてはいけない、人間でいるのをやめなければという支離滅裂な思いが残りました。

仲良しな子に「これこれこーいうことで傷付いた」と言っても、解りはしないと思うけど。わたしがその子に依存していて、他の人間と楽しそうにしているのを見るのが辛いだけだから。
わたしが異性だから、仲良くしていたって、遊んでいたって、伏せられてしまうのかなぁって考えたら、やっぱり人間でいるのは間違いなのかなぁ、なんて。

人間でなくなるっていうことは、つまり、器を捨てて元に戻るってこと?
そうして誰にも知覚されなくなったら、その子にも、5年半も付き合ってくれた人にも迷惑が掛からない?
寂しがるだけのふらみいさんなんて、死んだ方が周りは平和になる?

そうやって考えたら楽だし、自分がかわいそうになるからね。そういうのがまだ好きなんだね。

詮無いことです。退屈です。
楽しいことだけ追いたいと思うのに、こんなことで傷付く自分が情けないです。
だって、楽しそうなんだもの。ふらみいさんと居るより楽しそうなんだもの。



さようなら、地上に縛られた、哀れな人族たち!
わたしは自由が好き、自由が、大好き!






作業用BGM
 Ashes of Dreams / Aratanaru-JP Version / NieR Gestalt & NieR RepliCant Original Soundtrack


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