忍者ブログ
ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

こんばんは、ふらみいです。ストレスでさっそくお腹が痛いところです。げふぅ。

今日は会社のBBQがありまして、もしかしたら仲良くなれるかも~と思って参加しに行ったんですよ。
他の事務所の事務員も来るっていうから、輪を広げたいなと思いまして。

でも、駄目だったな。
話してもあまり盛り上がる感じじゃなくて、そのうち「久しぶり~」とか言って、向こうだけで盛り上がっていたから、ふらみいは話さない方がいいのかなと思って、距離をとってしまった。

まだ仲良くなることを諦めていなかったのに、今日の見ていたら「もういいや」って思えた。
仲良しが会社に居たら生きやくなったり、行きやすくなるんじゃないかって思っていたけど、こんなことしか起きないなら、もう諦めた方がいいような気がしてきたのでした。

自分から話をしにいかなくちゃいけないって思って、話しかけても相手の反応がいまいちだったら、そらー距離取るよ。
でも、それで「人見知りですか? こういう時に話して慣れた方が後で楽ですよ」とか言われて、更に撃沈したぜ。解っています、そんなことは。
だけど、あなたたちは、受け入れる気なんてないでしょうに。そこで完結しているでしょうに。

そんなこと考えていたら、自分が生きていくことのくだらなさを垣間見た。
この前、目的のひとつを見失い、自分の為に生きていく内容を考え直す羽目になったけど、何も浮かんでこない。
以前も書いたけど、自分がこの世界で生きていく理由なんて、どこにもない。友人はそれぞれの道を行き、もうふらみいがどうのこうの言える場所には居ない。
このまま忘れられていくのなら、後で死んでも今死んでも同じなのだ。

このまま老いて、腐っていくのだろうか。
つまらない会社でつまらない時間を過ごして、生きていく目的も見出さないまま淡々と過ごして、ひとりでなんとなく時間に流されて生きていくのだろうか。

そう考えると、とても怖くなり、腹が立ってきました。
何でそんなつまらない生き方を、自分がしなくてはいけないのか。そんなことの為に、他者を犠牲にして生きてきたわけではないのに。

いやまぁ、そういう日々を過ごしていても、上手くやれている人はいいんです。
会社に行って自分の食い扶持を稼いで、結婚していなかろうが、毎日だらだら生きていようが、それで自分の始末がつけられているなら、こんな所で吠えているふらみいより、よっぽど役に立つし、価値があるでしょう。

でも、他者がどうのじゃなくて、自分にその生き方を許せない。
ましてふらみいは犠牲にしたものがでかいのです。この会社に入る前、こんな病気になる前、人の人生を潰してまで、自分の時間を選んだのだから、こんな退屈で色の無い生き方が許される筈が無い。

つい先週、ケリがついてしまった話だって、自分の生きる意味を他者に依存することで摩り替えた、卑怯なやり方でした。
実らなくて逆に良かったんじゃね? 誰かに依存することでしか発揮できない力ってのも、どうなの。
自分の始末もつけられない人間に、他者の為にできることなんてありはしないと、言い聞かせないと。

ふらみいは何の為に生きているのだろうって、何度も考えました。
大事なひとが居るから、そのひとを悲しませたくないから、友人を幸福なほうへ見送りたいから、それだけが理由で生きていたのだと思いました。
そりゃ書くの好きだし、ゲームするの好きだし、歌うのも好きだし、いろいろと趣味はあるけど、死んでからいく世界のことを考えたら、それだって霞む時がある。
それでも死ぬこともできなくて、真夜中に鋏を握って泣いて、また会社に行くのは何の為だろう。

自分の為に時間も何もかも遣いたいけど、誰かと一緒にいたいと思うのでした。
それは誰でもいいのではなくて、自分の好きなひとと一緒にいたいのでした。
一緒にいるという事実がぼくを幸福にしてくれて、安心させてくれるのでした。
死ぬその時まで遊んでほしいと思って、ねだって、いつか嫌われるその日まで名を呼び続けようと思いました。

ふらみいの生きる理由なんて、そこに尽きる。
好きなひとがいる、大事にしたいひとがいる、みんな居なくなってしまうのが寂しくて堪えられないかもしれないけど、見送りたい。
そうしたら、今度は自分の番。

その間に、ありったけの書けるものを書く。
この前の話をした子に、ぼくの書いたものを託すことができたらなぁと思います。
あの子になら、安心して預けられるのである。潰れたりしないし、辛くなったりもしないだろう。
あともう少しだけ、辛抱して生きていてほしい。ふらみいが死ぬまでは。


いつかも自分の生きている意味が解らないなーと思って、書いている意味も無いなーと思って、ヤケになりました。
その時に思い出す歌って、いつもBUMPの"ハルジオン"なのですよ。たぶん歌詞にものすごい共感したのだろうな。

ちょうど10年前、やっぱり悩んでいて、この歌を思い出して、自分の中に消えない光のようなものを見つけようとしたのです。
それが上手くいったから、あれから10年も生きてこられたけど、この先はどうだろう。
たったひとりで生きていくことになっても、周りに誰も居ない日が来ても、ぼくは変わらずに笑っていられるだろうか。




作業用BGM
 ハルジオン / BUMP OF CHICKEN


PR
<< NEW     HOME     OLD >>
Comment
Name
Mail
URL
Comment Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
 
Color        
Pass 
<< NEW     HOME    OLD >>
忍者ブログ [PR]
 Template:Stars