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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

と、簡単に言ってみたところで、どういったことがこの言葉に当てはまるのか、いまいち解らなかった今まで。
地に足をつけた考え方というのは、要するに現実的な考え方だと思っていた。人生設計図を組み立てられるだけの頭を持て、と、そういうことだと思ったのだ。

きっとそれは間違っていない。現実的な考え方ができなければ生きていけない。それぐらいの危機感は持っている。何と言ってもアラサーだ。
しかし、危ないよなーと思っていても焦ることが無かったのは、死ねばどうとでもなると思っていたからだ。
現実的な考え方をしないと生きていけない→そもそもこの人生を全うする気が無い→今が楽しいのならそれでいいだろう、未来で生きているかどうか解らんし・・・・・・と、こんなふうに考えてきた。
未来に生きていく気がないから、考える必要が無かったと言える。

それが昨今では変わってきているよ。伴侶を持ちたいと思えたのは、久々のことだ。
それもただ「持ちたい」だけではなく、現実的な視点から持ちたいと思っている。それは相手も少なからず僕のことを認めてくれて、僕との未来を考えてくれているからだと感じることがあるからだ。
自分だけの人生設計図なら滅茶苦茶なもんでいいんだけど(その方が退屈はしないという馬鹿の考え)、誰かも一緒というと、そうはいかないよね。いろんなこと考えるよね。

先日、相手に何気なく振った、子どもを欲しいと思ったことはあるかという質問が、尾を引いている。
べつに自らトラウマを抉りにいったのではなく、相手が子どもだ結婚だと考えたことがあるのかを知りたかった。
相手がどうこうより、自分の子どもは欲しいらしい。男の子と女の子、ひとりずつ欲しいんだって。男の子には運動をさせたいんだって。本人の好きな道を選べばいいって送り出すんだって。
それを聞いていて、きっとこの人が我が子を抱く姿はとても優しいものになるだろうな、いいな、なんてガラにもなく思えた。

僕は子どもが苦手だ。どう接していいのか解らない。
それに、自分の為に子どもを殺したもんだから、今更、子どもが欲しいなんて言えるわけがない。ない、筈なのだ。
だけど、最近、相手に感化されているのか、相手の為に変わりたいと思っているのか、この人との時間が欲しい、一緒に居てほしい、子どもが欲しいと思う瞬間が、たまにある。

勿論、これは僕が勝手に思っていることで、相手が同じ気持ちかは解らない。
婚活で会った人だから、結婚できる相手を捜していたことは間違いないし、前述のようにたまにそれらしき雰囲気を感じることはある。
とはいえ、まだ付き合って2ヶ月しか経っとらんのだ。僕がどんな人間なのか、それを知るだけでも濃い時間を過ごすことになるから、長い間ずっと居たような気がするけど、知り合って3ヶ月、付き合って2ヶ月しか経っていないのが現状なのだ。

僕は直観で決めるタイプです。「この人だ!!」と思うと、それ以外が目に入らんくなります。
だから、今の人しか見えていないし、この人と一緒に居たいとか、子どもが居たらおもしろいのかなとか思う。
でもね、僕には欠陥があるから。子どもをどう扱っていいのか解らない。僕はどこまでいっても僕。子どもが居ても、旦那が居ても、きっと変わることはない。それ自体が何か、悪い影響を与えないか、心配。
それなら僕が変わればいいのだけど、変わることができるだろうか。夢を見ることができるだろうか。それ考えるだけで、不安で怖くて堪らなくなる。その苦痛はきっと誰にも解らない、自分だけのものなのだろう。

こうやって考えが勝手に先行していく辺りが阿呆なんだよな・・・・・・まだ相手が何も言ってきていないのに。
しかも、もしかしたら結婚すらできないかもしれないのだ。その見定める過程が今なのだ。相手もきっとそう思っているだろう、そこは解る。
お互いに今付き合っている人が最後であればいいって、思えていたら良いのだろうがな。

それでもやっぱり駄目なものは駄目。僕に人間を育てることはできない。
相手が許してくれたらとか、自分が変わったらとか、甘いことばかり考えている。
根本から変わることができないなら、そもそも夢なんて見るもんじゃあない。

地面に足をつけると、あまりの冷たさに膝からくずおれる。
荒野に転がり、身体そのものもきっと冷たくなる。

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