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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

こんばんは、ふらみいです。
今日は友人とP3の映画を観てきました。順調に話が進んでいるようで、ほっとしております。
●ヴァみたいに何年も待たされると、ダレちゃうからね!

今回は、個人的になかなかタイムリーな話の内容だったので、「そうだよなぁ」なんて納得しながらの観賞でした。
ちょうど、チドリと順平のアレ辺りです。一応、ネタバレ配慮で言いません。
その前にも、近しい人の死で揺れている主人公勢の心境が、あまり他人事ではないので、尚のこと真剣に見入ってしまう。

近しい人を失うことで、初めて自分達のやっていたことが如何に危険なことか解る。
失うということは、もう逢えなくなるということ。どこを捜しても見つからないということ。
そうやって進んでいくことが怖くなるから、執着しないようにする。もう必要ないと決め付ける。

ちょうど今の自分の心境がこんな感じなので、どのキャラの心情にも頷けるというものです。わかる~みたいな軽々しい相槌も打てないほどの。
わたしはどっちかといえば、死のうとしている側だったけど、誰かがこんな思いをするのだろうかって考えると、死ぬことへの足踏みも止まるのです。

昨夜、ちょうど例の子と長い話をしたところでした。
わたしの伝えたいことを伝えるという名目で、随分と長い間、話をしていました。会って話した方が良かったけれど、会えなかったので致し方なし。
その時にも、「伝えたいことを伝えない方がいいのか、自分はこの人から離れるべきなのか」と考え、それはまるでその日を境に、その子を居ないものとして扱い、わたしを死んだものとして、離れて生きていこうと考えているようでした。
死んだもの同士、もう関わることはないだろう。これだけの物言いをしてしまったからには、ともだちですらなくなってしまうかもしれないと。
けれど、いずれ失うことになるのなら、今この場で失ってしまえば、わたしが死んだことになれば、苦しいことも悲しいことも起きなくなるのではないかと考えたのです。

そうして伝えたいことも伝えないで付き合っていくなんて、空虚な関係ですな。
何の意味があって一緒にいようとしていたのだろう。
死んでしまいたい。逃げてしまいたい。この子に伝えたところで、どうせ伝わらない。わたしが悪いことになる。いつもそうだったのだから、今回も。
そんなふうに考えることは辛いのだけど、その考えから逃げられなくて頭の中をぐるぐると回っていました。

でも、失うことが怖いから、いつか離れてしまうから、じゃあもう要らないってことは、やっぱりできなかったのです。
失うことが怖いのなら失わないように努力すればいい、離れてしまうのが寂しいのなら離れないように側にいればいい、そんな簡単に言えることが難しくて諦めていました。
だって、いつかは皆、自分の選んだものへと進むから。いつまでも一緒になど居てくれやしないから。
その寂しさを誤魔化すように孤独を選んだところで、皆の心に残ることなど有り得ません。
失うかもしれない、離れてしまうかもしれない、だけど自分から諦めるよりずっといいって、考えるしかなかった。

わたしは結局、闇から生まれたかのよーな まっくら存在なので、最後には絶望へ帰結します。
この人が居れば大丈夫と思っても、その人を失った時の絶望を先に知ってしまうのです。
それはずっと昔からそうでした。昔から、幼馴染みメンバーの存在を近くに感じていて、離れないと信じていたけど、どこかで暗い部分を見つめていました。

だから、映画の中で理が考えていたことも解るのです。そうだよね、そうだよねってね。
とはいえ、離れてしまうわけにはいかないのです。人間ってそういう生き物なんだって。
人間に近い存在でも、人間と関わって生きているなら、その思考を真似て生きていくことになる。


何もまとまりませんな。
昨日言われたことも、映画の内容も、ぐるぐる回る。

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