ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
今の職場に入ってもうすぐ一年経つのだが、見えてきた人間模様に負けて、適応障害らしき症状がまた出てきた。
他者からすれば、特に原因となった会社の先輩方からすれば「何でそんなに脆いんだ」と思うんだろーなーと、やっぱり気にしてしまう。
わたしは弱いし脆いが、ここで今までのように簡単に辞めることはできないなと思っている。
だけど、身体が動かせなくて辛くなる。本当に動かせないのか、トイレには行けるけど会社には行けない。何でだ?
会社の先輩方は仕事もできて、気が回る。
だけど、人の心に寄り添った解釈というものには疎いのだと感じた。
それが良いか悪いかでいったら、わたしの中では悪い方。
毎日、事務所でその場に居ない人の悪口ばかり言っている二人を、「あぁこの人達も限界なんだな」と思う反面、「そこまで悪し様に言うかね」と呆れもする。
頻度が高いし、二人で畳み掛けるように言うし、わたしも居ない時に言われているのだろうと勝手に予想して嫌になる。
狭い世界での話だよ、他に目を向ければ似たような人はたくさん居る。
つまらんことだ、関心を払うほどのことではない、ましてそこで陰口を怖がって何もできなくなるなど断じて許さん。
自分に対して素直で在ることが向こうの価値観から、こちらもそのようにしたらいい。
仕事はあくまでも仕事だから、きっちりやるべきだ。
それ以外のことには、特に先輩二人には関心を向けない方が、自分の精神衛生上は良いのだ。
そう解っていても身体はおかしくなる。精神が安定を欲して、薬を飲んだりカウンセリングの数を増やしたりする。
行けないなぁと感じる日は、身体が重たい。一日を全うする気力が無いと感じて、その場から離れていたいと思う。
わたしはまたあの環境から逃げたくなっている。
一日だけでも、次の日も、そうして八月は二週間も動けなかった。またそうなるのは避けたい。
わたしがやっている仕事なんて微かな支援でしかない。誰にだってできることだ。
話を聞いてくれた周りの方々に感謝の気持ちはあるからがんばりたい。でも、そうして誰かの為に頑張るのは、自分を追い込むことになる。
適応障害の所為だけじゃない。これは自分の性格の所為だ。
考えることに疲れた。気を遣うのもうんざりだ。わたしが擦り切れるまで頑張ったところで、先輩二人にはそれが当然なのだから、わたしを守れるのはわたししか居ないと思うのだ。
どうせ夕飯を食べる頃には忘れる事象でしょう。
だけど事務所で日がな毎日、誰かの悪口を言わないと彼らももたないのでしょう。
本当にカウンセリングが必要なのは、あなた達も同じなのでしょうね。
支離滅裂な中身をぶちまけたくて書き出すけど、結局は涙にしかならん。
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