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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

大事なのは、どの病気かなのではなく、あなたがどうしたいかなのだ……と、ずっと前に別の先生から言われた。
確かにその通りだと思って、どうしたいかを考えた。

その人は、「ふらみいさんには自分で自分をどうにかする力を持っている」と言われた。
実際にその通りだと思って、自分のことはじぶんで決めて考えて、どうしたいかを選択したつもりでいた。

現在、一週間近く休んでしまっている。
周りに迷惑や心配を掛けて、早く行かなければと思うのに、身体が言うことをきかない。
でも、休んで午後になると、身体は動く。土日は「月曜からがんばるよ」と思って、普通に動ける。
なのに、月曜は準備までして駄目になったりする。ふとんから起きようとしても力が入らず、一時間もぐだぐだやっていた。

これは甘えなのか、それとも本当に適応障害なのか、新型うつ? とかいうのもあるらしいが、どれかに当てはまるのか。

しかしわたしは何をしている。
そんな自責の念が込み上げて、一週間ずっと怠くて辛くて情けなかった。
何もできないわけじゃない。ちからを入れて、全身を動かすことは可能だ。きっと薬に頼らずともカウンセリングだけで動くことも可能だ。
お金だって必要だし、人との付き合いも無駄にはしたくないし、仕事そのものは嫌いじゃない。
わたし自身がストレスに弱いのも、環境変化に弱いのも解っている。なら、次の手も打てるというものだ。

何で同じとこでつまづくんだ、そればかり考えた。
下手の考え休むに似たり、とは言うが、わたし休みすぎではなかろうか。

昼頃になって動けるようになると、洗濯をする。
好きなことをしてみて、大丈夫だなと思ったら、明日行くのだと考える。
夜になると落ち込む。自分は何もできないやつだと感じてしまう。
朝になれば身体は鉛のように重くなる。そして怖々と休みの連絡を入れる。

おぉ、情けない。何しとるか。
適応障害になってから四年は経ったろうか。再発は幾度となくあって、きっとここらで転機を掴まねば永遠にこのままだ。
ずっと嫌なことから逃げて、身体の言う通りになってしまう。
わたしの意思はどちらにある。どちらにもあるんだけど、本当のこと言ったら、どうしたいんだ。それを何度も問いかける。

前に居たセンターで、すげー強気な人を思い出した。
朝起きる時にいつも「俺は負けない、あいつらには絶対に負けない」と起きる奴が居た。
負けん気強い人で、すぐに泣く人が嫌いで、でも義理人情には厚い奴だ。
少なからず憧れた、そのことを思い出した。

わたしは今ただ負けているだけだ。
誰に負けたのかは明白で、そも事務所は先輩二人だけではない。
こうなった原因が二人にあっても、それを覆すかのような助力は周りからもらっている。
カウンセリングでも「嫌なことがあると、そこしか見えなくなる。そこがあなたの今後の課題」と言われた。

わたしは負けているだけだ。このままだともっと負けて消える。会社からなのか、自分がなのかは解らないけど。
負けん気はないし、人と喧嘩するのは嫌だけど、わたしがわたしに勝てなくて駄目になってしまうのは悲しいことだ。たぶん。

どうせ皆、夕飯食べる頃には忘れているだろうことを、わたしはよくもまぁ一日のみならず気に病んだものだ。
時間の遣い方が勿体ない。気に病んだところで、それはわたしだけを蝕む。
その呪いは外へ出す。わたしか呪われるくらいなら、お前が呪われろ。先輩達に対して、それぐらいは思っているくせにな。

負けたわたしの行き先なんて、どこにもない。
明日こそ、明日こそと思っていたが、なんでもない顔して行けたらいいや。
何も言い訳にできない。

まずは腹ごしらえして、好きなことを始めようかの。

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