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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

もう書きにくるほどの気力が無い ふらみいです。こんばんは。

今日の台風はすごかったな。雨の降り方に恐怖を覚えるようだ。
でも、午後はからっと晴れました。むかつくぐらい晴れました。

さて、先週の金曜の夜からまた大阪に行ってきました。
今回の目的は広島に行くことです。
夏頃くらいから、何でか原爆ドームを訪れたくなりまして。

社会の資料集でしか知らない原爆ドームのことを知りたかったのもある。
けど、なんだろうな、行かなきゃーと思ったのでした。
べつに天啓めいたことは何も無く、いつもの気紛れなのだろうが。



原爆ドームを正面から。意外と小さかった。


青空とともに。とても綺麗な色だ。
この空の下で、何人もが爛れて亡くなってしまったの。


平和の子の像、でしたか。
たくさんの折り鶴が綺麗だったな。ふらみいも折れば良かったか。


岩が贈られてきたらしい。
その場所に似つかわしくない岩だけど、そこに居ることを許されてはいるようだ。


これもテレビではよく見るけど、実際に見たのは初めてだ。
ちゃんと向こう側に原爆ドームが見えるようになってんだね。

資料館の中も入ったぞ。思っていたより寄贈された品が多く、生々しいものを幾つも見ることができた。
皮膚や爪なども寄贈されていた。あれらは、持ち主にくっついている時に、持ち主と一緒に苦しんだのだろうか。

話題の人形も見てきたけど、これは撤去しちゃ駄目だろ。凄惨さを伝える為の大事なものだろ。
爪や皮膚の方が生々しくて嫌だーとかなら、まぁ解らなくもないけど、この人形は直球で伝えにくるじゃないか。あるべきものだろう。

最後の通路、でっかいパネルにカンナが瓦礫の間から生えているものがあった。
それは、この先75年は草木も生えないだろうと言われた広島で、その年の秋に生えたものだとか。
生命は強くいのちを体現するものなのだなって、見ていて思う。
カンナは勿論、生えたいから生えただけなんだろうけど。人間が勝手に意味づけしているだけで。

ふらみいが勝手に泣きたくなったのは、被曝した方のビデオでの話。
まだ学生だったその方は、学校に居る時に被曝され、周りに居た学友はほぼ亡くなられたそうな。
その時、生き残った生徒達は誰からともなく、校歌を歌い始めたそうだ。その方も歌っていたという。

何もかも解らなくなり、喪い、それでも生きなければならない時、人は心の中から取り出したものを言葉と旋律に乗せるものなのだろうか。
ふらみいも堕ろす間際、気付けば子守唄のようなものを歌っていたのでした。それは悲しくもなければ楽しくもない、何もない瞬間でした。


さて、そんな場所でいろんなことを考えつつ、しかし腹は減るのでごはんへ。


かえる亭だったかな、そこでいただきました。
お好み焼きとか普段食べないけど、個人のお店に行くと美味しくいただけるものなのね。


お昼食べた後は、呉まで移動。
原爆ドームに行くことしか頭に無かったんだけど、広島っていえばローカル線で呉に行くことができるんだね。


近年、注目され始めていると聞いたけど、それは間違いなく艦これのおかげではないだろうか。
艦これにハマって歴史が好きになった人だって居るだろうしね。


アラアッラー様の砲台ですって。でっかい!


1/10の大和。それでもすごく大きくて、実物の大きさを想像すると、とっても怖い。


呉鎮守府の板。堂々としていてすてき。


金剛のボイラー室の再現ですって!
ここに人形が2体居るのだけど、最初、本物かと思ってびっくりしたのは秘密だ。


金剛。赤と白かなって思える。あそこ。


東郷平八郎の懐中時計。こんなんもあるのか!とhshsして撮りました。
このへんからタガが外れていた気がする。


工廠の札。ちっちゃい。


艦名の付け方は気になったので、これだけで写真をば。


御言葉とともに。


遺書もあるのです。


何故か弁当箱を写しています。


備へ! 防げ! 打て!


決別電報。第二水雷船隊のもの。


千人針人形「龍子ちゃん」


矢矧の進水式の時に使われた斧だとか。


大和通信長の短剣。きらっとしている。


榊原氏のお顔だち凛々しいのに、隣の玉田氏の笑顔がなんか対照的で撮ったもの。
こんなに明るい笑顔の青年も、きりりとした精悍な印象を与える青年も、若くして等しく散ってしまったのだね。


長門の模型だって!


赤城の模型だって!


航空廠の辺り、罅割れたこの様が「あ、本物なんだ」と思わせます。


この言葉がなんだかぐっときた。


艦これにおける主人公の吹雪さんと、その下に霰さんが居たので、一緒にぱちり。


伊勢に積まれていたらしい救急箱。
前面には、火傷や涙への対処法が事細かに書いてあるのです。


着底した伊勢のでっかいパネル。


戦後、活気を取り戻した呉の様子だって!
余談だけど、廃墟写真が好きなふらみいは、意外と工場系の廃墟写真も好きなのです。
これは真逆の光景だけど、溢れる光とモノクロの暖かな色合いが、なんだかそこに居る人達の笑い声を聞かせてくれる気がしませんか。



大和のおしり!


榛名の模型。嫁です嫁。


屋上から見た、てつのくじら。潜水艦。潜水艇ではないのね。
実際に使われていたものらしくて、中に入ることもできるのです。
ごっさ狭くて、ソナーの音が怖くて、閉所狭所水恐怖症なふらみいにはなんだか辛かった・・・・・・。



海を臨んだ時に見えた船。とても大きい。
近くの港に、大きな看板で「大和のふるさと」と書いてあります。
あぁ、つい何十年前まで大和はここに居たのだなと思うと、感慨も湧いてきます。




いつもの、戦利品。
アイルーのご当地ストラップも買ったけど、一番はこれ。
帽子と錨の首飾り。
ちなみに、帽子の白は弟へのお土産にしました。


錨の首飾りは、意匠がこんな感じ。すっげ可愛い。
花にそんな興味は無いけど桜は好きなので、買わずにはいられなかった!


これは生きている間に一度は行った方がいいです。行って損することは何も無い。
ふらみいはいつもの如く、大阪の友人と一緒に行きました。
完全に自分の行きたいところにしか行ってないのに、よくついてきてくれたよな。
ほんと、友人に恵まれております。





現在、転職活動をしながら会社に行っているのだけど、薬が切れた所為か、また死にたくなってきた。
自分が頑張ること、貫くこと、伝えること、残すこと、全てに於いて意味が無い。
誰かに依存した人間の阿呆な末路です。誰もがそれを見て嘲笑うことでしょう。

死にたいと思うことすら辛いのに、この先も何の希望も無く、絶望と微かな期待とで生きていくだなんて、考えただけで吐き気がする。
友人らはもうふらみいを忘れて生きていくのだというのに、いったいいつまで縋る気なのだろう。
だから早く壊れないかと、決壊の時を静かに待つ。






作業用BGM
祈り子の歌 / FF10



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ぶちきれそうな毎日だね!

こんばんは、ふらみいです。
久しぶりにPCから書こうと思って打ち始めた瞬間、PCがフリーズしてしまいました。
暑さにも寒さにも弱い子だけど、ほんっとに寿命かもしれないな(´・ω・`)

ともすれば忘れてしまいそうなほど、毎日が過ぎていきます。
なんつーのかな、毎日の時間を無駄にしている感じだね。
ところどころで楽しいことも嬉しいこともあるんだけど、その後に来る絶望や悲痛に全部もっていかれる。

今のとこ、会社は例の気難しい未成年と完全に嫌いあっているような感じで、やりにくくて仕方ない。
仲良くなる気は多少なりともあったけど、3日ほど前に切手の貼る順番で向こうがキレた時から「あーめんどくせ、もういいです」てこっちもキレてしまいました。

まぁ、向こうがそんなつまらんことでキレるのも、ふらみいが嫌いだからだと思うけども。
嫌いな人のやることって、そこまで怒ることじゃなくても、嫌いな人がやったからこそ許せないって思ったりしませんか。
いや、ふらみいはあまり思わないけど。

世の中には、嫌いな人のやることは全て嫌い理由ありきでも嫌いとにかく嫌いって思って、思考停止する人も居るからね。
彼女もそういうタイプかもしれないし、違うかもしれない。
何考えているかは解らないです。何も考えてないかもな。

とはいえ、ふらみいももう疲れました。ほんとに疲れました。
あんまり周りに相談していると、逆にふらみいが面倒事だと思われるんだろなー。
そう考えたら、昨日今日とちょう大荒れでした。人並み以下のクズだからね、仕方ないね。

今はそれが一周して落ち着き、落ちるなら相手も巻き込んでやれという意識になっております。
ふらみいだけが我慢したり何だりって、不公平じゃないか。おまえもこっちこいよ(σ゚∀゚)σ

上に何度、相談したことか。何度、自分の考えを話したことか。
それでも状況が改善されないなら、辞めるしかないかな。このままだと薬に頼らざるを得なくなってしまう。

ぶちきれた時に、転職活動しながら今の仕事を続けようと思ったのですが、それもなかなか気力を使うことであります。
以前より、今の会社に居る気は無いんだけど、すぐに辞めるのは収入源が無くなって辛いから。

こんなことをずっと続けていると、人並み以下なんだなってよくよく解ります。
何がそんなに気に入らないんだって思うけど、気に入らないものは気に入らない。
普通の会社はつまらないし、自分は満足に仕事ができないクズなんだと自覚するし、その所為で先輩の自覚すら持たない未成年に嫌われるし、嫌なことばっかですね。

仕事のできないふらみいもいけないし、周りに甘やかされたままの未成年もいけないのでしょう。
どっちも辞めるのが、会社の為ですかね?

こんなこと続いて趣味が楽しめるわけがない。
早く安定できるようになりたいが、明日の朝に急に落ち込んだりするから駄目なんですよ。駄目なんですよ。
周りに迷惑かけちゃだめ!って気持ちより、あんな奴らに配慮すんな無駄だ!って気持ちのが強いんだ。

自分を守れるのも救えるのも自分だけだから。
明日の朝、どんなきもちで起きるだろう。



こんばんは、ふらみいです。

今日も会社でヘマばっかりして落ち込んできました。
一度聞いただけでは憶えられない、また憶えることのない脳味噌がどうしようもない鬱屈とした渦に呑まれています。

仕事ができるわけではないけど、もうちょっとやれると思っていた。
だけど、あんまりにも教わったことを憶えていない。実践しながら憶える派だよって言っても、限度があるだろ。
周りに愛想を尽かされないうちに、早く仕事を覚えなくてはいけませんな。


昨日は公休だったので、大学の時にお世話になっていたバイト先で仲良くなった娘達と、えのすいへ行って来ました。
久しぶりのえのすい。江ノ島自体、2月以来だったのでとっても良い気分。
やっぱりあそこに行くと元気になれる。大好き江ノ島。

今回行ったのは女子4人でだったのですが、そのうちの1人が結婚することが決まっていて、しかも旦那さんの赴任にくっついて台湾に行くとかいうので、行く前に遊びに行こうということで集まりました。
11月に式挙げて、1月にはもう台湾に行くらしい。なかなか慌しく、結婚の話も先月いきなり決まったそうな。

んで、残り2人とは3ヶ月ぶりくらいに会ったのだけど、1人が自分の諦めきれない夢の為に、大きく前進した話を聞きました。
昔から憧れていた世界へ、誰にも言わずに決めて踏み込んだそうです。
ずっとやりたかったことだから、今が楽しくてしょうがないということでした。

彼女の目標に向かう姿勢は純粋で真っ直ぐで、本当に好きでなければ見られない姿勢だなーと思ったのです。
憧れるだけでは近付けない。誰に何を言われてもいいから、一度の人生の中で後悔しない為に、なにより自分の為に動いて掴んだ機会は、何よりも尊い。

仕事先の人達は結構、口やかましいことを言ってきたらしいですが。
よくもまぁ言えたもんだな。彼女の人生に軽々しく口出しできるのは、何も考えていないからでしょう。言葉に責任も重みもないからでしょう。

そんなつまらないものは捨て置いて、どんどん加速して日々を過ごしていってほしいと思います。
同じ日は二度と来ないし、明日死んでしまうかも解らない。それなら、一日のうちにできることは全てやって、良い気分で眠りに就いてほしいと思います。

ふらみいは彼女の真っ直ぐさが好きなのですが、自分の目標を見失うことなく進むその姿勢には、素直に感動しました。
やりたいって言っているだけなら誰でもできるけど、実際に行動に移すとなると違うからね。その恐怖を乗り越えて踏み込んだのだから、勇気を称えたいのです。


ふらみいにもやりたいことがあるのだけど、今はまだ会社の方の仕事でいっぱいいっぱいです。
それに身体を綺麗にする為にも投資を始めたばかりだし。そっちが落ち着いてから、目標の為にお金を遣おうかな。
先立つものは金だけど、身体を動かすのはやはり心。

うらやむのはもうやめた。
奇跡も運も偶然も、まぐれもまぐろも自分で掴む。




おはようございます、ふらみいです。
またやってしまったぜ、休んでしまったぜ。
昨日と今日と、調子悪くて休んでおります。

特に昨日は「月曜に行かなきゃよかった」と思うくらい荒れていて、所長に休みの連絡を入れた際に勢い余って「行けません、行きたくありません」とか言ってしまったんだ!
まぁ嘘ではないが!!

苦手な未成年の事務員が、別の事務所とうちを行き来するようになり、他の人達も特に変化はなく過ごしており、なのにふらみいが荒れている理由とは。
自分でも解らないけど、やはり疎外感があるんだな。自分はここに居ていいのか、とか、居なくても平気じゃねーか、とか。

周りは同期が居たり、頼れる先輩が居たりして、毎日楽しそう。それがとても羨ましかった。
前の会社で仲良くなった同期のことを思い出したりして、「何でこんなに話せないんだ」と思ったら、もう身体が重くなり、頭痛がして、行けなくなっていたのでした。

仲良しごっこをする為に会社行くわけじゃねーだろ!と、さんざん周りに言われたけれど、やはり日中ほとんどを事務所で過ごすなら、少しくらい話せる人が居ないと辛いよ。
それが女子6人に囲まれてんだからなおさらだよ。
その中で疎外感なんて、精神が抉れるわ。

話しかけてみても、相手が自分に興味無いのが解ってしまって、話せなくなる。
そもそもそう感じること自体、被害者意識の強過ぎる作用かもしれないが。

3ヶ月も経ったのにこれか。困ったな。
もう駄目なのか。
って、他の会社に行ったところで同じだとは思うけど。
年齢的にも、もう転職しづらくなってくるから、ここで決めようと思っていたのにな。
他の事務所に移ることすら怖くなってきてしまった。

要らない人間だなんて、つまらない存在だなんて、言われたわけじゃなかったけど、そう感じてしまう。
これはもう自分の責任かね。それとも、新人に気を遣わずにいた事務員達が変わってんのかね。

明日はさすがに会社行く。
で、金曜が公休で、土曜は出社で、日曜は公休で、月曜は出社で、火曜は公休、と。
そんな感じで休みを挟みつつ様子を見ることにします。

薬、ちゃんと飲んでいるのにな。


こんばんは、ふらみいです。

毎日の疲れが吹き飛ぶかのような体験ができて、今とても楽しい気持ちでおります。
会社は相変わらずだけど、それはもう話すべき人に話したので、なるようにしかならないのです。


今日は大学時代の友人の個展に行ってきました。
以前から絵を描いていることは知っていたのですが、どんなものを描いているかまでは知らなくて、彼女とは普段話すけどやっぱり知らなくて、良い機会と思って見にいったのです。

いやーもー良かった。すごく素敵。
刺激にもなって、感無量であります。


彼女の言葉はいつも力に溢れていて、ふらみいの感性を言葉以上に刺激します。
きっと言葉だけでは彼女の表現したいことを表現しきれないのでしょう。
そうして描かれた絵画の一枚、一枚が彼女であり、言葉であり、絵画の為の絵画なのだと感じるのです。

感じることはふらみいの得意分野。昔からすぐに感じ取ることができていた。
だから今回も、色彩や形式に囚われすぎずに、より多くの彼女の欠片を受け取ることができた気がします。

それらは言葉にすると、もう違ってしまうでしょう。
だから具体的なことがあまり言えないのだけど、言う必要も無いかな。

彼女の力強さは、ふらみいとは方向性が全く違うと感じています。
確かにふらみいも力強いんだけど、彼女はもっとこう、炎みたいなんだな。ふらみいは大地みたいなんだな。

彼女が描くモノに触れて、ふらみいは最近の自分を恥じました。
まぁそりゃー会社に慣れてないし、好きなことやりたいことはそれなりあるから、全部できないで1日終わるのは仕方ないけど。
でも、そろそろ「会社が大変だから」はやめにしようと思います。

ふらみいも、何かを書かなくてはいけない。何かを残さなくてはいけない。
言い訳をして、悲痛さに縋って、何も残さないまま無為に生きるのは、もうやめなくてはいけない。
それは誰の為でもなく、自分の為。プロでもアマにすらなれない自分だけのことでも、何かを生み出し、書き残し、証として物語として刻みたいのなら、休んでいる暇なんて無かったのです。

書くのは好きです。でも好きなことしか書けません。
昔、就活で面接に行ったとある場所の面接官に「書くのが好きなんじゃなく、表現しやすい手段が書くことだったんだろう」と言われ、暴かれた!と思って号泣したこともありましたが、好きなんですよ、書くの。物語を作るの。
その表現したいことってのは、きっと誰もが感じて、表せることだと思います。
けど、ふらみいにしか書けないものを、感じられないものを、託せないものを、物語の中においておきたいのです。


で、歌うのが好きなので、やっぱ歌うべ!と心に一言が浮かび、思い至る。
それは歌い手になるというより、もっと違う形で。

最初はカラオケ上手くなりたいなーぐらいの気持ちで歌を習いに行くつもりだけど、目指すのはそこではなく、民族的な歌唱法を修めることに……なるのか?
そうなりたい。言葉をもたない歌い手になりたい、と言えばいいのかな。

アイヌの唄や、サーミのヨイクなど、まだふらみいが知らないだけで、言葉ではないもの、歌ではないもので心を伝え合う手段が、世界にはある筈なのです。
そこに今とても興味がある。
言葉を愛し、言葉に囚われるからこそ、言葉から解放された手段で通じ合う者達が不思議なのです。
それは正に文化の違いだと思いますが、言葉ありきで、言葉に置換して理解する癖のついた自分からしてみたら、未踏の領域です。興味が湧かないわけがない。

言葉をもたない歌い手になりたい、言葉で世界を現し愛する物語を書きたい、ふたつ合わせて「語り手」と呼んでもいいんじゃないかな。
そんな存在になりたいと、改めて感じ、目標して見据えたく。

大事な人と遭って手に入れた「巫女」という称号も大事だけど、それだけがふらみいの価値ではなく、それだけがしたいことではない。
人間の仲間に憧れて、それでもこんなサブカル系マジキチ中古疵物デブスにそんな満足なものは与えられなくて、手に入れては失うばかりで、頑張ったって努力したって報われることなんてなくて、そもそもここに産まれる必要のなかった存在だけど、やりたいことがハッキリしてきた。


そんな大きな気持ちに気付かせてくれた、或いはキッカケをくれたのは、彼女の"踊れ生命よ"という絵でした。

その極彩色と様々な形をもつ絵に触れて、ふらみいの中の生命は胎動をはじめた物語とともに、もう一度、やってみよう。
人間に焦がれる日も、妬む日も、憎む日も、愛す日も、かろうじて伸ばした手に掴めるものがありますよう。


さて、何から始めようかな。
一秒も無駄にしちゃいけない、とはいえ、全てを捧げるわけにもいかないから、貪欲にいきましょう。



作業用BGM
 疾走する閃光 / fox cupture plan

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