ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
やっと借りることができたので、グリーンマイルを観た。
実はまだ観たことがなかったのだ。
だいぶ前に、ちょっとだけ観たことはある。
親父が観ている途中からで、死刑として電気椅子が実行に移されたけど、スポンジが濡れていなかった所為で、死刑を受ける人が苦しんでいる場面だった。
そして、その苦しみを、離れた場所に居る黒い大きな男が受けていた。
そんな壮絶な場面を観て、何が何やら解らなかった。
後になってそれがグリーンマイルという有名な映画の一場面であると知る。
それから何年も経って、やっとちゃんと観ることができたのだ。
きっと何かしらの感覚をくれるだろうと、観る前は思っていたもんだ。
そんな気楽な気持ちで観ていいものではないと、観終わった今では思う。
これは主人公が語る昔のお話だ。
現代で、介護施設に居る主人公が友人の女性に語ることから、話が始まるようになっている。
看守を勤める主人公は仲間達と共に、通称・グリーンマイルと呼ばれる刑務所にて、死刑囚の「最期の日」までを監視していた。
そこに来た、黒い肌の男はジョン・コーフィといって、少女二人を強姦、殺害したことにより、収監されることになっていた。
しかし、そのコーフィには不思議な力があり、目を疑うような「奇跡」が主人公達の周りに置き始めるが・・・・・・
と、こんな感じだろうか。
3時間弱の映画だけれど、飽きを全く感じさせなくて、ぐいぐいと惹きこまれていった。
音楽は耳にあまり障りないものなので、余計に映画の世界に入れるのかも。
必要以上の音が無いという感じか。映画そのものを引き立てるのに、音楽や効果音は使われているけど、それを意識しないぐらいには自然に一つにまとまっている。
主人公とその仕事仲間である四人組、そしてコネで入ってきただけの危うい奴が一人。
このコネで入ってきた奴が非常に厄介で、問題行動ばかり取るのだ。そして、死刑が見たい一心で、刑務所からまだ転属したくないという。阿呆なのか。
そんな癖のある人、これまた癖のある死刑囚達、新しく入ってきた死刑囚なんて掛け値なしの悪党に描かれている。
主人公を取り巻く環境が実に多彩。奥さんも居るし、仕事仲間には恵まれているし、コネで入ってきた奴は問題ばかり起こすし、死刑囚の話を聞いていろいろ考えさせられるし、上司の奥さんが病気だといってそれを心配しているし。
こう、上手く立ち回るということが非常に難しい。先ず、仕事が仕事だから、死刑囚に感情移入なんて以ての外だろうしな。
この主人公は、何故この仕事を選んだのだろう。
コネで入ってきた人は、どうしてそんな性分になってしまったのだろう。
”ワイルド・ビル”の精神を占めているものは何なのだろう。
コーフィは力をどんなふうに感じて、世の中をどんなふうに生きてきたのだろう。
そんな疑問が尽きない。
生まれた時から悪人になるべくしてなったのかな、という人は世の中に一定数、居るのではないかと思うけど、そうなる理由が必ずあると思うんだよな。
理由もなく悪人になったというのなら、それはもうその人がそうなるように造られたのだろう。理屈ではないのだろう。人智を越えた存在と言っていいんじゃないか。
僕にとって、コネで入ってきた人も、”ワイルド・ビル”もそれ。お前ら、どうやってそんな精神状態になったんだ。
そして、コーフィは何を感じて、どうしてそういう行動を取ったんだ。
とある場所で見た感想文で、「これは感動作ではなく、ホラーだ」とあったのだけど、成程、そうかもしれない。
僕はコーフィを天使か何かのようには感じなかった。その力が良い方に使われているから天使に見えるだけで、ある使い方をすれば彼は悪魔とすぐに呼び直される。
そして、あの終わり方ね。確かに怖いね。主人公は「贖いなんだ」と言っていたけど、本人が望んだことを望んだ通りにしただけなの。
でも、力そのものに意思は無いんだよね。使われた力が作用して、結果があぁなっただけ。それはコーフィの所為でも、主人公の所為でもないね。
観たことない方は是非、一度、観てみてください。これは魂を抜かれる。
僕は世界に引き込まれ過ぎて、何度も泣きました。大号泣でした。途中で勝手に何語だか解らんけど、泣きながら喋っていました。同調してしまったようです。
感受性が強い方は、特にご注意を。死刑囚だからね、死刑にされるだけの罪があるのだと解っていても、その惨たらしさに息が詰まりますな。
そのへん、SAW3や4で感じた「許すのか、許さないのか」に、自分の中で繋がりました。
死刑囚の死んでいく様を見たら、そりゃ怖いね。だけど、彼らが何をしたのかを、忘れてはいけないよね。
泣いた後なので、放心していました。
後はネタバレしながらじゃないと書けないので、隠しておく!
観ていて本当に辛かった。同調しすぎてしまったんだ。あれ以上、場面が続いたらコーフィと同じことになっていたんじゃないかってぐらい。
この映画は本当にしっとりと重たくて、いろんなことが描いてある。だけど、単純で、綺麗に見えて、とても怖い映画だな。
主人公達は死刑囚に対して、何をどう思って接しているのだろう。
感情移入したら仕事にならんから、ある程度の距離は置いていると思うんだけどね。
それでも毎日一緒に居て、話ができるようになって、それも死刑囚が悔いていたら、死ぬ間際に寂しくなったりするのだろうか。
看守の仕事を選ぶというのは、並みの精神力ではできないことだろう。人の死ぬ様を見て、それまでの人生を知って、自分の中に何も残さずに流すということは難しい筈だ。
特に主人公は自分の仕事に対して真面目だけど、優しいね。優しいというか、何というか。
上司の奥さんを何とかしてあげたいから、クビになるの覚悟でコーフィを連れだすって、結構思い切っているよな。
そこまでする理由がよく解らなかった。それは原作を読んだら解るかな?
確かに助けられるものなら助けたいけど、上司の奥さんが癌で大変なことになっているって聞いて、そこまでやろうとするかな。奥さんや上司と特別親しかったのかな。
そのへんが解っていなかったので、主人公の行動には別の意味で驚かされました。
んで、コネで入ってきた子ね、パーシー。こいつは何で悪い奴になってしまったのだろう。
三拍子揃ったクズだけど、何も産まれた時からクズだったわけじゃないだろう。彼があぁなってしまった原因が、どこかにあるんじゃないか?
まぁ、それをハッキリさせたところで、何も解決できないんだけど。根っからの悪人だったというには、少し足りないんだよな。だから、何か曲がるしかなかった理由があるんだと思ってしまった。
でなければ、死刑であんなことしないでしょう。
ドラクロアの死刑、あそこがすごく怖くて涙が止まらなかった。
ミスター・ジングルスを踏んだ時もびっくりしたけど、まさかドラクロアの死刑でそんなことするなんて、と。
いや、憎かったんだね、嫌いだったんだね、殺しても殺したりないほどだったんだね。そういう人って居るよね、うん。
そして、スポンジを濡らさないばかりに、苦痛を長引かせることになってしまった。一度下ろしたバーをまた上げることはできないと言っていた。もうこれならその場で銃殺の方がマシだったろう。何故、そんなに電気椅子に拘るのだ。
まぁ、ドラクロアの罪状を見てみたら、ああいう死に方をしてもしょうがないようなことしていたけれど。少女を強姦の上に殺害、火を放ったら延焼して六人も亡くなった。そこには子どもの数も含まれる。
それなら、彼自身、電流で苦しんで、発火したとて止めてもらえないまま、苦しんだまま死ぬしかなかったのかもしれない。
ここで自分の抱く感情の矛盾に、首を捻る。
一方では「罪状に沿って彼は苦しむべきだ」と思うけれど、あんな苦しみ方を見ていたら「こんな惨いことを、なんてことを」と涙が止まらなくなる。この矛盾は、何だろう。
結局、安全圏でだらだら映画を観ているから言えることだもんな、こんなの。
実際に、じゃあ実際に、自分の友人か誰かが強姦されて殺されて、そいつの死刑に立ち会えるとしたら、僕は向かうだろう。電気椅子のバーを僕に下ろさせてくれ、と言い出すかもしれない。
苦しめた奴に、相応の苦しみを。どんなに泣いても縋っても許さない。死んでも許さない。そういった気持ちがあるから、苦しんでいるのを見ると「往生際が悪いな」と唾を吐くかもしれない。
しかし、そこで惨たらしいものを実際に見せられると、それがどんな凶悪犯だとしても、泣いて喚いて苦しんでいたら、「やめてあげて」と言うものなのかもしれない。痛いのも、辛いのも、見ていて気持ちのいいものではない。だけど、それが僕から大事なものを奪った奴の死にざまなら、嬉しくもなく悲しくもなく、ただじっと見ているだろうに、と思った。
そうだな、僕は惨たらしいものや、剥き出しの感情が怖いのだ。自分が感情を剥き出しにするくせに、周りが誰かに剥けている感情が怖いのだ。それを感じている僕は、いったい誰なんだろう。
昔、中学生の時に、そこまで仲良くはなかったけど話す友人が、泣いたんだ。
彼女はそのちょっと変わった性格から、周りの人間と打ち解けていなくて、からかわれる対象だった。彼女のお気に入りのペンがぎっしり詰まった筆箱を思いっきり投げられて、中のペンが駄目になったりしていた。
彼女は絵を描くのが好きだったから、ペンを駄目にされてひどく怒っていた。怒りながら先生に話していたけど、そのうち涙を流し始めた。
僕はそれを聞いていて、彼女の放つ「あいつらみんな殺してやりたい」という感情と、クラスの奴らが剥ける彼女へのなんてことない悪戯の気に恐れを抱き、涙が出てきた。どっちも怖かったのだ。
けど、そんな僕を見て、担任の先生は怖い顔をして怒った。「やめなさい、あなたが同情することではないんだよ」と。同情ではなく、怖かったんだけど、その時の気持ちが本当に同情じゃないのか、何なのか、僕には説明する言葉が無かった。
それと同じように、説明ができない。火を吹いて苦しみながら死んだ死刑囚に、僕は同情したのだろうか。同情して、あんなに涙を浮かべられるものだろうか。
だとしたら、僕はなんて薄汚いのだろう。結局、どこまでも他人事なのだな。
そして、コーフィの純粋さが胸を刺す。彼は別に天使でも悪魔でもない、人間だ。不思議な力を持った、少し頭の回転の遅い人間なのだ。
それを周りが力を使わせた。彼自身の願いもあったろうけど、力で良いことをさせた。周りが、「これは良いことだ」と信じて。
その反面、力を使って悪い者同士を潰させた。パーシーも、”ワイルド・ビル”も、もう戻ってこられないようにした。けど、彼らとドラクロアの差って何だろう。悪いことをしたのは、皆同じなのに。
あ、でも心の中のことは誰も隠せないって言っていたっけ。ドラクロアも最初に来た時は悪人だったけど、ミスター・ジングルスと関わっていくうちに、解ったことがあるのかもしれない。悔いていたから、その心を知ってコーフィは仲良くしていたのかな。
更生されない悪人を、コーフィは同士討ちのような形で潰しあわせた。それは他の「良いだろうとされる人」を巻き込まない、実に綺麗な形での始末だったけど、その陰にまた始まる連鎖があるんじゃないのか。
”ワイルド・ビル”に家族が居たら? パーシーの家族は?
その咎を負うかのように、コーフィは死刑台に進んだな。
ここで死刑を拒むことがなかったのは、生きていくことに疲れたからってのもあるだろうが、人間を殺してしまったことへの罪滅ぼしもあるんじゃないのかな。彼もまた、力を使って間接的に加担した。人の社会に居るなら、その罪を雪がないといけない。
力を良いように捉えすぎだ、主人公達は。もうちょっと違う見方をするといい。
だけど、良い影響ばかりくれたのだから、そんなふうには考えられないか。コーフィ自身も、とても純粋な子だ。星を見上げて、土の馨を嗅いで笑顔になれるような。
だけど、彼もまた人を殺したんだ。悪い奴ら同士でもね。それは忘れちゃいけないんじゃないかな。
ってことは、やはり主人公は甘いな。優しすぎる。
けれど、主人公の甘さも、コーフィの純粋さも、僕は好きだな。そういう人達が居るから、生きていてよかったと思えるもんだよ。
だけど、最後はなぁ・・・・・・コーフィの力によって長生きしている主人公とミスター・ジングルスは、いったいいつまで生きるのだろう。
あんなによぼよぼになっても、まだ生きる。身体が動かせなくなっても、まだ生きるのかな。
コーフィを死刑にしたことの罰だというけれど、本当にそうかな。親しい者や愛する者を見送って、自分を知る人が居なくなったのに、まだ尚、生きていくことの苦しみとは、どんなものだろう。
ミスター・ジングルスとしか分かち合えない孤独は、主人公の心をどんなにか崩しているのだろうな。寝る前にいつも考えて、起きたら「あぁ、今日も生きているんだな」なんて考えるのかな。
そんな人生にどんな意味を見出せばいいのか、誰にも解らないでしょう。或る程度まで生きたら、もう死んでしまいたいと思っても、不思議はないしょう。
このへんが、別の方の感想文でも言われていたけど、ホラーっちゃホラーだな。生き続けることの苦痛と恐怖が、やはり人智を越えた力に触れてはならないと教えるの。
この映画のDVDは恐らく買うけれど、すぐには観られないな。感応の力が強すぎる。
正直、ダンサー・イン・ザ・ダークよりも泣いたし、感応してしまった。
誰かの痛む姿は僕の心に想像以上の波紋を掻き立てるようだ。これは僕が同情しているからなのだろうか。役に立たないその感情を、僕は誰にでも剥けることができるのだろうか。
グロテスクな部分もあるけれど、それすらも必要な映画なので、どうぞ観ていろんなことを感じてください。
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