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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

こんばんは、ふらみいです。いつも心が折れて自業自得の涙を流す、わたしです。

金曜の夜からまた大阪に行って、土曜に京都に行ってきました。
中学生の修学旅行で行った時以来の京都です。
あの時のリベンジも兼ねて、と言いたいところではありますが、生憎、そこまでどこに行ったかを憶えていないのです。
とりあえず、清水寺に行って「これは落ちたら死ぬな」と思ったことと、でんでん太鼓を雑貨屋で買って「これでフラミーが呼べるよォォ!!!」と1人でテンション上がったことは憶えております。えぇ、昔からそんなんです。


大阪からだと、京都線の新快速で20分ほどで着くようです。はやーい。
ウチから新宿より遥かに近いし速いです。すばらしーい。

行くなら1日フリーパスがお得なようです。箱根にある、ロープウェイもバスも乗れるようなアレ。
京都は主にバスで移動することが多く、徒歩よりは良いでしょう。
降りる駅だけ確認して、バスで移動して、迷ったら一旦、京都駅に戻ることをお勧めします。

清水寺に最初に行って、全く記憶に残っていないことに驚く
あれェ、こんな場所だったっけェ??(ノ∀`)
もう初めて過ぎる。本当に何も憶えておらんぞ。班の人達と回った筈なんだけど、高台の景色しか残ってない・・・・・・というか、それもCMとかで捏造された記憶なのかしら。


ちょっと手前で情熱的なポージングの方が写ってしまいましたが、門です。
三年坂の前だから、きっと正門。大きい。立派。


例の場所に行く前に、「仏さんの胎内へ還って生まれ変わる」という体験、「胎内めぐり」ができるという場所に行きました。
随求堂(ずいぐどう)なる堂の地下に全く光を通さない空間を造り、そこを仏様の胎内として人が通り、ぼんやりとした光源に照らされた梵字の描かれた石に触れて願い事をし、還ってくるという。

暗闇に閉ざされた後、心身が生まれ変わって地上に出てくるということですが、いやー生まれ変われなかった
いやでも、真っ暗闇はすごかった。暗所恐怖症の方には、かなり厳しい場所です。動けなくなることうけいあいです。
先を行く友人も「これは怖いな」としきりに言っていたので、本当に怖かったのだと思います。
かくいうわたしも最初は光が感じられなくて、すぐに自分の目が開いている筈なのに閉じてしまっているような感覚を覚えました。頼みの綱は、手すりだけです。手すりに沿って歩いていくだけです。
落とし穴とか、いきなり出現する壁とか、そんなものある筈ないのに考えちゃうんだね。怖がり。

けど、また少しして、今度は暗闇が普通になってきたのだった。
手すりに沿って、ゆっくりと自分が歩いている感覚を覚えていって、いつの間にか「ひとつ積んでは父の為、ふたつ積んでは・・・・・・」と呟きだす。
マンキンでアンナ女将が口寄せする時に唱えていたことばが好きでしてね、特に意味は無かったのですが。
それでも、周りの人にもし聴こえていたなら、怖かったろうなって思う。ごめんなさい。



で、そこを出てからは景色を見にいきました。
これは例の見晴台(なのだろうか)から真正面の景色。うん、見覚えが無い


そして例の景色ね。反対側の通路から撮りました。
これはCMでも使われるような超有名な景色だから、記憶に残る残らないとか関係ないな。
曇天なのが惜しいけど、それでも良い眺めでした。友人の誘導が素晴らしい。


ちなみに、見晴台に居た時に撮った下の光景。
こうして見ると、確かに高い場所だけど、中学生の時に受けた「死にそう」って印象は薄いなぁ。
打ち所悪かったら死ぬだろうけど、即死できる高さではないというか・・・・・・解らないな。
3つの滝も写していますが、これも全く憶えていなかった


寺の中にあったお茶屋さん。大神を思い出して、思わずぱちりこ。
「そこかよ!」とツッコミを入れられましたが、舌切って響きは気になるだろ。




清水寺を出て、目の前の三年坂を行く。お土産通りってやつですね。
土曜なのに、どこかの学生さんが修学旅行で来ていたようです。
平日に来させてあげなさいよ・・・・・・、土日じゃ人が多くて、学生さん達ゆっくり見られないんじゃないか?



とある路地裏。この生活感が溢れる景色、嫌いじゃない。
ごみごみした街ってのは慣れないものだけど、斎藤芽生さんが描く絵のような路地裏は好きです。
東京の路地裏がやっぱりTHE・路地裏って感じで好きだけど、ここの落ち着いた感じもノスタルジー。


次に行ったのが、三十三間堂。正式名は蓮華王院本堂というらしいです。たくさんの仏像が並ぶ圧巻の写真が有名な場所、と言えばいいでしょうか。
これは友人のリベンジです。小学生の時に行くの楽しみにしていたのに、尺の都合で行けなかったらしい。

堂内は撮影禁止の為、資料が何も無いのですが、いやーそれでも圧巻。すごかった。
ちゃりんちゃりん小銭入れて、ろうそくまで灯してきちゃったよ。
千体も並ぶ仏像は製作者不詳の物もありますが、皆、一様に統一されたデザイン。顔立ちが若干、違うような。東京や奈良のお寺へ貸し出しもされていました。

千体の先陣を切るかのように、風神・雷神と二十八部衆の像もございます。
他にも幾つかあったけれど、印象に残ったのは、信仰深い姿をそのまま残したとも言えるような女性の像。名前が解っていないのです、申し訳ない。
仏像の眼には水晶体が使われていて、その輝きはまるで生きているかのよう。
例えが何とも言えませんが、ドールのグラスアイのようでした。というか、グラスアイなのかな。どこ見ていても、なんだか目が合うような感じがしました。


外もぐるっと回ってきたら、こんな子を見つけました。
白川郷とあって、思わず撮ってしまったよ。あぁ、また行きたいなぁ。
そういえば、ちょうどこれぐらいの時期に行ったんだっけ。もう3年前のことなのか。時間、経ったな。


お昼の為に一旦、京都駅に戻りました。おそば食べました。
特に決まっているわけではないけど、何だかこの子と遠出すると、いっつも昼にそば食べている気がする。白川郷のイメージかな。そうだな、広島の時はお好み焼きだったもん。


次に向かったのは京都水族館です。海に全然近くないけど、水族館があってふしぎな感じ。
その公園内にあった車両。昔使われていたものを、案内所として使っているようでした。
この車体が可愛くて撮ったけれど、べつに鉄オタじゃないんだよ

なかは見応えのある空間いっぱいでした。うぅーん、アザラシ可愛いな。
えのすいや海遊館で慣れているから、大体こんな造りかなーっていうのは解っていたのだけど、やはり新しい場所はわくわくしますな!

とはいえ、カメラのフラッシュは焚かないにしても、写真を撮られるのはストレスになるだろうなーと思って、あまり生き物は撮らないようにしております。
撮った子といえばこれ、くらげ。

ミズクラゲの安定した可愛さね。好きね。
パシフィックシーネットルて、なっがい触手がひらひらしている子も優雅で好きだけど、このモモンゴを彷彿とさせる、ゆったりとした流れ方がすごく好き。


居ました、チンアナゴたち。テンション一気に上がった。
えのすいの子たちは、ほんのちょみっとしか出ていなかったけど、この子たちは みょいーんと出てきていた。いいねぇ、いいねぇ。

イルカのショーも見ることができました。ぷーって吹けなかった、とうとう最後まで吹けなかった。
しかも、その前後でちょっとやらかしたからね。まただよ。そうならないように気を付けようと思ったばっかりじゃん。どうなってんの。
何とか持ち直さなくては、としたけれど、上手くできず。あぁ、これじゃ駄目なんだよなぁ・・・・・・。


自己嫌悪に陥り、テンションが下がり、面倒くせーことになってしまったわたし(何してんだ?)
友人が気を利かせてくれまして、京都駅にまた戻り、どこ行こうと考えていて、伏見稲荷のことを思い出しました。
本当は金閣寺か銀閣寺に行きたかったけど、遠い&もう閉館時間になるということで、閉館時間の無い伏見稲荷に行くことに。

わたしは神社に行くと毎回、頭痛がするぐらい、神社と相性が良くないのですが、伏見稲荷の千本鳥居は気になっていました。
一見しただけでは異様に見えて「うわ怖い」と思ったけれど、せっかく京都に来たのなら見てみようという気になったのです。

不可視の話をすれば、呼ばれてもいた。だから、大丈夫だろうなと思って、行ってきましたよ。



先ず最初に潜った鳥居。
もうここから伏見稲荷の領地だと思うのだけど、何かが崩れるような感じも、攻撃してくるような気配も無い。優しい。
こっちは裏門のような場所で、お土産通りでした。正門はもう少し右手の方からでした。



手前にどーんとお姉さんが写っておりますが人間です(コラ)
外国人に人気な場所なので、なかなか人が居なくなる瞬間が無いのですよね。友人は人が居なくなった瞬間にばっちり撮っておりました。

大きな鳥居はともかくとして、山に向かう為の鳥居の辺りで悲劇は起きた。
千本鳥居の所って、建てられている間隔が10cmもなさそーな上に、天井がずっと低くてね、狭所恐怖症にはかなりエグい場所ですよ
最初は良かったんだけど、進んでいくうちに「うわ、こんなに隙間が無いんじゃ逃げられないな、天井も低いな、狭いな」と思い始めて、だんだん怖くなって、縮こまって歩いていくようになったわたし。めんどくせっ。
まぁ、自分でそうは言っても、怖いものは怖いのです。狭い所というか、閉所というか。暗いのは平気だけど、「ここから出られないかもしれない」と思わせるような場所に来ると、落ち着かなくなり、呼吸が浅くなります。
だから千本鳥居を出る頃には、だいぶ呼吸が浅く、まるで首を絞められているかのようでした。なんだこれ、有り難味の欠片もないよ!



千本鳥居を抜けて、もっと山の奥へ進みます。その間も、大きな鳥居を幾つもくぐります。
その途中にあった、小さな空間。路地裏感覚で撮って、気に入ったからLINEのホームに設定したら「この画像怖いね」と悪評でした。
ちょっとばかし加工してみると、見事に怖い空間です。何か写っていてもおかしくないのかもしれない。気にしない!

道中に「今ここですよ」という看板とイラストがあるのですが、騙されます、信用しないでください。
ものっそ簡潔に可愛く描かれたイラストは、10分以上の険しい道を登ってきた人達に絶望を植え付けてくれます。
下で見たイラストと上で見るイラストの現在位置を示す矢印が、ぜんっぜん距離が空いていなくて、自分が苦心して歩いてきた距離を笑い飛ばされます
たくさん歩いた筈なのに、ちっとも前に進めていないと錯覚する(いつからここが中間地点だと錯覚していた?)

「まだこれしか進んでないの!? 嘘だろ!?」と騒いでいたら、伏見稲荷の一帯に詳しいらしい方が説明をしてくださいました。
曰く、イラストはあまり信憑性が無い、もう少し上に登るととても良い景色が見られるが、それ以上は登っていっても森と鳥居しか見られない。

というわけで、その「良い景色」を見に、頑張って登りました。
いや、辛いな。山道は江ノ島散策で慣れているつもりだったけど、ロングスカートだった為に汗めっちゃかいて、足がもつれそうだったよ。友人はさくさく行くよ。
清水寺で読んだ看板の「この先の道は急勾配の為、ご自身の体力と脚力に自信のある方以外にはお勧めできません」という旨を思い出す。体力と脚力だって。自信ねぇよ


しかァし、上に行ったらこんな景色が見られましたよ!! これは素晴らしい!!!
曇天がちょうど晴れてきたところで、天使の梯子が見られるような好条件。神々しいですねぇ。


ちなみにこっちは友人が撮ったもの。今回で一番わたしが気に入った写真にございます。
巧いですねぇ。撮れればいいやというわたしには絶対撮れませんな。


これは光の具合が好きです。雲の透け具合も良いです。
しかし電線が邪魔です。やっちまった。
この光景は、先の写真を撮った中腹よりもう少し上、また社がありますので、そこでご覧いただけるでしょう。

ここまで来ると、わたしはもう下りのことを考えて膝がgkbrですよ。下り怖いよ←下る時の階段もエスカレーターも怖い
踏破するつもりでいたけど、時間も遅かった。この時点で恐らく18時半近かったかと。
社より先はまだ道が続いていたのだけど、その先も行ってから下りるとなると、真っ暗になっているんじゃないかと思って、ここで下りることに決めました。
神社も山も明るいうちに去るが良し、です。

そしてここでまた面倒事が起こるわたしです。今度は下りるのに手間が掛かった。
あまりにも同じ景色が続く為、下りの階段が全部続いているように見えて(平地のように)、どこを踏みしめていいのか解らないという、それこそよくわからない錯覚を起こす。
目の辺りにひさしを作るようにして視界を限定しないと、ちゃんと下りられなくなってしまいました。

友人がサクサク行くのが恨めしく(コラァ)もあり、羨ましくもあり、ついつい刺々しい態度に。とばっちり。ごめんなさい。



下に着いて、ほっと一息。
そこで撮った夕焼けです。この日は本当に雲が良い仕事をしています。


京都駅でお土産を買って、ついでに付き合ってくれた友人へのお礼の品も買って、大阪へ帰宅。
飲み屋さんに飲めないのについていって、そこで話をして、いろいろ反省。猛省。
上手くできないんじゃなくて、やる気がないのか、わたしは・・・・・・どうなっているのだろう。

でも、指摘されすぎて、それが正論すぎて、もう悔しくて情けなくて素直に頷けない。
手がかかるなと自分で呆れるけど、友人が呆れながらも最後まで付き合ってくれることが嬉しくもあり謎でもあり、拗ねたくなって「もうほっとけよ、こんなバカ(ふらみい)なんてよォ!」と言いたくなるのを必死で堪えました。

せっかく遠出したんだから、一緒に行きたいと思って誘ったんだから、楽しいままで終わりにしたかったのだけど、わたしがやらかしたという。
確かにその子を特別に思うことによる弊害なのだけど、こういう事態をよく引き起こしていた相手はもう1人居るのです。ぼくはどうやら優しい人や甘やかしてくれる人に、そういう行動を取ってしまうようです。

相違点は、そのもう1人が相方という立場に居てくれていたということ。つまり、恋人っすね。
自分のそばに置ける人間に、わたしは良い意味でも悪い意味でも遠慮が無くなってしまうのです。
現在、恋人と呼べるような人間は近くに居ないけど、自分のそばに気配を感じる人間は、今回遊びに行った子ぐらい。だから、こういうことをしてしまうのかなぁ、と思いました。

恋人じゃないだろ以前に、そばに居る人間に悪い意味で遠慮しないって駄目だろ。もう治そうよ。
というか、今回はそういうことをしないようにしようって思っていたのに、結局やっちゃったよ。頭に簡単に血が昇るよ。言いたいこと言う前に態度に出ているよ。
言葉で交わせば笑い話で済んでいたかもしれないのに、本当、やっちゃったな。これでは相手もぼくと出かける気が失せるだろう。
前回の電話といい、今回といい、相手の厚意を無駄にしていることが多い。何やってんだ、本当に嫌われてーのか。

その話をして、夜中まで掛かって、相手が寝た後も悔しくて情けなくて、さんぽに出てみるも時間は2時半の真夜中で「意外と人が歩いているな、怖いわ!」と思って20分で戻る。
それから寝たけれど、やっぱり5時間くらい寝て起きてしまったので、また考える。泣きそうになる。というかもう泣いている。
五月蝿くしたらいけない、ひとりで考えようと風呂場の前で座り込む。考える。泣く。考える。泣く。
そんなことをして2時間は居た。そして考えはまとまらない。

愚かであると評されたわたしがいくら考えてみたところで、今回のようなことをまたもしでかしてしまったのなら、変わりたいと思っても変われない気がしたのです。
何を言っても行っても意味がなくて、約束できることもない、本当に価値の無い存在にしか思えなかったのです。
なのに、その子とまだ話していて、向き合えるような力も覚悟も無いことを思い知らされたのに、何でまだ話してくれているのか解らなくて、あぁ辛かった。
いじけて八つ当たりしたくなることうけあいです。この無様さを、愚かさを、嗤うことなんて容易いだろうし、そうできるだけの力があるのに、弱いもの虐めはしないんだ、へぇ優しいね、優しくて賢いなんて素晴らしすぎて拝みたいなぁコノヤロー!!!! ・・・・・・なんて思ったりもしました。

ありがたいけど、謎。何でそんなにすごい君が、ぼくなんかの為にそこまで心を砕くのだろう。
こんな奴相手でも全力を出せることの証明に、なれるだろうか。
そういうことじゃなくて、ただ単に君はぼくとの関係を大事にしようとしてくれているのだろうか。
ぼくは君のそういうところが好きなのだが、怖いとも思う。そこに向き合うまで、全然、力が足りない。

変わることができれば、君にまた近づけるのか。
前のままで居られるわけがないと解っていたのに、パワポケでもあるように、現実はいつも想像より上の事態として目の前に立ちふさがってくるのですよね。覚悟していたつもりでも、敗北必至。

ぼくはぼくの大事にしたい人達に、ちゃんと約束ができる存在になりたかった。
だけど、ぼくなんかがそんな存在になって何の意味があるだろうって、ずっと思っていた。
けどなぁ、逃げてばっかりじゃ辛くなるからなぁ。葉くんのこの台詞、好きなんだなぁ。
今は悔しくて情けなくて考えられないけど、落ち着いたら考えられるだろうか。少しは君にも他のひとにも相応しい存在となれるだろうか。
なれなかったら、もうどうにもならない。きっとぼくの心が死ぬだけなのだ。



さて、そんな精神的な敗北もあったけど、わたしは楽しかったです。途中で辛くなったけど、楽しかったです。
これがほんとに楽しかったかどうかは、今後にかかってくると思います。


いつもの戦利品。猫と伏見稲荷です。踏破できなかったことが、だいぶ悔しい。


何でこの小銭入れにしたのかって、この裏側のイラストが正にわたしの心境だからですよ!!!



今回の戦利品と、遥か中学生の頃の戦利品を並べてみる。
本当に行ったんだなぁ、京都。14年前か。楽しかったな。





作業用BGM
早退系ネガティブ天国 / ゆうゆP

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