ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
僕の幸せを壊した人が居る。
安心できる場所を奪い、時間を奪い、それでも自分は幸せになれると思っている人が居る。
安心の代償はその人自身が払えばいいものを、ツケを払うことなく人生を謳歌している。
自分が幸せになれるだなんて、信じないでほしい。
僕がどういう人間か、もう忘れてしまったのか。
なら、何度でも思い出させてやろうと思った。
その為の手段を選ぶことはないやと開き直った。
その人にとって僕は取るに足らない存在だったが、僕にとっては大事な人だったのだ。
そこで得られるものは等しく宝で、代わりなんてどこにもなかったのだ。
しかし、その人は代わるものを見つけていた。
僕など必要なくなり、否、元から必要なかったことを裏付けるかのように、選択した。
僕はまた選ばれなかった。また傷つけられてしまった。
被害者面をすることは容易いが、このまま泣き寝入りなんて御免だ。
だから、比類なき悪としてやってやろうと意気込みを顕にする。
お前らは加害者になることを恐れて理屈を並べ立てるだろうが、僕は諦めた。
お前らを被害者側にしてやる。これでちゃんとした被害者になれるぞ。
きっと代償なんて、誰も払いたくない。
だから勝手に払ってもらう。気付かないうちに失って嘆けばいい。
それも運命だったと諦められるなら、人間として成熟しているんだなって思える気がする。
僕のことは諦めるの早そうだけど、他の人間に対しては諦めないだろうから。
誰にも恨みなんてない。恨めるほど知らないから。
今まであったことが虚偽とは思わない。立場や環境が違えば、主義思想は幾らでも変わるから。
でも、それはそれとして許せない。居場所を奪ったことが、どうしても許せない。
その気持ちを晴らすために、犠牲を強いることになろうとも、僕は一向に構わない。
周りの人間には理解されなくてもいい。理解できるわけがない。
無茶苦茶なことを言っているのかもしれないし、途方もない阿呆なのかもしれない。
ただ許せない。許してなるものか。
許せるようになる日が来るまで、絶対に離れないものを送ってやる。
どんな結果が出ても、許せるその時までやめることはない。
そこまで拘る程の価値があるのか? と問われる。
無いかもしれない。
だからこそ、余計に許せない。
そんなものに気を許して長い時間を掛けて理解し合った気でいた、愚かな自分も同罪だ。
僕だけが地獄に堕ちるのは納得いかない。足を引っ張っても尚足りない。
許せない。たったそれだけで時間が過ぎていくけど、きっと必要なことだと思う。
理性に感謝してほしい。
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