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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
僕にとっては僕の生きた意味は無かったけど、誰かにとっては僕の居た意味があったとか、せめてそういう救いはあってほしい。

 諦める為に、自分の首を落とす為に、相手のSNSを見てしまうってのは往々にして起こることだと思う。
 気になるし、近況らしきものは解るし。
 何も無かったかのように幸せそうで、楽しそうで、それを見たら、自分はいったい何をしていたんだろうと、虚しくなった。

 そう感じたのは渦中の人物だけでなく、別の友人に対してもそうだった。
 すごく辛いことがあったけど、半年も経たない内に次の幸せを見つけ出していた。
 前を向いて生きられるようになっていた。

 そうか、これが人間なんだ。
 辛いことがあっても、苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、伴侶を見つけて次へ歩き出す。
 失ったもののことを考えずに、前だけ向いて自分の生を全うするのが、人間なんだ。
 初めて人間の強さのようなもの、偉大さのようなものを目の当たりにした。

 同時に、気付いた。自然に降りてくるようなもの。
 僕が居なくても良かった世界だ。寧ろ居ない方があの子も捻れずに済んだのでは、と思える世界だ。
 こうやって僕が語り掛けること自体、可笑しなことだったんだ。
 必要のない人間だから、いつかは離れていくから、それはこの歳になったら可笑しいことじゃなかったんだ。
 でも、そうやって生きていくのが普通なんだ。乗り越えたって、美談にでもできるようなものなんだ。

 実際、嫌なことがあったとして、みんな乗り越えるの早いもんな。
 あの子に至っては生活圏も被ってないから、思い出す頻度ってのは少ないだろうし。
 居ても居なくても変わらないってのは、それはそう。
 だから、余計に集中しやすかったんだろうか。

 何だか知らない人に思えた。知らない人だ。
 僕の知っている子は居なくなってしまった。死んでしまったのかもしれない。
 姉さんと同じように、死んでしまったんだ。

 この繰り返しに心が耐えられないと思った。
 死にたいけど、どうやって死ねばいいのか解らない。
 僕のこと覚えていてほしいとか、また話したいとか、そういうことを望める人ではないように思えてきた。
 だって周囲に居る人間で満たされているから。伴侶が居るから。
 人間としての責務を全うしようとしている人に、余計な荷物を持たせてはいけない。

 解らない。僕はいったい何をしていたんだろう。どうして前を向けなかったんだろう。
 悲しいから、辛いから、悔しいから、いつまでも思い出す。
 これが脳の異常で、僕の性格だというなら、確かに治さないと生きていけない。
 でも、それって何か大事なことを忘れていくようで、空恐ろしいものがある。

 呪詛、本当に届いていた? まだ生きているじゃん。
 やっぱり僕に力なんて無かったんじゃないの。あんなに本気出したのにね。
 不可視の子達が力を貸してくれるようなことを言っていたけど、妄想で終わるのだろうか。

 勿論、目に見えることだけが真実ではない。
 そうは言っても、見える範囲と受け取れる感情に相違は無い。
 歩き出したんだって、思います。僕は立ち止まったままだけどね。
 向こうにも立ち止まっていてほしかったわけじゃないけど、もう少し気にしてほしかったな。
 今回のことは僕が起因だから、そんなふうにも思えないか。
 ここで僕との関係を切って、今あるものを大事にしようって思っていても、不思議じゃないんだ。
 解っていたのに、ずっと遠ざけてきた。遠ざけるしか、自分を保つ方法が無かった。

 良かったね、と思った。僕がまとわりつくより、よっぽど健全だからな。
 でも、寂しいな。もう会えないんだね。話せないね。
 あのまま死んでおけば、確かにこんな辛いもの抱えなくて済んだな。
 僕が生きていた意味、あの子に何かあったかな。

 また行きたかった場所、見たかったものがある。果たせそうにない。
 さようならなんだな、たぶん。
 誰とでもそうなるんだ。それが人間と関わるってことなんだ。
 居ても居なくても良かった。
 戻りたい。帰りたい。
 生きていた意味、きっとある筈だ。また会えるといい。

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