ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
そんなもの、上手く取れた試しがない。
いつでも踏み越え、踏み間違え、踏み込まれず、踏み荒らされ、踏み荒らしてしまう。
どうしたら距離感を間違えずに付き合いを続けていけるのか、それが解らずに半分も生きてきた。
そのツケを、いつ払うことになるのかと、ヒヤヒヤする。
家族計画が軌道にまったく乗らない為に、再び仕事に就くことにした。
それまで、やれ集団は苦手だの、やれトラウマがあるから事務は嫌だの、言い訳を並べてはいたけれど、動くしかなかった。
会社での疲れに比べれば、家事の疲れなど、どうということもない。少なくとも、わたしはそう感じた。
だから、相手がいくら「家事をやってもらっているから」と言ってくれても、金銭を生んでいないこと、自分の食い扶持を人(配偶者だが)任せにしていること、それらが頭をもたげる。
そのくせ、何を生み出すわけでもない。金銭に繋がることは何もしていない。物語も書いていないし、絵の練習もできていなかった。
わたしができることは、無駄に人様の稼ぎで食い繋ぐこと、家族計画も満足にこなせない器の活動を維持することだった。これは落ち込む。
だったら、さっさと死ねばいいだろう、と言われるかもしれない。
本当にこの一分後で死ぬという時、「やはり死にたくなかった」と気付く瞬間が何よりも恐ろしい。痛いのも嫌だ。
そんな理由で、自分で自分を殺すことができない。
昔から付き合ってきた友人たちは、変わってしまった人達も居れば、変わっていない人達も居る。
去年の十二月から続いていた、友人への憂慮はつい最近、一気に弾け飛んだ。
相手にとってわたしはどうということもない存在になり、その行為にわたしがいちいち傷付き、そんなことに彼女が心を動かされるわけもなく。
わたしから連絡することは、もうあるまい。そうしないと、わたしが辛いのだ。
相手は新しい友人と、上辺だけの付き合いを続けていく。そんなふうに見える。
しかし、わたしからすれば薄っぺらいその付き合いは、彼女とわたしの持続する関係より、ずっと素晴らしく、傷付く恐れもないのだった。
まぁ、売り言葉に買い言葉ってやつだ。彼女の勝気さに、わたしの生意気さはさぞやストレスであったろう。
友人とは何だ。
せっかく作ってきた関係が、十年、二十年の月日で変貌していくのなら、更に喪失してしまうなら、いったい何の為にそんなものを作るのだ。
わたしにも原因がある。人との距離感が取れず、何でも自分のことのように感じてそのまま口にする。
人によっては、それは重たく、耐え難いものだ。それを最近になって知ったのだから、わたしが失っていくのは当然の結果なのだろう。
友人付き合いもまともに維持できず、配偶者の人生にぶらさがっている。
それが嫌だから、仕事を何とか始めようと思った。
女性の集団に馴染めない、仕事のミスが多い、緊張状態が続くと眠ってまでも自分を守ろうとする。
どこへ行っても、こんな状態ではやっていけるものか。
歪んだ時から、カウンセリングを受け続けている。薬を飲み続けている。
この状態で出産となると、どうなってしまうのか。わたしにできることは、本当にあるのか。
初めて行く仕事は緊張するし、同じような職種だからといって方法も統一されているわけではない。
こんな時に思い出すのは、いつも食肉センターに居た頃のことばかりだ。結局、わたしの仕事に対する価値観は、あそこで育まれた。
それに、女性だと嫌悪することのない人達と仕事ができたのだ。見習いたい人達ばかりだったのだ。
そんな人に遭えることこそ、稀少だというのに、何故わたしは当然のものだと信じてしまうのか。
新しく就いた仕事場でも、やはり女性の集団の中では浮く。
第一印象が大事なんだと思っていたのに、いざ目の前にして挨拶をして相手の表情が硬いと「ここに来たのは間違いなのか」と、自分のことばかり気になった。
教えてもらった仕事で何回かミスをした。初めてなのだし、と思う反面、入力程度でミスしているなんて裏で何か言われたらどうしよう? と思ってしまった。
彼女達も、きっと他者を受け入れることに必死だ。
どう接していいか解らず、手探りで会話をする。日常の中で、わたしはまだ特殊な存在だから、扱いに困るだろう。
わたしも一刻も早く慣れなくては、と思いながら、自分から話しかけることは躊躇われた。しかも、話しても上手く話せなかった。
自信が無いから声が小さくなる。相手との会話で「あ、まずい」と思っても、頭が回らなくて言葉にならない。
これじゃ不審なだけじゃないか。挨拶も会話もロクにできない奴と、誰が一緒に仕事をしたいものか。
自分の失敗だと解っている。
けれど、彼女達のよそよそしい態度を見て「そんなとこ、初めて来た人に見せるか?」とか感じていた。
何でわたしは入れてもらった側で、受け入れてもらう為に努力する側なのに、こんなに偉そうになるのか。自分のことがそんなに大事か。大事だ。
いやでも先ずは順応だろ。態度デカいだろ、それ。
上手くやっていけない、もう嫌だ、やっぱり自分に社会生活は無理なんだ・・・・・・とか何とか、ぐるぐる考えながら仕事をしていた。
危うく意識が途切れそうだった。帰る頃には腹痛の気配を感じていた。
わたしは他者に甘えすぎているか。集団に馴染む努力を何もしていない。
最初から固まっている奴らが新入りを招こうと思ったら、その輪をほぐして中に入れるしかないと思っていた。
新入りが輪に入ろうと思っても、どこから行けばいいのか解らないじゃないか。だから話しかけるのだろう、輪から。
そんなふうに偉そうだから、集団に入れないのだな。
招き入れるのが普通の対応だと思っているから。自分なら、そうするから。
あんまりにも自分の意思を見せてくれないと困るけど、初めての場所で見せるのも困難だと思うから話しかけるのだ。
誰もが同じことを感じるわけじゃない。
当たり前のことだけど、失念しがちだった。
謙虚さが不足しているわたしは、成程、確かにどこの輪にも入れない。
輪を形成するだけのものが、何もない。
同じようなことを思って、もう嫌だってすぐに辞めたくなる自分にも、うんざりした。
また繰り返すのか。せっかく雇ってもらえたのに。
しかも初日じゃないか。嫌になるの早いな。
何でこんなに堪え性がないんだよ、と自分自身に苦笑する。いや、笑えないわ。
我儘ばかりだ。何も果たさずに、我儘ばかりだ。
頑張るのも、努力も嫌いだ。報われたことがない。
友人を大事にしたいと言いながら、次々に失っている。誰の所為だ。
自分から歩み寄っても、無駄になる。だから行きたくない。
苦労して繋げたところで、次の風が吹いたらどこにも居ない。そんなことばかりだ。
どこへ逃げても同じことが起きる。わたしが変わらないからだ。
生きることへ不満を連ねても、死ぬことに変わりはないのに。だったら生きた方が得か。
言い訳ばかりで、泣き言ばかりで、他者とどう関わったら自分が傷付かないのか、考えている。
こんなことでは、どこにも行けないし、何にもなれない。
無理に関わる必要はないけど、孤立していればいいというもんでもない。
駄目なら、いずれ会社から切られる。今は試用期間だ、きっとな。
言い訳しても、泣き言ばかりでも、仕事に行けたらいいと思う。
まして、正社員でもないし、毎日行くわけでもない。
「今の自分なら、これくらいで働けるかな」と思ったから、その条件に近い場所に行った筈だ。
報われないことが怖い。ミスばかりで呆れられるのが怖い。
また、わたしは結局何もできないんだと思い知らされるのは、辛く苦しい。
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