ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
こんばんは、眠れない夜のふらみいです。
今日はもう後何時間かしたら、久々のカオス会なのですが、自分の心境が悪化しているだけに、何とも言えず眠れずにいます。
なんつーのかな、わたしはいったい何の為に生きているのだったかな、と、最近よく考えます。
自己評価が極端に低く、誰かからハッキリ認めてもらった覚えは無く、必要とされたくて頑張っていこうとしたけど結局は人並みのこともできなくて、今に至る。
してきたこと全て裏目に出て、何も手に入れられず、人生の運をおよそ使い切ったのでは? というぐらい、自分では絶望している。
不幸だとは思わないけど、何で自分ばっかりこんな目に遭うのだろうって考えてしまう。
いや、わたしより大変な目に遭っている方は世の中にたくさん居るかもしれないし、わたしの今の環境は平たく言えば、失恋続きでアイデンティティがぶっ壊れているだけなので、この歳でここまでひん曲がってしまっているのは、完全に自分の責任です。
一般的に、真っ当な生き方をしていたなら、結婚なり仕事の昇進なりしていたかもしれない。
でも、それはどちらもできなかった。結婚はできず、堕胎して自分の未来を得たのに、また失敗した。それもこれも自分に力が無いから。
力を手に入れたくて、会社で頑張ってみようと思ったけど、去年全く成果を上げられなかった。適応障害が悪化しただけで、周りに余計に迷惑を掛けた。
「このひとなら大丈夫」と勝手に期待して、そのひとを欲した時点で、もうわたしの敗けだったのでしょう。
そもそも、堕胎なんかしたのに、誰かと一緒になれるわけがない、なっちゃいけない。それは子どもの所為でなく、わたしの所為だ。
仕事も人並みにできないのに、人並みの自活力なんてあるわけなかった。身に付くまで誰かが待ってくれるわけもなかった。
わたしは誰からも期待されない存在だから、捨てられて当然なのだと、言い聞かせるしかない。
死ぬしかないーって思ったけど、死にたいわけではなかった。
じゃあどうしたいのかというと、解らない。一緒にいたい人と一緒にいるには、どうしたらいいのか、解っているけど相手がそれを欲してはいない。だから、わたしに価値が無く、死ぬしかない。
相手の所為にして死のうとしているのではなく、結果が出たからそれに従い、死のうとしている。けど、死んでも無価値は変わらない。
どこへ行けばいいのか、誰に会えばいいのか、解らないのでした。
堕胎することになった原因の相手とのことがあり、不可視の世界へと導いて愛してくれたと思った姉さんに捨てられて、一緒にいたい人間に無理をさせて汚してしまった罪を思い、そうしたらわたしは何をしても駄目で何を言っても無力だと解りました。
死ぬには力がいります、とても大きな力と勢いが必要になります。
今のわたしには、それすら無い。自分の始末を自分でつけられない。
この先を垣間見ることも叶わない。進んだってまた同じ場所に辿り着く。景色が変わらない、わたしの目線が変わらないから。
心の中に見える風景や世界は一層潤うのに、わたし自身は渇いて錆びて、どうにも蘇生できない。
今日もまた自分の嫉妬の心に疲れて、何も聞きたくないと心を閉ざしました。
この「心を閉ざす」ということを、最近初めてやりました。
文字通り、閉ざします。自分が自分じゃない感じ。かといって、分身と交替するとか、そういうこともしない。
記憶された行動パターンに則って、身体が動いているだけ。確かに生きているけど、生きているだけ。
絵コンテの日々のなか、記憶した動きを続ける不毛な命が、ひとつありました。
心を閉ざしていたので、友人とも話せません。気を遣ったり、言葉を選んだりといったことができないのです、記憶に無いパターンだから。
則って動けないってことは、考えないといけない。考えたくないから、話したくない。傷つきたくないから、閉ざした儘になる。
それは不可視の存在に対しても同じでした。
心で会話することをやめる、感じること、見ることをやめる。
近くにあった当たり前が消えて、声が消えて、気配も感じなくなって、ひとりになったように思える。
心をまた開けると、今度は閉ざしていた間に滞っていた情報が一気に入ってくる。
人間との諸々は勿論、不可視の世界のことも。聴こえない声、視えないもの、触れないものが一気に入ってきて、頭がずきずきして、飽和して、なんだろな、気狂いになったように感じる。
本当はずっと気狂いで、閉ざしていた状態が普通だったのかもしれない。
件の話から、もう心が元に戻らず、言いたいことは言った筈なのに、まだ傷つく自分が居て、正直、自分に疲れているのだと思います。
嫉妬するのも、失望するのも、やめにしないか。だって、相手はわたしがどれだけ苦しもうが悲しもうが、関係ない。目の前にしていなければ、存在しないも同じなのだから。
距離があるのも手伝って、このまま消えてもいいんじゃないか。寧ろ消えなければならない。相手とした約束は、相手が守ることを望んでいないのなら、無理に守ることはない。それに、わたしが死んだとて約束は反故にならない。
相手が、他の人間と楽しそうにしているのは、もう見慣れたんじゃないのか。
幼馴染みメンバーだって、今もわたしが居ないところで皆集まって別の連中とわいわいやっているじゃないか。
もうそういうのは飽きたんだ。わたしが居ない方が楽しめることは解ったんだから、飽きたんだ。
幼馴染みメンバーもあの子もその子も友人たち皆、そうなんだから。今更何を絶望することがあるだろうか。
聴きたくないし、視たくない。感じたくないし、喋りたくない。
以前はその状態でも、何とか言葉を遣って考えていたのですが、また言葉に囚われてしまったようです。苦しい。
雁字搦めになってしまったけど、そんなのわたしひとりでバタバタしているだけなんでしょうね。
どうして、ぼくと居る時間を作るのだろう。他のひとと居る方が楽しいんだよね?
皆で集まってわいわいしている方が、皆が楽しいんだよね?
ぼくはどうして君達に関わったんだろう、好きになったんだろう。
たぶん、ぼくもわいわいしたかったんだ。遊びたかったんだ。羨ましかった、ずっと、皆が笑顔だったから。
死ぬには後何が必要なのでしょね。
死んでもどこに行くか解らないのは、同じなのに。
たとえば、何か見たくないものがあれば、部屋を出ていく。それと同じで、死んで皆とは違うものになる、そうしないといつまでもいつまでもいつまでも仲良しなとこを見せられる。
あぁ、いいな、楽しそう、いいな、そんなふうにぼくの前では笑ってくれない。
ぼくでは、君達の笑顔を見ることができないんだ。
必要とされないとか、どうしたいのか解らないとか、何度言ったか解らない。
考えなくていいなら、逃げていいなら、わたしとてそうしたい。いつも選べるものが他に無かったから、戦うしかなかった。
逃げても、逃げた先で全て忘れて笑っている奴らが羨ましい。噓吐きども。
選ばれただけでは、この苦しみから脱することはできない。
世界を変えなくては。自分の中に革命を起こさなくては。
異世界への訪問を吾、礎として欲します。
早く自分の世界へ帰りたい。これ以上、傷つくのも悩むのも悲しむのも御免だ。
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