ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
ただ緩慢に流れるのみ。
ちょうど4年が経って、振り返ってみると環境は激変した。
と、同時に自分の精神も変化を遂げて久しいのであった。
何故、まだ生きているのか。
自分が幸福になることを許せるのか。
誰かと共に居ることは安心できるのか。
何もかも失ったように思い込んでいただけなのか。
呪縛ともいえる思念の数々が痕になって、ずつと自分の未来を縛り付ける。
そりゃそうだ、人ひとり殺した後で自分の幸せなど信じようがないのだから。
去年のこと、一昨年のこと、どんどん薄れていく。
鮮烈なのは寝台に上がる辺りの記憶ぐらい。
今もまだたまにフラッシュバックともいうべき現象が起きる。
わたしは誰に許しを乞うでもなく、ただ生きるのみ。
もう縛られなくていい、囚われなくていい、制限があっても限りなく自由である。
4年か、短く感じるけど長かった。
君は許してくれるのだろうか。
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に行ってきました。
今回も願い(というより執念)が届いて、大事な行事に参加できたのである。
それが聖剣伝説25周年のコンサート。
渋谷のBunkamuraのオーチャードホールに行って来たんだ。
初めての渋谷、P5の聖地巡礼もちょっぴり。
ハチ公前に出るための渡り廊下の様な場所から、109を見てみたよ。
これはもうアジトだな! 怪盗団の気分だな!
去年も一緒にライブに行ってくれた大阪の友人を誘って、先ずはカラオケ。
個人的には2ヶ月ぶりのカラオケ。
声が枯れるのはやっぱり10年前より早くなったけど、その技量までは失われていなかったようだ。良かった。
勝手にハモったりして、わたしは満足です。
15時半頃から、物販に並ぶ。
知らなかったんだよ、グッズが出ていることを…!
マグカップとパンフレットを買いました。
ラビのマグカップとか勿体なくて使えないよ(´;ω;`)
それから喫茶店でお互いの近況など。共通の友人の話も少々。
そこで私的報告もして、大層驚かれる。
だけどその後、皆して「安心した」と言ってくれるのだ。わたしは本当に友人に恵まれているなぁ。
19時から開演だったけど、その前にトークショーがあったね。
岡本信彦さん、初めて見たよ。よくよく聞いてみれば、めいこいの鏡花ちゃんだ。さすがに一方通行ではない(´・_ゝ・`)
今年もその御尊顔を拝むことができました、イトケンさんと菊田さん!
石井さん、田中さんもいらっしゃっていたけど、田中さんは今がんほーさんに居るのね…!
その話の中にあった、精霊世界の話がおもしろかった。
FFは物質的で、聖剣は精霊世界だから精霊が視えるってやつ。
石井さんの頭の中で、既にその世界は視えていたんだね。同じ世界を愛せたことは、本当に幸福だ。
そしてコンサート内容だが……いやいや、泣いた。
のっけの“Riging Sun”から来て、“天使の怖れ”から繋がる“Melidian Child”は壮大だったな。
戦闘曲もあったが、菊田さんの曲をオーケストラで聴けるとは思わなんだ……。
しかも、“危機”と“子午線の祀り”ときたもんだ。
“Black Soup”と“Hightension Were”が聴けたのは嬉しかったす。
“Pain the Unverse”と“最後の決戦”もかっこよくて聴き惚れた。
予想外だったのは、“愚者の舞”かな。やはり人気曲なんだね。
そして、最後は原曲に忠実な“天使の怖れ”と、イトケンさんのピアノソロ。これでもうわたしの涙腺はぶっ壊れた。
ほんとね、イトケンさんは温かい人だとおもうのよ。そんな方の優しいピアノの音色を聴いて、「この人が聖剣の曲を作ってくれて良かった」と素直に思ったんだ。
友人はコンサート前に話した結婚の報告があったから、最後のピアノソロの“Riging Sun”が、まるでわたしへ祝福を贈るかのように感じられたらしい。
そう言われると、そんな気がしてくる。
太陽は昇っていくのだ、どんな時も。
わたしは聖剣を礎と知ってから、そこそこ経っている。
友人からは「実感か理解の違い」と言われ、腑に落ちた。
わたしは世界を実感しているし、知っているんだ。
……理解できているかは定かではないが。
描き続ける世界が豊かであるように、わたしは考えることをやめずに進む。
その先で、こんなふうに原初に触れる機会がまた欲しい。
聖剣伝説に出逢えて良かった。
携わる全ての創造主達に敬意と感謝を表します。
わたしはこの先も、聖剣伝説を大事な友人として、世界を構築していくのでしょう。
何度か「上手く書けないよ! スランプってやつだよ!」なんて騒いだことはあったが、今回は特に静かで動きのないスランプだと思う。
何が原因なのかは解っている。
友人から借りた「ストレイト·ジャケット」に衝撃を受けたからだ。
その書き方に、語彙の豊富さに、設定の緻密さに圧倒されて、憧れて、背伸びをしているのだ。
何でこんな状態でがんばってんだよ、と自分に思う。
そもそも相手と自分とでは書き方だって違うのに、憧れて真似るだけならまだしも、何で同じように書こうとしてんだよ、と。
あれぐらい濃密なものが書けたら、少しは認めてもらえると思ってんのかなぁ。
なんだかんだ言ったって、やはり自分の物語を人に読んでもらいたいものなぁ。
僕の物語の持ち味を、他の書き方を真似ることで表現するは可能か?
というより、そこまで行ったらもうそれは「書き方の真似」ではなく、新しい「僕の書き方」と換言できるんじゃなかろうか。
今は新しいものを生み出す途中で、苦しいし悩むから遅筆になるのだと思っている。
けど、本当はその苦しみから逃れたくて、あーでもないこーでもないと理由をつけて逃げているんじゃないか?
実際にはもう逃げ出しているんじゃないか?
そう思ったのは、ちっとも先に進まないからだ。
いろんな評価や書き方を気にして、我を忘れている。
そのことを認識できたら最後、また自己を構築する苦行が待っている。
それが嫌だから逃げているんじゃないのか、苦しむふりをして先延ばしにしているんじゃないのか。
特にそう感じるのは、「ゆめひとや」の最後の話を直している時だ。
本編が終わり、後日談も終わった後で、「あともう少し書きたいことがある」と言ったのは自分だ。
何を書きたいのかも解っているけど、それはばらけた玉の一粒一粒が如く、繋げるのに時間が掛かる。
それ以前に、書き方に衝撃を受けた後で自分を無理に変えようとしているから、推敲にもえらく時間を取られている気がする。
いつもの感覚じゃないのだ。あの、何かが降りてくるような、自分の心だけが飛んでいるような感覚じゃないのだ。
だから、いつまでも骨組みをいじっているだけ。肉付けの作業ができなくて、中身の無い物語をいじくりまわしているだけ。
中身が無いのはそれしか書けないからじゃなくて、まだそこまで到達していないからだ。
そんなに難しいことをしていただろうか?
僕は逃げているだけじゃないのか?
逃げたとして、どこへ行けると思っているんだ?
誤魔化したところで、現状は変わらないし、奇跡は起こせないぞ?
書いても書いても、書きたいことまで辿り着かないと感じる。
音楽を聴きながら、場面を思い浮かべて書こうとするも、結局歌っちゃって書いていられん時もある。
つまり、集中しないといけんのだ。書くだけ書いて、全て収めるつもりで、完遂する為には回り道だって必要だ。
言葉が浮かんでこない、もしかして老化の弊害!?
……なんて思ったけど、時と場合に因るから、きっと適応障害の所為だね、そう思いたいね。
老化が原因だとしても、それに甘えて「書けません」なんて僕が言ってはいけないことだよね。
逃げても無駄だ、その先は行き止まり。
自らの首を絞めているに過ぎない。
だから僕は落とした電源をまた点ける、折った芯を再び繰り出す。
書きたかったものも見たかったものも、きっと書かなければ出会うことはない。
難儀だけど、そういうやり方を選んできたんだ。今更、何だってんだ。
一年が経ってすぐに訪れたクリスマス。
土日に当たったので、今の連れと過ごしてきたクリスマス。
そらーもう型通りさ。
イルミネーション見に行って、一緒に遊んで、ドライブ行って、美味しいごはん食べて、贈り物を交換しあう。
型通りでどこもおかしくないクリスマスだった。
そこに不満は無い。寧ろ感謝しかない。
こんな僕に人並みのイベントを過ごさせてくれて、ありがとう。
何か引っかかるとしたら、それは話した時の何気ない一言ぐらいだ。
何度目かの結婚に向けた話で、お互いの意思はハッキリしているものの、ではすぐに結婚しますとはならないもの。
それは解っているつもりだったが、いつごろにするのか目処は立てておきたいし、場合によっては向こうの転勤も有り得るので、籍を入れるなら早い方がいいのかと考えていた。
いや、焦って結婚するものではないけどさ。そういうもんじゃないんだろうけどさ。
それなら、いつするの。何がキッカケになるの。思いが溢れた時に告げるもん?
僕なら準備して、相手の気持ちがだれないうちに告げたい。
だけど、僕から告げることではないらしい。向こうの出方を待つべきか。
しかし、そこで足を引っ張っているのが他ならない自分なのだと解って、とても落ち込んだ。
なにしろ金が無い。仕事も変えたばかりだ。
そんなすぐに新しいことを始めたら僕が決壊するから、と相手は気を利かしてくれた。
それに結婚して引っ越すには金が掛かるから、それも或る程度貯めておいてもらえればーとのことなのだ。
一緒に貯金しようという話もして、話はどんどん現実になっていく。
だけど、まだ返さなきゃいけない額があり、この前までの国保の返しもあり、そんなに稼ぎも良いわけじゃないから貯金もままならない状態であり……と、僕自身がおよそ結婚に踏み切るには相手に不安しか与えられないので、僕がどんなに相手と一緒になりたくても言い出せないのだ。
というか、これ以上は結婚のことに関して、とやかく言えない。言える立場にない。
貯金も無いし、稼ぎも少ないし、家事もできないし、病んだままだしな、そんな存在と一緒になるなんて、そうとうの覚悟が無いと無理だ。
だから、今の人はすごいと思う。
全てを知っているわけではないが、僕の話とか聞いて悩んで、けど一緒にいる決意をしてくれたのだから。
その為にできることを考えて、掛かる費用も計算して、僕と話してくれたのだから。
金の件で落ち込んだ僕は、相手の誠意に応えるべく努力しようとする。
けれど、話していた中で何気ない一言により、時が微かながら止まった。
母親との確執について、「言ったらいいじゃないか」と言われた。
つまり我慢しないで、自分の言いたいことを言えと。
僕の悩むことはどこかで聞いたことのある話で、みんなが必ず通る道だと思うと。
そう言われて、何かが崩れた気がした。何だろう。それは未だに解らない。
でも、言いたかったら言えばいいなんて、解っている。
誰にでも当てはまることで悩んでいるのだたということも解っている。
解っていることを言われるのは嫌いだ。
一般論しか聞けないのなら、話す必要なんかなかったんだ。
頭の中で渦巻く怒りや悲しみを落ち着ける為に、夜中の2時にひとりでさんぽにまで出た。
大阪でやらかした時も同じように歩いた。人の影がちらほら見えて、ひとりでは淀川にすら行けなかった。
結局、30分ばかしうろついて戻ったが、昨日のさんぽもそんな感じだった。
大体、連れの部屋の周りに何があるのかなんて知らないし、山も川もちょいと遠い。歩いても歩いても車ばかりが通る。
こんな所では、公園で星をぼんやり見ているしかなかった。
不可視の仲間達は皆、心配そうに見ていた。
「お前と話す時はそうじゃないもんな?」と面白そうに言う。
じゃあ誰だったら僕が話せるって? 本音を余すことなく、たとえ喧嘩腰になったとしても聞いてくれる奴がどこに居るって?
……解っているのだ、それが誰なのか。
その名前を呼ぶわけにもいかず、しかし連れに自分のことを話す気にはもうなれず、どうしたらいいか解らなくなった。
言えるものなら言っている。自分のことは自分で言わなきゃ伝わらないんだ。
誰でも感じたり、考えたりするようなことだけど、皆が皆とも同じ感じ方をするわけではないから、僕はここでこんなふうに悩んでいるんだ。
理解してくれとは言わない。だけど、そういうふうにしか言ってくれないのなら、母親同様に黙っていてほしかった。
否、家族にはそんな話をするもんじゃないんだ。あなたがもし僕と家族になってくれるなら、知っておいて欲しいと思っていたんだけど、そんなふうに言われたら話せなくなるんだ。
僕のことなのに、俯瞰している自分が居る。
それではこの器の心は開けないぞ、と他人事のよーに笑っている。
僕はいったい誰なのだろう。
紅弥からは一転して「もう自分を傷付けるのはやめろよ」と言われた。
セレナからは「何がそんなに悲しくなるの?」と訊かれた。
すこし考えてみたら、最近は薬を飲むのをサボっていた。きっと原因はこれだ。
解った途端に悲しくなった。
初めて、今の連れと僕は一緒になっちゃいけないって強く感じた。
僕はどうしようもない屑だ。ゴミだ。
出来損ないの中古瑕物。
何の取り柄もない愚かな人形だ。
だけど書くのが好きだ。歌うのも好きだ。
いつでも自分の世界を広げて思考の羽は休むことを知らない。
僕に価値が無いとしても、僕の書いたものに価値は宿るということを知っている。
誰に選ばれず、誰に愛されずとも、何かを選んで、誰かを愛することはできる。
いつか自分が産まれた世界に帰る日を待ち侘びながら、自分の存在を懸けて挑む場所がある。
その程度の存在だ。
その程度でしかないんだ。
だから、誰かと一緒に居ることなんて当たり前じゃないんだ。
わかっていたのに、高望みしてしまった。
薬を飲まなきゃ普通の思考さえできないんだ。
普通って何だ。きっとこんな状態にならないことだ。
僕が死んだら、やっと君たちは笑顔を見せてくれるだろう。
そう語れるほどの何かに、いつ出逢っていただろう。
それはきっと、聖剣伝説を知った時から。
フラミーの背中から見た、遠雷轟く夕闇の彼方。
そこに僕の見たい景色が広がっている。そこに僕の生きるべき世界が待っている。
僕は何のために書いている、歌っていると、何度も問いかけた。
答えは出たが、何度もそれを否定して、肯定している。
僕には何も無いのか。否、何でもあるのか。
表すことをやめたら、楽になるのか。否、それは僕であると言えるのだろうか。
僕は望まれない存在であると解っている。
僕に価値が無くても、僕の物語には価値が残る。それは救いだ。
誰かが僕の書いた物語を読んで、何かを受け取る、考える。それは繋がりだ。
僕自身が誰に届かない存在になっていても、僕にはまだ書ける脳がある、歌える声がある。
充分に幸せだったんだ、今まで。
友人に恵まれ、聖剣伝説に出逢い、自分が何者かを知ろうと、ずっと奥深くまで潜る。
辛いこともあった、哀しいこともあった、悔しいこともあった、怖いこともあった。
捨てられた、裏切られた、選ばれなかった、傷付けられた。それと同じくらい、酷いことをしてきたのだ。
だけど、僕はまだ生きている。自分が生きていくことを、自分に赦した。
何故、赦せた? 僕はどうして、僕を赦せるようになった?
もう繋がりを失ってしまった人に言われたことが引っ掛かる。
「聖剣伝説は君にとって永遠だったのか」と、そんなことを言われた。
永遠、そうだろうか。僕はあの世界こそが僕の帰るべき場所だと、思い出しただけだ。
それは永遠と換言できるようなものだったろうか。彼から見れば、そうだったというだけだろうか。
久しぶりに、繊細な時間を過ごしているのだ。きもちが落ち込んでいるのだろう。
こんな時はどうしていたっけ。あの子と話していたのだっけ。
先日、連れとカラオケに行った時に、好きな歌を好きなだけ歌った。
連れは初めて行った時以来、もう僕のまえでは歌わない。聴き専になってしまって、つまらないだろうと歌を勧めても、元々そんなに歌うのが好きではないという。
それで最後に「ガラスの巨人」を歌ったところ、彼は何故か疲れてしまったようだ。
まぁ、歌詞も歌詞だから、感受性が強い人はしんみりしてしまうかも。
けど、彼の疲れ方はそんなもんじゃないような気がした。
だから、久しぶりに自分から手を離そうとしたのだ、「無理してカラオケに付き合わなくていいよ」と。
本当は褒めてほしいってのもあって、誰かに聴いてもらった方が僕は上手く歌える。
しかし、相手が疲れるのなら無理をさせることはない。僕の物語と同じく、気力を要するのかもしれない。
僕の物語は、読んだ後に疲労感が残るという。歌もそうなら、きっと僕”自体”にそういう力があって、普通の人は疲れてしまうのだろう。
それが解って、何故か僕の方がしんみりしたのだ。
所詮、誰もついてこられないのだな、と、久しぶりに感じていたのだ。
きっとこの人は、僕の物語を読んではくれないだろう。解ってはくれないだろう。
それと恋愛とは別物と解っていても、これでこの人が僕を知る機会はひとつ減ったのだ。
では、僕も同じように相手を知ろうとしていただろうか?
相手の語る言葉以外で、相手を知る術がない。だから、相手の言葉に耳を傾ける。
それでも、そんなふうに疲れられたら、少しだけ悲しくなって、淋しくなって、僕は夜の冷たさを思い出さずにいられない。
それは、死にたくてしょうがなかった時に双子と出歩いて、記憶に残った星空。
それは、ただ夜のなかを歩きたくてあの子を連れ出した、淀川付近の曇天や月蝕。
最後には、安心できるひとの傍で、形を失って眠りに就きたい。
そんな願いを、久しぶりに思い出した。ここ一年近く、抱かなかった心情だ。
まるで真冬の水のように、きりりと冷たくて、たったそれだけのもの。僕の心を流れる純粋無垢な願いだ。
安心できるひとと思って、浮かんだ顔は連れのものではなかった。
確かにこの人を好きではいるが、僕の中に近付いて居座れるような人ではないと解っている。
それでも、僕は選んだ。この人も僕を選んでくれて、大事にしてくれている。
この人と添い遂げたい。人間として生きるのなら、この人の隣がいい。
だけど、人間としてではなく、ただの僕として、名もなき存在に還っていいのなら。
それなら、僕は友人たちに別れを告げ、幼馴染みメンバーに親愛の詩を贈り、あの子と話をしてから、去りたいと思ったのだ。
僕にそれは許されるだろうか。あの子の隣で、あともう一度だけ、存在を解いて、人でない姿に還って、ただの虚無に戻って、子犬のように丸まって、君の隣で旅立ちへと眠りに就きたいと、そんなふうに望むことは許されるだろうか。
許されなかったら、僕はただ旅立つだけだ。そのために生まれ、生きた。
僕には僕しかいない。書いてきたことも、歌ってきたことも、全てが誰の記憶から消えたとしても、僕は確かにここに居たのだと思える。
きっとあの子も、友人も、幼馴染みメンバーも忘れないでいてくれるだろう。それこそが、僕の誇りとなるだろう。
あぁ、それはきっと救いだ。僕は救われていたんだ。
そんな心ひとつで、書き上げたいものがある。君に伝えたいことばがある。
まだ生きているのだろう、それなら、このために生まれてきたのだと解る瞬間まで、目を開けていてほしい。
ぼくはまだ眠らない。
君が眠るまで、眠らない。
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