ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
と、強く願うことが起きました。
何度も思ったことだけれど、また一歩、死に近付いた願いでした。
「生きたい」と言った者は持ち上げられます。
「死にたい」と言った者は蹴り落とされます。
そんななかで、何度も死にたいと言っては生きてきたけれど、これ以上は無理だ、失うことに耐えられない。
今までのことを忘れたわけではない。
この先を生きていけばまた何か手に入るという理屈も解る。
今まで辛いことばかりだ。
楽しいこともあったけど、辛い記憶の方が増えてしまった。
楽しいことを支えに生きてきた筈だ。
だけど大事にしたいものは失った。
裏切られたし、捨てられた。見放されてしまった。
人間と居るのが怖くなって、この3年、依存してしまった子が居る。
その子と友達でいたくないわけではない。
ただの友達には戻れない。
その子が、ぼくをただの友達に見るのなら、その友達関係は、ぼくに何をもたらすのだろう。
君も慧香と同じように去っていくんだな、って思ってしまった。
ぼくの所為でこうなってしまったことに耐えられなくて、耐えられない重みを何とかしたくて、とてもとても死にたい。
溺死でも、失血死でもいいのだ。楽になりたい。
何故、君のことで、慧香に感じた痛みを、坂本さんに感じた苦しみを、味わうのだろう。
それも自分の所為だっていうのなら、これ以上は失えない。
君とともだちでいる、1番の方法は、ぼくの時を止めることだと思いついたじゃないか。実行したらいい。だけど怖くてできないのだ。
以前は、その子のことを思い出したものだ。それで死ねないと思ったのだ。
今はどうだろう、浮かべられない。
ただの友達だっていうのなら、浮かべることすら許されない。君が離れるって思うと、ぼくの生きる価値なんて。
あっ、なんかごちゃごちゃだ。
君の言ったことを忘れてしまったわけじゃないのに、どうしたんだろう。
どうしたって、君との関係が変わってしまうんだ、ぼくの所為で。
ぼくは嫌だと言ったけど、君はもう決めたのだろう。覆せないのだろう。
ぼくの所為だから、それは覆したりしちゃいけないものだろう。
もう話せない、遊べない、分けてもらえない、電話できない。
ただの友達だったら、こんなふうになりはしない。そんなレベルまで戻ることができない。
君はできるだろう。ぼくはできない。
だから、ぼくはぼくなりの方法を取る。
死んで取れる責任なんて無い。
だけど、ぼくの所為でこうなったんだ。ぼくはぼくを殺さなくてはならない。
君が望まない。こんなことで死んだら、ぼくは君の友達ですらなくなるだろう。
それは生きていくこの先も同じなんじゃないかって思うんだ。
忘れるんだろう。忘れちゃうんだ。慧香と同じように、ぼくを置いていくのだ。
その方が君は生きやすい。許せないぼくは心が狭い。
ただのともだちって、何だろう。
ぼくのなかでは、当たり障りのない関係だ。深い話もせず、辛いことがあっても他人事であり見て見ぬふり。楽しいことだけ共有する、楽しい関係だろう。
そんなものは必要ないと、深い場所で人と付き合ってきた。そのなかでも、その子はぼくの深い深い場所に居た。
その子の中では、ぼくはそうだったろうか。深い場所に居られたろうか。
死んだら君を忘れてしまうのか。
生きていたら忘れられてしまうのか。
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こんばんは、ふらみいです。
冷房にあたっていると、だんだん頭痛がしたり、吐き気がするようになってきました。
これが噂の冷房病ってやつですか、そうですか。
……老化ってこえぇな(''A`)
ウチのパソ美がとうとう駄目になってしまい、起動すらまともにできなくなって1週間以上が経ったよ! なんてこった!
親父と話した結果、互いに金を出して新しいパソコンを買うことになりました。97,000円とか、そんくらい。今のパソ美に比べたら、何だって良いスペックに見えるだろうさ!(2008とかそれぐらいに買ったやつ)
支払いも今日中に済ませたから、早くて今週中には来るんじゃないかと期待しているのですが……まぁ設定は親父がやるのかな。
ぼくはそういうのできませんで。やる頭もありませんで。親父は仕事柄、慣れているので任せます。
安全且つ速い環境で艦これができるようになるまで、後少し……!
仕事は順調……でもないけど、やっております。
でも、気が逸れることが増えてきて、守護者達と話す隙なのか余裕なのか解らんけど、そんな時も増えてきました。
最近、前にも増して自信が無いのです。自分が不可視の存在と意思を交わしたこと、何かしらできることが、証明できなくなってきました。
そもそも、ぼくをそっちの世界に連れていってくれた方と離れて久しいので、その影響が抜けてきているのかもしれません。
だからって、ここ7年くらいの不思議体験や培ったものを嘘だと思いたくはないのです。
それはぼくにしか解らない体験で、他者からしてみたら中二病の延長、もしくは統合失調症と言われても仕方ないことだけど、確かに体験したことだから、ぼくの中身を形作る上で重要な意味がありました。
ついこの前、守護車の1人が友人と話したのですが、後でそれを読み返した時に、ひどく自分の雰囲気が混じっていることに気付きました。
マンキンよろしく100%のトレースというものができればいいけど、訓練も何も受けていないぼくにできるのは、不可視の存在の意思を言葉に置換して、他の人間に伝えること。
だけど、言葉にした瞬間に、その意思というものは別のものになってしまうという話ですから、100%なんて有り得ないことかもしれません。
それにしたって、自分が色濃く見えてしまったので、交替して話すこともできなくなってきてしまったのかと、情けなくなりました。
以前は……まぁ弱いなりに立場もあったから、頑張らなきゃ認めてもらわなきゃってやってきたけど、今は何も無い。能力者として期待されるわけでもなく、必要ともされていないから、実にのんびりと過ごしております。
その過程で力が失われるようなら、それは必要なくなったからナリをひそめたのでしょうね。
力が無くても、人間の世界では生きていけますから。
それが嫌だから力を復活させたいって人達も何人か見てきたけど、力は自分のものじゃないのかもしれない。
いや、神様から授かった云々って言いたいわけでもなく。
ぼくは自分に元からあったものが運良く発芽したに過ぎず、無ければ無いでやっていけたかと思います。
……けどまぁ、嬉しかったなぁ。そういう力や存在がまやかしではないって解った時は。
勿論、希望だけでなく絶望も味わいましたが。それでも、その世界を知ることができて良かったのです。
そこから遠のいてしまったら?
自分にできていたことが、できなくなってしまったら?
それはとても怖いことですね。どこに立っているのか解らなくなってしまう。
自分に視えるもの、感じられるもの、信じられるものを、すこしでも憶えておきたい。
それがきっと自分の世界を潤して、行きたい場所へ連れていってくれるのでしょう。
ここでキッチリやらなきゃなと思ったのは、性格診断などを遊びでやったからなのでした。
気分で態度が変わり、現実に目を向けることができない……と、この前の一件さながらのことを指摘されて、恥ずかしいやら悔しいやら。
そうだな、確かに気分で態度が変わるし、絶望も希望もひょこひょこ入れ替わる。
もっと強く意思を持って、もっと清く抱かないと、自分も誰かも守るってのは無理なのだろな。
もうこの前みたいな態度は取りたくないしなぁ……、まぁ、他の人間と楽しくやってんだろなって嫉妬したのが、そもそもいけないんだが。スマホばっか見ててつまんねーのって思って。
言いたいことを言えるようになったら、こんなに苦しくなかったでしょうか。だろうよ。
いうことに、しませんか。
こんばんはです、ふらみいです。
近頃は暑さも増して、夏らしくなってまいりました。
わたしは暑いのが苦手な上に、夏にあまり良い思い出が無い為、夏になるとワケもなく落ち込み、死にたくなるのであります。
この死にたくなるという状況、辛い。
自分で起こしていることとはいえ、辛いのであります。
誰だって笑顔で死ねるほど、未練の無い人生を生きていられたら良いけどさ。
ぼくなんて未練もあるけど、この先を生きていくの辛くて、尚のこと死にたくなるからね。
死にたいというより逃げたい、停止したいと言う方が正しく当てはまるのかな。
これらだけは、いつなんどきでも浮かんでくる手段でした。
救済だなどと間違っても信じてはいけないと思うけど、他に自分に相応しい手段なんて何も無いと感じるから、それしか言えなくなるのです。
言いたいことなど、いつも言えない。
言うと叱られる。それは違うと言われる。
違うのなら、叱られるのなら、話さない方がいい。しかし、態度に出てしまう。
態度に出てしまうくらいなら話せ、そう言われる。
だけど、話したところで叶いはしないし、また間違っていると言われるから、手段を選べなくなる。自分がどうしたらいいか、解らなくなる。
……こんな感じで、昔から手段を選べず、自分の何がいけないのかも解らず、絶望の淵を彷徨うかのよーに生きていました。
自分のやることに、言うことに自信を持ちたかったけど、間違っているんだ、認めてもらえないんだって思うと、言えない。
間違いを正される度に、自分が次にどう動くべきか解らなくて、その愚鈍さにまた周りが腹を立てる。
昔から親がそんな感じで、その弊害と記憶が、大事にしたかった子相手に甦って、今とてもしんどい心境にあります。
そして、夏。死にたい季節。
仕事中に「もう死ぬしかない、入水だ」と思えるくらいには、死ぬしかなかった。
死んだら、ぼくは停止する。それ以上の悪化も、変化もしなくなる。
そしたら、その子とともだちでいられると思って。一緒に遊んだり、話したりはできなくなるけど、それは他の人間との方が楽しいだろうから、それ以外で果たしたいこと。
先ず、ぼくはその子と何があってもともだちでいたいと思ったのだから、最上級のことを起こして、ともだちでいたいと思いました。
生きていたら変化する、それは仕方ないこと。
けど、その変化が芳しくなく、また望まざるものであって、そこからもたらされた感情が、あの子を傷つけ、裏切った。
紛れもなくぼくなんだけど、こんな筈じゃなかったのにと、最近何度も思いました。
ぼくは頭悪いですからねぇ。物事の本質ってやつをいつも見失う。
その子はいつも本質を見ていますねぇ。だからぼくの言うことが穴あきだらけだって、すぐに解る。正すことができる。
その子の正しさを証明する為に生きていくのも有りなのかもしれないが、それはぼくがぼくでなくなってしまう。心がもたない。
あの子に認めてもらえない、それがこんなにも悲しいのでした。
そんな頭悪いぼくと、何故、賢い君はともだちで居続けようとするのか。
前も言ったが、ぼくなんぞと関係を続けなくても、君のすごさも優しさも理解されるし、証明される。
ぼくが君にしてあげられることなんて微かも無くて、君はそもそもぼくの助けなんか必要としていない。
それなのに10年前に必要としてくれて、それが今もずっと変わらないと言うのなら、何がそんなに必要なのか、教えてほしいと思ったのだ。
言ってほしかったんだなぁ、ぼくは。
あの子は「言わなくても分かるだろ」と思って言わないだろうけど、ぼくはだからこそ言ってほしいと思う。
言わないでも解ることだけど、余すことなく受け取るには、やはり言葉への置換が必要なのだ。
言葉にしたらもう違うものになるかもしれないけど、ぼくまだこんなに間違える。手が掛かるから、呆れられてしまう。怖いけど、言ってほしいと思う。
あの子が思う、想像するぼくだって、間違っているかもしれない。
言えよって言うけど、そう簡単には言えない。いくら親じゃないと言っても、渦中の人物じゃないと言っても、合っているかどうか解らない。
独善的な見方だけでは、解らない。
自分の見方に自信を持てるのはすごいことだけど、それがいつも合っているとは限らないんだ。
だから、そーいうすごいひとの隣に居たいと思うことが、仲良くしてほしいと思うことが、どれだけ勇気の要ることか。怖いことか。
解ってほしいなぁ。ぼくはまだ君のこと知らないと思うから、知りたいとも思う。
死にたいよーって荒れていたけど、君が死にそうな時はぼくが止めにいく。
ただ少し、死んでほしくない、生きていてほしいとだけ、変わらず願っている。
伝えたい事いっぱいだけど、間違っていたり、論点がズレたり、頭の悪い文章しか書けない。
それで君のともだちだなんて、お笑い種もいいところかもしれないが。ともだちなんて、中身も外身も良い奴が選ばれるものだろう。人間は皆そうだったろう。
ぼくは単純に考えることができない。
いつも何か見失う。死にたいと願えば、絶望の淵にすぐ辿り着く。
けど、君が生きていること、楽しくやっていることを、嬉しく思う。
前みたいになれないのは寂しいし、悲しいけれど、ぼくの咎だと思う他なく。
大袈裟か、大袈裟だな、嗤われてしまうほどに。でも、真剣だったんだ。
ともだちでいたいと、また信じてほしいと、届いてほしいと、伝わってくれと、願うけど。
次の日には忘れられているかもしれないけど、ぼくは君にさえ憶えていてもらえたら、寂しくならずに死ねると思うのだ。
君のそういう相手になれたら、幸せなのにな。今のぼくには、その価値が無い。
憎い時も嫌いな時もあるが、全てひっくるめて好きであると解ってきた。
こんばんは、ふらみいです。
毎日、この時間は眠くなります。
書いたりゲームしたりしたいな、と思うけど、今は暑さの所為でパソ美が起動できないことが多く、やる気を殺がれます。
ゲームに関しては、3DSとポポロ牧場を買ったので、順調に進めています。
しかしまぁPSPより画面は小さいからな、集中力は途切れやすい。休み休みやらないと、目がいつもよりずっと疲れてしまいますよ。
昨日、久しぶりに風ノ旅ビトをやりましたが、やはり楽しいすなー。
だけど、バグが発生して、相方さんがハマっちゃって、結局1人で天界に行く羽目になったという。雪山まで来たのにー(´;ω;`)
そういうことも楽しめないといかんかな……また会えるかな……
日々をそうして過ごすことにも慣れてきました。
前は何かしら残さなきゃいけない焦燥感に駆られていて、毎日何か意味のあることをしなくちゃと思っていたのだけど、今はそこまで自分を追い詰めることはありません。
書きたい時に書き、ゲームしたい時にゲームし、視たい時に視る。
それは誰に強制されるでもなく、自分で決めてやることです。それが自分の「生きている時間」で、それでいいと思えるようになるまで10年を要しました。
自分に何かを許すってことは、とても難しい。
自分に対して自信が無く、先ず生きていることすら許せないのなら尚更難しい。
周りの友人のおかげで自分に生きていることを許せるようになったことは、進歩だと考えています。
それでなくとも、この近年でぼくは許されないことばかり繰り返してしまいましたから。
先日の大事にしたい子との話を、まだ考えています。
今考えてもロクなこと思いつかんと、その子から釘をさされ、守護者達からも言われていますが、考えてしまいます。
ぼくはよく「ぼくが居なければあなたは幸せになれる」といった旨の発言をするのですが、それを大事にしたい子にも傲慢と受け取られました。
ぼくが居た事実をどの様に捉え、どの様なものに昇華するかは、ぼくが決められることではない、らしい。
ぼくからしてみりゃ、ぼくが居たことを良いように受け取った証が無いから、「ぼくが居なきゃいいんだよ」と言えるだけなんだが。
でも、それは周りに自分がそれだけ影響を与えられる存在なのだと言っているよーなものだ、と言われました。
そんなつもり無かったけど、確かに考えてみたら、そうかも。
ぼくが居なければって考えているのは、ぼくが居て誰かに何かしらの影響を与えて、それが良くないことだから、居なければいいって言えるのだもの。
他者にそこまで影響を与えられるって、すごいな。
その子は他者に対して、自分がそこまで影響を与えられると自惚れたことは無いのでしょう。
ぼくは自惚れたつもりが無かったけど、自分の与える影響があってほしいと願っていたのでしょう。
無関心でいられることが一番傷つくから。
なら、ぼくは居ても居なくてもいい存在だってことで、いいのかしら。
君にとっても、誰にとっても。
それはそれで、逆に何も気にせずに吹っ切れて生きていけそうね。
元々、誰かの役に立たないぼくは生きていなくていいって思っていたけど、居ても居なくてもいいって存在は、生きていても死んでいてもいいって言われているみたいで、どうしたらいいのかサッパリ解らない。
何故、その子がぼくにそこまで関わってくれるのかも、解らない。
理由なんて無いのかもしれない。自ら宣言したことを守っているだけかもしれない。
その宣言や今までの約束や言葉が、たとえ無かったことになっても責めたりなんてしないよ。
ぼく相手に覆ってしまうのは当然なんだ、宣言して約束を守るような価値が、ぼくに無いから。
でも、そうだな、また君に会いたいな。
ちゃんと今度は気遣いできるようになっているから。
どんな名称もつけられないような、他者から見て理解不能な、そんなぼくと君との関係を持ち続けたいな。
言葉を通して、体温を通して、声を通して、分かち合えるままでいたいな。
もう先のことも考えず、ぼくは君のことだけを見ていたいな。
君を失うのが、とても怖いんよ。解るだろ。辛いんよ。もう絶対に手が届かないような、そんなとこに行ってほしくないんよ。忘れられたくない。
その為にどうしようか、まだ答えも出ないままです。
言いたいこと言えるようになりたい。あの子は傷つけたくない。でも、理解しあうための傷なら欲しい。
君と渡り合う為の覚悟も力も、今のぼくには無いからな。きっと残念に思われていたろうな。
解っていたことだっていうなら、ほんと、何でそんな半端な奴とまだ繋がっているんだろ。謎だ。
この前会った時に気遣いができなかったことを、後悔しております。
せっかく京都に行ったのになー。
次は本当に旅行に連れていきたいのです。青森のねぶた祭りを見せたい。向こうの出費ぱない。
でも、今のぼくとはどこへも行きたくないだろな。
こんばんは、ふらみいです。
2日ぶりくらいに、パソ美がついたので、PCから書いています。
毎日何かしら思うことが出てくるから、何かしら言葉を残しておきたい。
今日は高校から付き合いのある友人の誕生日でした。
いつもなら何か贈り物を買って会いにいっているところだけど、今年はそうはいきませんでした。
彼女はもう結婚していて、子どもを身ごもっています。もうすぐ産まれる筈です。
だから、会うことはできませんでした。
彼女の結婚も出産も、喜ぶべきことなのでしょう。友人であるなら当然、喜ぶべきなのでしょう。
だけど、わたしは「良かったね」と、ただ一言だけしか言えない。「おめでとう」とか、そんな気の利いた言葉も出てこなくて、その事象がきっと良いことなのだという実感の無い認識しか持てない。
自分の中で、それ以上の言葉を言い募ることは、ただの社交辞令でしかなく、友人相手にするべきではないと警鐘が鳴る。
わたしはわたしの自尊心の為に、友人に何も言えない。何かをわたしが言うことなど、できるのだろうか。
わたしが何か言おうと言わなかろうと、それは良いことだし、嬉しいことなのだ。
そんなふうに思ってしまいます。
自分でも「友だち甲斐の無い奴だなぁ」と感じはする。感じるだけ。
わたしにとって大事なのは、そのひととわたしとの関係。他のことは、そのひとが大事にしているから、大事にしなければと思えるだけ。自主的に大事にしようとしたことなんて、無かった。
それはわたしが興味を持った人間皆に対して、そうだ。わたしはわたしが関係したことにしか、興味が持てなかった。
だから、たとえそのひとが結婚しようが、出産しようが、わたしとのことさえ忘れないでいてくれるのなら、と、そっちばかり気にしていたのだ。
そのことを改めて、思い知る。
彼女に誕生日おめでとうとメールを打って、妊婦さんだから心労をかけてはいけまいと遊びに誘えなかったことを書いて、結びの文句などはまるで今生の別れのようだった。
そうだ、会えるかどうか解らない。この後、出産、子育てと、激動の日々が始まる。わたしの話など、聞いている余裕は無いだろう。
生活が完全に違ってくる。話せる内容だって変わってくる。
いつかまた、なんて、本当に来るかどうかも解らない。
わたしの役目は何なのだろう。彼女がもし子育てでストレスなど溜まった時に、その話相手になってあげることが、一番できる役なのではないだろうか。
それができないにしても、子どもが大きくなるまで待って、また以前の様にお出掛けとかしたらいいんじゃないのか。
それまで、お互いに生きていればいいんじゃないのか。
そんなことさえ、信じることができない。
いつかは死ぬ、それが明日か明後日かも解らない。
いつかは忘れられる、それが一年後か十年後かも解らない。
それだけのことを抱えて毎日、生きている。大事にしたいものを眺めながら、生きている。
自分のことが信じられない。他者のことも信じられない。では、何故、生きているのか。
この先、もっと会えなくなる。都合がつかなくなる。それは仕方ないことだと割り切ったつもりだった。
結婚、出産に関わって、引越しやら何やら、いろんなことが起きるのだ。
それら全部のなかでは、もっと荷物を少なくしなければ越えていけない場面もあるだろう。
人間、抱えられる荷物の質と量は決まっている。そこに見合わないもの、重すぎるものは、捨てられて然るべきだ。そうしなければ、当人が進むことさえ敵わなくなってしまう。
捨てることそのものを責めることはできない。わたしとて、そうやって進んできたに違いない。
いつかは自分も捨てられる側に回される。それも仕方ないことだ。こちらがいくら大事に思っていたとて、それはこちらだけの話。向こうがそれに応えなきゃいけない義理なんて、どこにもない。
そんな不確かなものを大事にしようとして、自分ばっかり依存して、そりゃー気が違ってしまうだろうな。
どれだけ名前を呼んでも、存在に縋っても、わたしは所詮、これだけの存在だ。大事にされるわけがないだろう。
久しぶりにタロットで占ってみたところ、わたしが覚悟を決めさえすれば、全ては好転されるような予感があった。
覚悟、それは周りの人間を見守り、妬むことなく自分の役目を遵守すること、でいいのか?
覚悟なんて、どう決めたって、やはり羨ましくなったり、寂しくなったり、悲しくなったりする。その脆さと弱さは周りを傷つけるし、自分も傷つける。どういうことだ。
わたしはこの先、何の為に生きていくつもりなのだろう。
今は仕事に精を出しているし、書くのだって楽しい。ゲームは新作が気になるし、歌うことだってどんどん上手くなっていきたいと思っている。
けれど、他のことは何も無い。それでいいのか解らないまま、時間が過ぎる。どのように考えれば正常だと言えるのか。
わたしの言葉は暗く深く重たい。それは誰と比べて言っていることなのか、解らない。
わたしはわたしの言葉でしか語ることはない。それで不愉快になる人間が居るのなら、きっと関わってはいけない人間だったのだろう。
言葉を止めて、無理に笑えば、どこかが歪む。その歪みをわたしは必要としていない。その人間にだって必要とされていない。
ますます何の為に生きていくつもりなのか、解らなくなる。
わたしはここに居ていいのだろうか、生きていていいのだろうか。
誰からも忘れられるのに、誰かからも嫌われていくのに、どうしてまだ縋っているのだろうか。
「まだ、誰も何も言っていないんだよ。君は君を虐めぬいて死のうとしているけれど、それは逆効果というものだ。私達は知っているよ、君が只淋しいだけなのだと云う事を。だから私達は常に君に寄り添い、君の言葉を聴き、君の物語の完成を待っているんだ」
そう語るのは、わたしとだいぶ長い付き合いになるモノたちのうちの、1人。
いつものように微笑を浮かべて、妖しい紅の眼を細める。
「只、素直になるだけでいい。君は君が思う程、酷い事を言っているわけではない。誰もが感じるような事を口にして、露悪的に語っているだけだ。何も心配は要らない、遠慮だって要らない。信じるだけでいいのに、何故そんなに距離を置いているんだい?」
気付いたのだ、わたしは全く信じていないんだな、と。
大事にしたいと、ただ1人だけサヨナラとか言えないと思っていた子ですら、きっとわたしのことを忘れてしまうのだろうと。
あぁ信じたくて自分の言葉を話したいけど、そうしたら皆、暗いだのうざいだの言って逃げてしまうんじゃないかと。
ぼくは知っているだけだ、解っているだけだ。そのことを話せば、周りとどんどん離れていってしまうと。
だけど、話さなければ話さない分だけ、自分が言葉と感情に殺されていくことも知っている。
生きようともがくことは愚かか。それとも、やり方が悪いだけなのか。
ぼくは今どこに居て、誰の目を気にして、何の為に進んでいるのだろう。
10年前の今頃は、大事にしてくれる相方と出逢っていた頃だ。
あの頃のわたしが現状を知ったら、どんな反応をするだろう。
小学生の時の、一番強く傲慢なわたしはどう思うだろう。
「だから幼馴染み以外を信じるなって言ったんだ」と、現状を嘲笑うだろうか。
どうして、信じたいものすら、ずっと信じることができないのだろう。
少しでも違ってしまえば、すぐに切り離そうとする。そのことを、彼らは「君は本当に臆病だな」と笑うだけだった。
この先、大事に持っていても、喧嘩をして仲直りして絆が強くなったと思えても、失ってしまうのなら、どうして持っていこうとするのだろう。
失ってしまうと決め付けるなと言うのなら、どうして失わないと言うことができるのだろう。
ぼくは大事なものを持ち続けてきた筈だ。全て解った上で動いてきた筈だ。
なのに、また立ち止まっている。悲しくなったり、寂しくなったり、辛くなったり、それでも生きている。
何でまだどこかへ往こうとする。呼ばれてもいないのに。必要とされてもいないのに。
どうしてまだそんなことを気にしている。今までのことを忘れたのか、言葉を嘘に摩り替えてしまったのか。
ぼくが信じるべきものは、いったい何だったのか。
話を誰かに聞いてほしいと思うけど、誰にも話せない。
そんなことを考えている人は、そうそう居ないのだ。
考えても答えの出ないことだし、ずっと考えていては精神に異常を来すから。
ぼくは止まることができない。歯止めが欲しい。
だけど、君はぼくの暗い言葉なんて、聞きたくないのだろう。ぼくが話せば、空気が凍り、思考が腐る。
「気を遣いすぎるんだ、君は。もっと自由に、そのまま、話してごらん」と、言われても。
解らない。解らない。
幸せになりたいと思わない。もう充分に幸せだったのだ。
ぼくが結婚して出産しても、皆のようにはなれない。ぼくにはぼくなりの幸せがある。
だから、こんなふうに寂しくなったりする。後悔もいつかはするかもしれない。
だけど、大事にしたいひと達のことを忘れたくないとだけ、思える。信じたいとも、思えた。
身体は石の様に硬く、荒野に転がり冷たくなった。
作業用BGM
正常 / Syrup16g
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