ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
こんばんは、ふらみいです。
最近の暑さでパソ美の起動が上手くいかなくなってきました。
そうなると、急にニコニコ観たくなったり、書きたくなったりするのよな。禁止されると逆にってやつな。
久しぶりだから何か明るいことでも……と思ったけど、相変わらず暗いことしか起きていません。
否、暗いとか明るいとか言うこと自体が好ましくないのです。
わたしの心情だからね、暗かろうが醜かろうが、誰と比べたところで意味が無い。
ただ正直に、自分の心を吐露しているだけなのです。
でも、その正直さが時には誰かを傷つけてしまったり、不快にさせたりするみたいです。
ぼくはどう在れば、誰に許してもらえるのだろう。そんなことを考えたりします。
で、その許す許さないに関わって、先日、父方の祖父より手紙が届きました。
内容としては、一度、電話でもいいから和解の電話がしたいというもの。
他にも面倒なこと書いてあったけど、まぁ自分に一言相談か電話してくれれば良かったのに、とか ほざいてました。ぶはは。
親父は、長年溜めた諸々が爆発し、もう関係の修復ができないと解った時、自分の家族を連れて家を出ました。
もう6年も前のことですよ。
その間、祖父にしろ祖母にしろ叔母にしろ、親父へ関係の修復を迫りましたが、彼は聞き入れませんでした。
そりゃそうさ、親子の縁を切ったのだもの。ここで戻るくらいなら、最初から家を出たりはしなかったでしょう。
親父は強い人間だ。
自分の決めたことに後悔が無く、全体を見る目を常に持ち……まぁわたしのことを昔からガキ扱いしていたことは気に食わないけど、間違ったことは言っていなかった。
いつも正しく、いつも半端の無い状態で、自分の人生を謳歌してきたのだと思われます。
その親父が祖父と縁を切った。
それはどんな苦悩だったのか、わたしには想像もつかない。
親父の幼少期を知らないのもあるけど、まぁ祖父が居なければ親父は居なかったわけだから。どんなふうに考えていいのでしょう。
そんな人の元を永遠に去ると決めた時、親父に後悔は本当に無かったのでしょうか。
まぁ、親父本人に訊いてみたいとは思わない。
知る必要のないことだし、本人もそんな心情は墓まで持っていくつもりだろう。
一方、祖父はといえば、寄る年波に不安が加算されているのか、年々、弱気な発言が増えておる様子。
出ていった当時も、本当に出ていくと思っていなかったらしいので、帰ってこいよーという話を、あの手この手を使って何とか周りから親父に伝えてもらおうとしたようだけど、失敗し続けております。
そもそも、そんな方法が通じる人間だと思っている辺りが、祖父が親父を解っていなかった証拠になりますが。
わたしが祖父に抱える感情は、家を出た時点で潰えました。そらーもうきれいさっぱりと。
家を出る前はあれほど憎らしいと思っていたのに、今ではただの他人です。血が繋がっていようとも他人です。隣家の人と変わりないです。わたしの人生に関わることなき路傍の石と同じです。
そう思うことができるのは、時間を掛けて感情が片付いたってのもあるけど、離れてしまいさえすれば、殺すに値しない人間であると理解できたことが、何より大きかったのでしょう。
関わることがなければ、生きていても死んでいても構わない。それこそが他人の定義ではないでしょうか。少なくとも、わたしはそうです。
そこに当てはまってしまえば、或る意味では安全です。様々な感情を向けられることなど、無くなるのですから。
祖父に降りかかったものは、果てしない苦痛と考えています。
血の繋がった息子が出ていって、もう二度と会うことはない。話もできない。
自分から勘当したくせに、覚悟が無かったばかりに今こんなにも頼りない心持ちで、明日来るかもしれない死の前に和解したいと思っている。
その姿、あまりにも哀れではないですか。想像を絶する苦痛ではありませんか。
本人が気づいていようといなかろうと、この事態を招いたのは自分の責任。
祖父がしっかり考え、導き、相手の言うことを聞いていれば、今よりもう少しマシな道もあったかもしれません。
けど、それももう叶わないこと。繋がらない未来です。
明日死のうと、10年後に死のうと、変わらない未来です。
それはどんなにか苦しく、辛く、寂しいことなのでしょうね?
そんな目に遭っているのだから、もういいのです。これ以上、わたしが何かを思う必要はありません。
祖父は死ぬその間際まで、取り返せないものの重みを知り続けるといい。
その歳で知るにはあまりにも重たく、痛いことではありますが、仕方ないよね、自分で招いたことだ。自分の所為であろうが、誰かの所為にしようが、招かれた現実は事実だ。
怒りの冷めやらぬ母に、軽くそんなふうに話したら「腹黒いなぁ」と言われました。
腹黒いとは、また心外な。
わたしは何もしていません、向こうが勝手に自滅しただけです。
しかし……人のことばかり言っていられませんな。
わたしとて、取り返しのつかないことをしてきたのだから。また失おうとしているのだから。
いきりたつ自分を鎮め、本当に大事にしたいことを常に解っていなければ。
幸せになれない分には仕方ないけど、だから他者を羨むなど哀れを通り越してしまう。その先の言葉を知らない、知りたくもない。
わたしは覚悟を決められる者で在りたい。
誰にも大事にされずとも、もういいのだと言える者で在りたい。
誰からも忘れられようとも、笑って風にたゆたう者で在りたい。
それはきっと、不可能なことではない。
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と、思えるぐらいの堕ちっぷり。
ふらみいです。
今日はずっと仕事中、頭が痛くて、ぼんやりしていて、身が入っておりませんでした。
正直、明日も行きたくない。けど、私事で落ち込んだだけだから、本当は行きたい。
いつまでこんなこと続けんだろ、いい歳こいて!って気持ちはあるのです。
この前、誕生日を迎えたことだしな。
幼馴染みメンバーのひとりに、壮絶な体験をした娘が居まして。
しかし、病んでもまた浮上し、この半年で次の自分の道を決めた娘が居まして。
「きっと私は結婚できないし、この先3年くらいはカレシできないと思う」と言っていたのだけど、昨日、遊んだ時にカレシができたと報告されたのでありました。
で、良かったと思う反面、半年でなんとか戻れるって2年もグダったわたしは何なんだ? と思いまして。
比べることではないかもですが。
思えば、大阪の別の友人もこれからの進路に燃えていて、「私はきっとカレシなんてできないし、結婚もしない」と言った1ヶ月後にはカレシ兼未来の旦那ができていた。
今回の幼馴染みは、結婚までは考えてないけど付き合ってもいいと思えるほどの良い人に逢えたという。
彼女達はそれぞれ、それまでの人生で報われない部分があったり、辛いことがあったりしたから、今そうして心が通じあえる人に出会えたことは、すごく良いことなのでしょう。
なんだかんだ言って本人達も嬉しそうだし、ノロケるつもりなくてもノロケているよーなもんだから、それも仕方ないのだろう、けどね。
わたしは何をやっているのやら。
クソ代表みたいな男様と史上最低な争いを繰り広げ、子どもを堕ろし、転職を3回もし、この子と一緒にいられたらという気持ちを上手く繋げられず、上記の男様を彷彿とさせるような仕打ちを一番信頼していた人間に受けて心が麻痺し、未だに自立できずにいる。
精神に負荷がかかりすぎて、適応障害を発症したり、鬱気味になったり、安定もしない。
2年もこんなことやっていて、まだまだこれからなのかなーとか思っていたけど、近くでトントンと物事が上手く行き始めた娘達を見ていると、自分の馬鹿さがよく解る。
わたしは2年を無駄にした。
望まれてもいないのに頑張ろうとして、実力が無いから成果が上がらず、それでもいつかはって思って動けば動くほど空回りした。
その近くで、着実に進んでいくみんなを見るのが、やがて辛くなり、自分の駄目さに拍車がかかり、もうわたしのよーな存在は本当に何しても駄目なんだと解って、死ぬしかないと本気で思わざるを得なくなった。
彼女達が人一倍、頑張った結果とも思います。誰かに選ばれるだけの実力があったのでしょう。
だって、自分の子どもを殺したりしていないもの。傷つけ合うことはあったかもしれないけど、その末に誰かが戻らないことなんて起きなかった。
じゃあ、わたしもただ別れるだけだったなら?
そらー転職してないよ、今もセンターで働いていたと思うよ。他に何か選択肢が出ていたろうよ。
けど、そんな前のこと言ってても仕方ないのだ。起きてしまったことは起きてしまったこととして、その後をどうするかだ。
だけど、こんなにみんな結果が出始めているなんてなー。敵わないなー。
なんか嫌になっちゃった。なんだよこれ。わたしは本当に何していたんだ。どうすれば良かったんだ。何でまだ何も変わっていないんだ。いつになったら解放されるんだ。もう死ぬしかないのか。
彼女たちは自分が幸せになるから、もうわたしの話など聞く必要はないでしょう。自分に余裕があるから他者の話が聞けるなんて、ありがた迷惑とか思っちゃう。余裕アピールか。
わたしはどうしたら。何をすべきだったのか。何故まだ結果が出せていないのか。
駄目な奴ばかり選ぶからって言われたけんど、じゃあ誰を選べばいいんだ連れてきてほしい。
もう自分から何もしたくない。頑張りたくない。何でわたしばっかりって思ってしまう。
羨ましいだけじゃない。
みんな嫌いだ嘘つきだって、わたしが壊れはじめているような。落ち着け。
本当に死ぬべき時がまた一歩近づいてきた。近づいている。
こんばんは、眠れない夜のふらみいです。
今日はもう後何時間かしたら、久々のカオス会なのですが、自分の心境が悪化しているだけに、何とも言えず眠れずにいます。
なんつーのかな、わたしはいったい何の為に生きているのだったかな、と、最近よく考えます。
自己評価が極端に低く、誰かからハッキリ認めてもらった覚えは無く、必要とされたくて頑張っていこうとしたけど結局は人並みのこともできなくて、今に至る。
してきたこと全て裏目に出て、何も手に入れられず、人生の運をおよそ使い切ったのでは? というぐらい、自分では絶望している。
不幸だとは思わないけど、何で自分ばっかりこんな目に遭うのだろうって考えてしまう。
いや、わたしより大変な目に遭っている方は世の中にたくさん居るかもしれないし、わたしの今の環境は平たく言えば、失恋続きでアイデンティティがぶっ壊れているだけなので、この歳でここまでひん曲がってしまっているのは、完全に自分の責任です。
一般的に、真っ当な生き方をしていたなら、結婚なり仕事の昇進なりしていたかもしれない。
でも、それはどちらもできなかった。結婚はできず、堕胎して自分の未来を得たのに、また失敗した。それもこれも自分に力が無いから。
力を手に入れたくて、会社で頑張ってみようと思ったけど、去年全く成果を上げられなかった。適応障害が悪化しただけで、周りに余計に迷惑を掛けた。
「このひとなら大丈夫」と勝手に期待して、そのひとを欲した時点で、もうわたしの敗けだったのでしょう。
そもそも、堕胎なんかしたのに、誰かと一緒になれるわけがない、なっちゃいけない。それは子どもの所為でなく、わたしの所為だ。
仕事も人並みにできないのに、人並みの自活力なんてあるわけなかった。身に付くまで誰かが待ってくれるわけもなかった。
わたしは誰からも期待されない存在だから、捨てられて当然なのだと、言い聞かせるしかない。
死ぬしかないーって思ったけど、死にたいわけではなかった。
じゃあどうしたいのかというと、解らない。一緒にいたい人と一緒にいるには、どうしたらいいのか、解っているけど相手がそれを欲してはいない。だから、わたしに価値が無く、死ぬしかない。
相手の所為にして死のうとしているのではなく、結果が出たからそれに従い、死のうとしている。けど、死んでも無価値は変わらない。
どこへ行けばいいのか、誰に会えばいいのか、解らないのでした。
堕胎することになった原因の相手とのことがあり、不可視の世界へと導いて愛してくれたと思った姉さんに捨てられて、一緒にいたい人間に無理をさせて汚してしまった罪を思い、そうしたらわたしは何をしても駄目で何を言っても無力だと解りました。
死ぬには力がいります、とても大きな力と勢いが必要になります。
今のわたしには、それすら無い。自分の始末を自分でつけられない。
この先を垣間見ることも叶わない。進んだってまた同じ場所に辿り着く。景色が変わらない、わたしの目線が変わらないから。
心の中に見える風景や世界は一層潤うのに、わたし自身は渇いて錆びて、どうにも蘇生できない。
今日もまた自分の嫉妬の心に疲れて、何も聞きたくないと心を閉ざしました。
この「心を閉ざす」ということを、最近初めてやりました。
文字通り、閉ざします。自分が自分じゃない感じ。かといって、分身と交替するとか、そういうこともしない。
記憶された行動パターンに則って、身体が動いているだけ。確かに生きているけど、生きているだけ。
絵コンテの日々のなか、記憶した動きを続ける不毛な命が、ひとつありました。
心を閉ざしていたので、友人とも話せません。気を遣ったり、言葉を選んだりといったことができないのです、記憶に無いパターンだから。
則って動けないってことは、考えないといけない。考えたくないから、話したくない。傷つきたくないから、閉ざした儘になる。
それは不可視の存在に対しても同じでした。
心で会話することをやめる、感じること、見ることをやめる。
近くにあった当たり前が消えて、声が消えて、気配も感じなくなって、ひとりになったように思える。
心をまた開けると、今度は閉ざしていた間に滞っていた情報が一気に入ってくる。
人間との諸々は勿論、不可視の世界のことも。聴こえない声、視えないもの、触れないものが一気に入ってきて、頭がずきずきして、飽和して、なんだろな、気狂いになったように感じる。
本当はずっと気狂いで、閉ざしていた状態が普通だったのかもしれない。
件の話から、もう心が元に戻らず、言いたいことは言った筈なのに、まだ傷つく自分が居て、正直、自分に疲れているのだと思います。
嫉妬するのも、失望するのも、やめにしないか。だって、相手はわたしがどれだけ苦しもうが悲しもうが、関係ない。目の前にしていなければ、存在しないも同じなのだから。
距離があるのも手伝って、このまま消えてもいいんじゃないか。寧ろ消えなければならない。相手とした約束は、相手が守ることを望んでいないのなら、無理に守ることはない。それに、わたしが死んだとて約束は反故にならない。
相手が、他の人間と楽しそうにしているのは、もう見慣れたんじゃないのか。
幼馴染みメンバーだって、今もわたしが居ないところで皆集まって別の連中とわいわいやっているじゃないか。
もうそういうのは飽きたんだ。わたしが居ない方が楽しめることは解ったんだから、飽きたんだ。
幼馴染みメンバーもあの子もその子も友人たち皆、そうなんだから。今更何を絶望することがあるだろうか。
聴きたくないし、視たくない。感じたくないし、喋りたくない。
以前はその状態でも、何とか言葉を遣って考えていたのですが、また言葉に囚われてしまったようです。苦しい。
雁字搦めになってしまったけど、そんなのわたしひとりでバタバタしているだけなんでしょうね。
どうして、ぼくと居る時間を作るのだろう。他のひとと居る方が楽しいんだよね?
皆で集まってわいわいしている方が、皆が楽しいんだよね?
ぼくはどうして君達に関わったんだろう、好きになったんだろう。
たぶん、ぼくもわいわいしたかったんだ。遊びたかったんだ。羨ましかった、ずっと、皆が笑顔だったから。
死ぬには後何が必要なのでしょね。
死んでもどこに行くか解らないのは、同じなのに。
たとえば、何か見たくないものがあれば、部屋を出ていく。それと同じで、死んで皆とは違うものになる、そうしないといつまでもいつまでもいつまでも仲良しなとこを見せられる。
あぁ、いいな、楽しそう、いいな、そんなふうにぼくの前では笑ってくれない。
ぼくでは、君達の笑顔を見ることができないんだ。
必要とされないとか、どうしたいのか解らないとか、何度言ったか解らない。
考えなくていいなら、逃げていいなら、わたしとてそうしたい。いつも選べるものが他に無かったから、戦うしかなかった。
逃げても、逃げた先で全て忘れて笑っている奴らが羨ましい。噓吐きども。
選ばれただけでは、この苦しみから脱することはできない。
世界を変えなくては。自分の中に革命を起こさなくては。
異世界への訪問を吾、礎として欲します。
早く自分の世界へ帰りたい。これ以上、傷つくのも悩むのも悲しむのも御免だ。
こんばんは、なかなか荒れ模様が治まらない ふらみいです。
今日はそんな思いを吐露しに参りました。
去年からずっと抱えていた例の問題に、本当の終わりを告げねばならなくなってしまったようです。
そのことが不安で、悲しく、また辛くて、今は泣きそうな日々が続いています。
とりあえず、当人と話すまでは泣かないようにしているのですけどね。
キッカケは此方からだと思うので、今更、あーだこーだ言うことではないと思いました。
だけど、相手から言われたことが、初めは「忘れましょ、わざとじゃないし」と言い聞かせていたのに、だんだん腫れてきたのか膿んできたのか、痛くなってしまいました。
相手を信じられなくなり、恐怖の対象になり、忘れられるのだ嫌われるのだと、自分の声や自分ではないモノの声に悩まされ、悲しまされ、こころが死んでいく日が続きます。
今はもう薬も飲んでいないので、自分で抑えるしかありません。
決着をつける為に2月にまた会うつもりなのです。それまで抑えるのです。
あの子には、だいぶつまらない時間を過ごさせてしまいます。人生で最も無駄な時間を過ごさせてしまいます。
それでも、ぼくの話を聞いてくれるのなら、それに応えてくれるのなら、話す甲斐もあるでしょう。
まぁ、そこで応えてもらうことができないようなら、今度こそさよならになっちゃうんですよ。
今まで「この子から離れた方が、この子が幸せになる」とか言っていたの、本当になるんですよ。
元々、縁なんて無かった子です。
ネットで知り合って、こっちから話しかけまくって、こっちから会いにいったから何とか付き合いが続いたようなもので。
あの子自身がぼくとのことをどう望んでいたのかも解りません。そのへんの話を聞くのは、いくらぼくでも怖いのでした。
無かった縁を無理に繋いで、巻き込んで、楽しくやってきたつもりだけど、妙に成熟した自分の所為で、変なことに巻き込んでしまった。
ぼくさえ居なければ、あの子はもっと普通に生きていられたかもしれない。何も考えずに生きてこられたかもしれない。
そう考えるのは傲慢ですが、それを否定できるだけの要素も無く。
あの子がぼくから逃げるのなら、ぼくがあの子を信じられないのなら、一緒にいることなんて叶わないのです。
既にぼくがあの子を怖がっている。また傷付けられるんじゃないかって。
何気ない一言だったけど、売り言葉に買い言葉的な物言いだったのかもしれないけど、充分に傷付いたし痛かった。
他の人間に相談しないみたいだし、自分のこと客観視しているのかどうかも解らない。少し独善的な子だから、そこが心配。
人に愛される要素も、誰かを愛する要素もあるのに、何であんなに怯えているのだろうって、いつも思っていました。
人間の仲間と居ると、本当に楽しそうで満たされているようで、それを見る度に「ぼくなんかに時間を遣わせてごめんよ」と思ってしまいます。
あの子は、もう自分相手に卑屈になる必要はないって言っていたけど、ならざるを得ない。
やっぱり、ぼくと君は居る世界が違う。交わらざる縁だったのかもしれんです。
君とぼくを繋ぐ糸は臍帯の様に赤く黒く、それが何を意味するのか、まだ理解できていません。
本当は一緒がいいし、ずっと笑っていたいし、遊んでいたかった。
誰かのものになってしまうのが怖くて、それなら一緒がいいと思って、それだけだった。
そこに、人間としての愛し方だの、性別での欲求だのが絡んで、あの子を傷付けたり汚したりしていたかもしれない。
ぼくが死ねる日を待つそのあいだ、2月に向こうを訪ねた時、全てが終わることを祈ります。
その際に死ぬことになっても、まぁ仕方ないな。その程度のぼくなら、ここで死んでもおかしくなんかない。
何でそこまで想うんでしょうね。自分でも、そこはたまにふしぎです。
きっと好きなものに対して全力を出したいのでしょう。
あの子がそれに全力で応えてくれないとしても。
すべて伝えて、応えてもらえることを夢見るしかない。無力。
こんばんは、ふらみいです。
艦これにて、明石が1-5でも手に入ると聞いて喜び勇んで向かったら、まだ1-5クリアしていませんでした。
明日中に後3回ゲージ削って、S勝利して手に入れたいと思います。
3-2-1レべリングで、駆逐艦や軽巡を改造しまくっていたら、本編等の進行をすっかり忘れていたという。
それでもいい、うちはホワイト鎮守府であり続けます!(提督としての首はもう切られている)
本日、会社の部長と所長とお話しまして、31日づけで退職することが決まりました。
まぁ言い返すことも、跳ね除けることもできませんね。これ以上、迷惑はかけられないし。
一応、働きたいのであるって食い下がりはしたけれど、それにしたって今回で休んでしまうのは3回目だったので、もう無理でしょう。
しかし、こんな手のかかる人間の為に、わざわざ時間を作って会いにきてくれたのだから、部長と所長の人柄は本当に良いのだなと感じました。
前の会社で「上司はクソだ」という不信感を持っていたふらみいにとっては、「これが上司というものか」と手本にしたいぐらいの良識人だったわけです。
その良識人をこれ以上、振り回すこともできません。彼らは会社のことを考えて、そっちを優先して動かなければならない。
そもそも今回の会社は入社当時から違和感を持っていて、それが徐々に明るみになるにつれて、こっちの調子も崩れていきました。
合わない会社だったといえばそれまでだけど、きっと一般的にはそんなに悪い会社ではなかったのです。
今までふらみいが居た会社が面倒見の良い人いっぱいだっただけで。うん。
加えて、「正社員として立派にやらなきゃ」とか「仕事できるようにならなきゃ」とか「みんなと対等でいるには社会でしっかりやらなきゃ」など、とにかく自分を奮い立たせるのに必死でした。
それが結果的に自分を追い詰めてしまい、潰れる原因になったことは言うまでもなく。
容量を越えていたけど、それを克服できなければ、この先をふらみいは生きていけないと思っていたのです。周りがしっかりやっているから、余計に。
だけど、自分は自分なのだとして、自分の歩調に合ったやり方をしなければ、ただこうして無様を晒すだけなのだということが解りました。
そして、普通の会社でみんながどのように振る舞うのかも、何となく解ってきました。
その失敗を活かして、今度こそという気持ちにはなっています、今のとこ。
話し合いをした後はまぁショックというか、放心状態だったのですが、今は友人とも話して落ち着いてきました。
ただ、精神的な落ち着きが戻っているかは解らないので、引き続き薬は飲み続けます。
今回は自分の力量を読み違え、容量を越えたことを目指したばかりに、とんでもない迷惑をかけてしまいました。
次はちゃんと自分に合ったやり方で仕事を見つけ、周りと関わるようにします。
死にたいと思わなくなっただけでも、今は楽です。
学んだことを忘れない、成長できる自分の土台を、もう一度踏み固めましょうね。
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