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悲しい夢はこれっきり


と、続けて投稿してみます。
昨日さんざんノートに書いて、物語も書いたのだけど。
しかし、その物語はPCの不調でエラーが起き、消えてしまった。くそっ!!!!!

またひとつ、問題が終わりまして、ほっとしたり、寂しかったりします。
相手も自分も考えて出した結果なら、受け入れるべきだとは思うのですがね。
衝動的に「嫌だ」とか言ってみたりしちゃいましたね。

本当はどうすべきか、解っているのです。どう在るべきかも。
そうすることで、どれだけのことが円満に治まり、進行していくのか。

ふらみいは人間である必要が無いよなって、常々思っていました。
その確信を得ることができたのが昨日で、でもそれは悪い変化ではないと思うのですよ。
いつ死んだっていいような存在だけど、それでも大事なものをつくれたということは、誇るべきなのですよ。

相手に話をするにあたって、先ずはふらみいだってとても怖かったのだということを知ってもらいたかったのです。
失くしてしまうかもしれない、壊してしまうかもしれない、傷付けてしまうかもしれない、嫌われてしまうかもしれない。そんなふうにして、落ち込む思いばかり逡巡して、辛かったのです。
しかし、このまま何も言わずにだら~っとするわけにもいかないと解っていたから、話をすることにしました。

なんかその結果、安心したような、寂しいような、がっかりしたような、納得したような、妙な気持ちになりました。これはこれで楽しいが。
大切なことを思い出せた気が、します。長いことかけて培ってきたものは無駄ではないと、ちゃんと思えるような存在になりたいです。

相手にも言ったことだけど、ふらみいとその子の関係って、人間ぽくないというか幼いのですよ。
周りから見たら甘えあっているだけの、きもちわるい関係かもしれないなーと感じます。年齢が上になるにつれ、感じます。
でも、ふらみいが大事にしたいのはそういうことではなく、あの子なので。あの子にまつわる自分の心と感情なので。
周りには心配かけてしまうけど、その関係を断ち切ることはできないのです。

出遭う場所がここじゃなかったから、どうなっていたか。
そう考えるのも、楽しいです。どうなっていたのでしょう。
今はこの世界だけど、出遭い方ひとつとっても、きっと違っていたのです。

あの子とはそもそもネットでお話を始めてから仲良くなったけど、たぶん普通に学校とかで会っているだけだったら、こんなに仲良くなっていない。
実はあの子のような人間のタイプは、ふらみいにとっては苦手な部類だから。出遭い方をひとつ間違えたら、もう発展することのない人間たちだから。君子危うきに近寄らずと思って、放置していたでしょう。

それぐらい、あの子と自分の棲む世界って違うよなーって感じています。
だからこそ今話せるのが心地いいし、一緒にいたいよと騒ぐのですが。
その一緒にいたいという方法も、本当はすごく非現実的なやり方しか考え付かないのですが。
今回は人間らしく、言ってみました。駄目で当たり前だと思います。ふはは!!

これからも仲良くやっていくでしょう。やっていけるといいな。やっていくさ。
あの子が、ふらみいを傷付けて居なくなってしまった人達みたいに居なくならないっていうのなら、それを信じたいと思います。

あの子に言われて「お前もなかなかぼくのこと暴くじゃねーか」と思ったけど、ふらみいは失うことよりその過程を怖がっている(らしい)ので、そこさえしっかりしていれば、失うことに対して無力なままではないのです。
確かに、ちゃんと話ができていれば、あそこまで取り乱すことはなかったな。みんな何も言わずにいなくなるんだもの。
話をして関係を解消したなら、そりゃとうぶんは落ち込んだり、悲しかったり、寂しくなったりするだろうけど、乗り越えられないことではないからね、きっとね。


あぁ、でも、離れたくないな。一緒がいいな。
人間じゃなくても構わないんですよ、あの子と居られるのなら。
ふしぎな、ともだち。


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2014/07/07 語る Comment(0)

ビクッ! モンスターだらけの学校生活!

こんばんは、ふらみいです。

キーボードの一部がまーったく反応しなくなって、そろそろ1週間経ちそうです。
前に住んでいた場所は、20分も歩けばヤ●ダさんがあったんだけど、ここはそうはいかないからなー。困ったなー。
っても、押せないのは「!」辺りの上のキーなんですが。書き物をするふらみいしか使わないキーなので、親父も気付いていない様子。うーん。

以前からちょいちょい使えなくなることがあって、でも次の日になると直っていたりしたんだな。
それが今回起きないってことは、やっぱり駄目になってしまったのだろうか。
今は余計な出費を抑えたいとこだけど、押せないと苛々します。替えようか。


さて、今日は久々に大学時代の友人と会ってきましたよ。
その友人との付き合いも随分と長くなってきましたが、なかなかさっぱりした気質の子で付き合いやすいこと風の如しですよ。
その彼女が母校の総務で臨時の職員として働いていると聞いて、あぁ成程~なんて思ったものです。大学に様々な形でみんな関わっていくのだなぁ、と。

そこでの仕事をいろいろ聞いたのだけど、
例えば、その日の授業を休むにあたって、親が大学に電話してくるとか。
例えば、単位取得の為にどの授業を取っていいのか解らず、「何を取ったらいいですか?」と学生課に直接訊きにくる学生が居たりとか。
例えば、「電話を掛けられる静かな場所が欲しいので、教室ひとつ借してください」と言いにくる学生が居たりとか。
例えば、成績表を学生本人と学生の親に送付して、親から「ウチの子の単位取得数ゼロってどういうことですか?」と電話が来たりとか。
とにかく、「話が通じないor解らない学生が多い」のだそう。

というか・・・・・・、どういうことだ、親が電話してくるとか。そんなこと、本人に聞けばいいではないか。
休みの連絡だって、べつに大学では必要ないだろう。後で自分が困るだけなのだから。
どの授業を取っていいのか解らないって、ウチの大学は他の学科の授業も取れることが魅力なんだぞ。選り取りみどりではないか。


なんつーかな、何で大学に来たのだろう。とりあえず大学行っておけって感じだったのかな。
でも、とりあえずで行くには、私大は高いではないか。高いのに学生生活の半分は夏休みやら冬休みやらなんだぞ。
奨学金で行くのならともかく、親に出してもらって行くのなら、あんまり遊びまくっている場合でもないのだぞ。目的があって休学とか、そういうことなら仕方ないのだろうが。

ふらみいはもう大学を卒業しております。ストレートで出ております。
何で大学に行ったのかって、父親が大学への進学を勧めてくれたことと、まだ学びたいことがあって自分でも大学に行く気があったから。
父親は自分が大学に行って(彼は一浪か二浪して国立に行った)楽しかったから、自分の子どもにも大学に行っていろいろ学んできてもらいたかった様子。ふむ。

んで、高校の英語担当の教師に「あなたみたいな変な人がいっぱい居るよ」と言われて、その大学を受験することにしたのです。
その教師のおかげで、面白い大学に行けました。面白い人達にも逢えました。行ったことは無駄にはなりませんでした。勉学以外のことも学べたわけだし。


まぁ、ふらみいは目的があって大学に行ったので、それなり授業は出ていたし、単位も取っていたし、学生生活を楽しませてもらっていたのですよ。
自分で授業を選択できることが有り難かったし、学科も越えて選べることが非常に魅力的だった。

しかし、逆にその体制で困ってしまう人も居たのだな。何でその大学にしたのだろう。
与えてもらったものに沿ってしか動けないというのなら、正社員になっておいた方が良かったのではないか?
あぁ、高卒と大卒じゃ給料が全然違うのだっけ。だからみんな大学に来るのか。その為に来るにしては、やっぱり私大は高いような・・・・・・。


ふらみいが通っていた頃も、「大学に住んでいるの?」て感じの人達は居たし、「っつーか俺らこの1年トランプしかしてなくね?」とか言っている人達も居たし、手をぱちんぱちん打ち合わせて遊んで「俺はまだ大丈夫だけど手がもう限界」とか言っている人達も居たから、変わっていたといえば変わっていたが。
でも、昔と今を知っている職員の方から見たら、「昔は生命力や意思がちゃんとあった」らしい。
今はそういうものが一切感じられないのだって。ぬーん。ますます何で大学に来たのだろう。

ウチの大学はアウトローな人達ばかりだけど、何かしら意欲をもってなんぞ行動している人が多かった。
今の学生にそのような意欲は無く、何をしたらいいのか解らないままで大学に来ているということのなのだろうか。

それって、大学に来る意味があるのかなぁ。
在学中にもしかしたら何かを見つけて光り出す可能性もあるかもしれないが、それは探す姿勢が無いと見つからないものではないか? 待っているだけでは、何も手に入らない。
そういうことはしたくない、与えられるものだけ待っていたいって人は、4年の間に腐ってしまわないか?

勿体無いな、と思うのは、自分の意思で大学に行って出ていった人だからだろうか。
別に何の目的も無く大学に行って出ていっても、それが当たり前だと言ったら当たり前になるのだろうか。


親が出てくるってのも、なかなか謎ですね。何か重要な局面で親がいつも絡んでくるという。
でも、自分のことを決めるのに、親に相談するものか? 単位のどれを取るかってことで、いちいち親に相談するか?
親が死んだらどうするのだ。明日も元気に生きていてくれる保障なんて、どこにも無いんだぜ。

そんなことも考えないで、ただのんべんだらりと生きるというのは、どんな気持ちなのだろう。
ふらみいには恐怖以外の何物でもないが。



馬鹿にしたいわけではなく、「そんなんでいいの?」と思うのです。
まぁ、本人がいいってんなら、いいのだろうが。
ただ話は合わないだろうから、できるだけ関わりたくないな。

大学は自分を試す場所だと、今も昔も思っていました。
それをどこかで誰かが伝えるべきなのではないかなー、なんて。
ただ行くには、代償が大きいだろう。





作業用BGM
 健全ロボ ダイミダラー / 遠藤会



2014/05/11 語る Comment(0)

責任


というものについて、最近ちまちま考えているのでした。
こんばんは、ふらみいです。

最近の落ち込み方が酷くて、なんかもうどうしようもない。
背景が背景なだけに、本当は死んでいいような存在ではないんですがね。
生きているからこその辛苦は、人の生を奪って得たものですからね。

そう、死にたいと思うことは無責任だな、と解っておりまして。
自分の為に死んだものが居るのだから、もうふらみいが死ぬことは許されないんですけども。
それでも、辛かったり怖くなったりすると死にたくなるし、厭になる。

それを繰り返して生きていくことが、人の生を奪って生きようとしたふらみいの罰なんかもしれん。
そう考えたら、どんな苦行でも甘んじて受けねばという気になる。

ただ、さすがに最近の死にたい騒動は酷かったので、自分でもカウンセリングに行くべきかどうか悩みました。
話を聞いてもらうというより、薬をもらって無理に思考をねじ曲げようという感じね。

以前の休職の時は薬をもらっていたので、悲しい気持ちも和らいだりしたのです。
そういう時に、あー人間って脳で動く生き物なんだなって思いましたわ。薬で制限できちゃうんだもん。

薬に頼らずに生きていくことが一番だけど、一度憶えてしまった死への憧れはなかなか消えません。辛い。
でも、生きたくても生きられなかった子に比べたら、ふらみいなんて贅沢なもんで。
それでも辛いものは辛いのん。死にたくなる、と言葉にしなくちゃ吐き出せないもんもある。

バハラグのマテライトが、
「死んでとれる責任なんか無い」と言っていたけど、本当にそれ。死は死でしかない。
罰の様に感じても、焦がれることがあっても、死は死でしかないんだね。

責任かー。難しいな。
これだけ自由になれたのは、責任をとることができるようになったからだと思っていた。
だけど、その実、責任なんて少しも解っていなかったのかもしれない。

今は身体の調子もあって落ち着いている精神だけど、また1週間したら始まるのだろうか。
この前まで荒れていたのも、身体に左右されてのことなのだろうか。


責任をとれる人になりたい。
無責任な言動は起こしたくない。
かっこいい人でありたい。
強くなりたい。

望むことはいっぱいあるけど、少し経てば孤独に気付き、罪に苛まれて死にたくなる。
でも、死ねないでしょ。置いていけない人と、死んではいけない理由がある。


せめて、仕事が決まればなー( ´-`)


2014/04/16 語る Comment(0)

死んでいくもの、育ちゆくもの


依然として、良くない状態が続いております。
カウンセリング、辞めるべきではなかったかなぁ。
どっちみち、続けるにしても、今のバイト程度の稼ぎではすぐに切るしかなくなっていただろうけど。
ずっと死にたいと言い続けて、どう実行しようか迷って、今に至ります。

この最悪とも言える心境に堕ちて2ヶ月くらいだろうか。自分で自分を呪うが如く、まったく良くならない。
周りの環境が良くならないってのもあるんだろうなー。就活しているけど、落ち続けているから、希望がもてなくなっていくんだよな。
そうやって落ちるのは自分に何も良いとこが無いからなんだ→そうだ死のう! みたいなループが続いている。

それから、一緒に居たい人が居るけど、きっと居られないのだろうなって解って、そのことでがくんと堕ちた。
わたしはひとりで生きられないと解っていて、その人と一緒なら楽しくやれるのじゃないかと思っていた。
だけど、その人の意志は解らない。その人はわたしが居なくても生きていける人なので、足手まといを増やす必要が無いのだ。

そうなると、わたしがひとりで盛り上がってもねぇ。
物理的な意味でも、精神的な意味でも、わたしが居ない方がその人が生きていけるのなら、邪魔しない方がいいのだろうね。

まぁ、その人もなんかハッキリしないんだけどね。何も考えてないのだろう。
だったら、その棒に振るか振らないかでギリギリの人生をわたしにくれよって思うけど、そう言うと相手も自分の人生が惜しくなると思うんだよなー。
何も考えてない人って、そうだよね。あーだこーだ言っているけど、実際にその場になるとハッキリ解るの。考えないから解らないだけ。ふりしているだけ。

わたしの心は死んでいくが、想いだけが育っていく。
それは他者に向けてのものばかりで、人に依存して生きているのだってことが、よく解る。
人に依存してしか生きていくことのできない阿呆は死んでどうぞ、って自分に対して呆れる。

だけど、わたしが死んだら悲しむ人が居るんだってさ。
その人はわたしが居なくたって生きていけるくせに、わたしが死んだら悲しいんだってさ。
そう言われると、悲しませちゃーいけねーなって思うじゃないか。
なのに、その人は自分が消えるか死ぬかする時は、誰にも何も言わずにやるんだってさ。

こんなとこにまで理不尽さを作らなくてもいいだろう。何考えてんだこいつ。
わたしがこいつを悲しませない為に生きるのなら、こいつもわたしを悲しませない為に生きろよ。等価交換だろうが。でなきゃ我儘言うんじゃありません、ぺいぺいっ!

天才じゃないと生きていちゃいけないわけじゃない。
誰かの役に立たなくちゃ生きていちゃいけないわけじゃない。
ぼくもそいつも自分の為に生きていいだろう。自分の為に誰かを大事にしてもいいだろう。

そいつの所為で、死ぬのを何度もやめている。顔を思い出すから、まだそいつに対して未練があるのだと解る。
どうせ死ぬなら、そいつの晴れ姿を見てからだな。なんだ、親か何かか。
本当は、そんなしがらみ関係なく、そいつと居られたら一番良いんだけどね。
責任とか、約束とか、家庭とかじゃなくてさ、もっと楽しいことをぼくらの為に追いたいよ。
この歳でその考え方もすげーな。だって、ふらみいでいていい場所だもの。
後悔しないでね、ふらみいを自由にさせたこと。もう遅い。


不可視の者に言われたの。
「急に居なくなってしまう悲しみを、痛みを、あなたは誰よりも知っている筈よ」とね。

まぁ、あるんですよ。そういう体験が。
すごくお互いに好きだった筈なのに、こっちに何の連絡も無く消えてしまうような人が。
探偵さん使って捜したりしたけど、やっぱり自由人なのね、その方は。すぐに居なくなっちゃう。
それでも捜すのは、彼女に何かあったんじゃないかとか、彼女に逢いたいって思うから。

そんなふうに想える人って、何人居るだろうな。ふらみいも誰かにそう想われる人になりたいよ。

だから、それ考えると、もう何もできない。
それに、さんざんいろんなこと言ってきたけど、それは紛れもない本音だけど、その本音を聞かされた友人はどう思うのだろう。
「あれだけいろんなこと言ったのに、こいつそれを忘れてまた暴れてるなー」とか思われるかね。

小説や漫画みたいに、一度の挫折から立ち直ったぐらいで人の心は続いていったりしない。
中にはそういう人も居るだろうけど、大抵は長い目で見ればすぐにつまづいたり、同じことを考えたりする。
言葉を何度伝えても、同じ失敗をしたりして、学べることが幾らも無い時だってある。
小説や漫画みたいに、綺麗にまとまることの方が少ない。それが現実かなぁと、書いている身だけど思う。

せっかく誰かがくれた言葉でも、穴あきだらけだったり、信用できなかったりする。
そうすると、言葉をくれた人も悲しくなって、信じることをやめてしまうかもしれないね。
自分のことをちゃんと自分でケリつけられる人って、案外、居ないものだわ。矯正し合えるのも、認められた仲だけで。

その人だって、ふらみいだって、できてないこといっぱいあるんだもんね。
のくせに、お互いに死ぬな死ぬなと言い合って、相手の言葉なんて聞いてないのかもしれないね。

ふらみいはもう、自分の心が永く続かないことが解っているから、その人の言葉の効力が短くなってしまっても、悲しんでいられない。
本当はその人のこと信じていたいし、その人のこと悲しませないで済むならそっちのがいい。
でも、そしたら、あなたはどうしてくれるのだろう。ふらみいを楽しませるようなこと、してくれるのかな。

こんなふうに見返りを求めてしまうのは、きっと人と関係することに怯えているからよね。
見返りが無い関係じゃないと駄目なんだって思っているからだね。
ぼくがその人のこと大好きでも、その人がぼくを大好きとは限らないからね。同じじゃないなら、見返りとかで繋がないとって思っているんだろうね。

そこまで壊れてしまったよ、わたしは。もう疲れて久しいよ。
もっと形良く綺麗にまとまって存在していた筈なのにな。

わたしが消えたって、悲しくないだろう。
受け入れて、次にいけばいいだけじゃないか。たった10年しか関わっていない。
時間なんて関係無いのかね。
パートナーにもなってくれんでこのやろう、自分の要求ばっか。
きっとわたしもそうだったのだろうけど。

わたしが死んだことを悲しめる資格を持った人間なんて、居ないさ。


いつ、切るだろう。そわそわする。





作業用BGM
 わたしぼっち / ポポロクロイス物語挿入歌(ヒュウのキャラソン)

2014/04/13 語る Comment(0)

死んじゃうほどのことだった


こんばんは、ふらみいです。

昼間からものすごく堕ちていて、今は珍しく酒を飲んでいます。
酒に弱いから、普段は1人で飲んだりしないのだけどね。
今日は特別な日だからね。飲んでしまいたい日なんだよね。

先ずは昼間から堕ちているってのが、もうしんどい。
前の会社を辞めてから、一応、人の紹介でパートやっているとはいえ、そこの環境も最近あまり良くない。
その所為か、労働意欲は失せて、自分から動くことができないまでになった。
その根底には、「自分が頑張ったってしょうがないよ」という諦観があるのでした。

死にたい死にたいとずっとのたまうことも、精神的に辛い。
だけど、そうやって言葉にして吐いていかないと、自分の中の言葉にする前の何かが膨れて捩れて、わたしになってしまうのだ。
そうなると、たぶん後悔する。後悔することが何よりも怖い。だから死ぬことも怖くてできない。

仕事しているのに堕ちるとか、集中できていない証拠だけど。
何でこんなに落ち込んでいるのかを考えても、もう理由なんて腐るほどあって数えることもしたくないけど。

わたしはいったい、どこへ向かえばいいのだろう。


深く狭い場所での思いを綴ります。
酒の所為でテンション変だけど、こんなもんでしょう。



[こっちこっち]

2014/04/12 語る Comment(0)

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